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  作者: モノノケ
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平和なひと時

 次の日の朝。会社員の常として私は休日にも関わらず五時頃に起きてしまっていた。外はすでに夜から朝へと変化を遂げている。眠気はないわけではないが起きるとしよう。そうして、なんとなくだるい体をベッドから起こした。

 右のベッドには挑御川が寝そべっていた。布団を抱きしめながらもぞもぞと蠢いている様子から半眠状態と見える。やることもないので布団から出てベッドの上で胡坐をかき、彼女の様子を見つめることにした。

「ピンクの生地に白い水玉模様のパジャマは、会社でのイメージよりはずっと可愛らしいがよく似合っている。ゴロゴロしているせいで着衣が乱れて腹が見えているのは、かなり扇情的だ。そもそも起きて隣に女性がいるというのは、悪い気はしないな」

 そう考えていると、急に観察対象の動きが止まった。また寝てしまったのだろうかと思った次の瞬間、少々色のある声が飛んできた。

「……先輩、なんで起きて早々私の羞恥心を煽ってるんですか」

「何のことだ」

 なにも言っていないはずだが。しかし挑御川は顔を枕にうずめながらもハッキリと言う。

「たぶん、考えてたことが漏れてました」

「そうだったか、それはすまなかったな」

 言うと、奴は勢いよく起き上がった。顔が少し赤い。耳も赤い。息苦しかったのだろうか、などと現実から目をそらす。

「先輩は私を辱めました。セクハラで訴えたならばきっと高い確率で勝利することでしょう」

 妙な言い回しだと考えて——訴えたならばという言葉とそれを言う冗談じみた声色で、なるほど彼女が何が言いたいのかをなんとなく理解した。

 つまり、訴えられたくない人間にある選択肢は一つだということ。

「……それならどのような示談が望みだ。寝ぼけていたことによる不意の事故だが、非は間違いなくこちらにある。全面的に譲歩しよう」

 冗談めかして堅苦しく述べてやると、挑御川はやけに楽しそうに、にやりと笑った。やはり何かを要求してくるつもりだったか。案の定すぐに口を開いた。

「朝食をおごってもらいます。それだけではまだバランスが取れていないので、三日前に汚れてしまった服の代わりを買ってもらいます」

 その要求を聞いてなんとなく、何かにかこつけていつかは買ってもらうつもりだったなと推察した。こちらとしても示談云々の話ではなく、三日前のお礼はしなければならないと思っていたわけで。これは良い機会だと思った。

「それで訴えられないのならば、喜んで買わせてもらおう」

 言うと、挑御川は服装を整えてベッドから立ち上がる。そうして手を差し出して言った。

「示談成立ですね」

 私も立ち上がり何も言わずに手を握った。奴の頬はほんのりと、赤いままだった。


 とりあえず私たちは部屋着から普段着に着替える。時刻は五時半。少し早いが準備は済んだので部屋を出て、この時間に宿の中で唯一開いているレストランへと向かった。

 この宿屋は宿屋という表示ではあるが、館内の造りはホテルに近いものがある。つまりは、洋風なのだ。白を基調とした空間。清掃も行き届いていて、清潔感がある。肺に入る空気すらも消毒されているような気がする。

 客室フロアから一つ降りて、一階。私たちはフロントとは逆方向にあるレストランに入った。随分な朝にもかかわらず、お二人様ですかとキビキビ尋ねてくるスタッフに首肯して、席へと案内してもらう。

 すると店内には怖い見た目の男が十人ほど屯していて、視線を向けるとしまったという表情を浮かべていた。どうかしたのだろうか。むしろ怖い見た目の人間がレストランにいて、しまったと思うのは一般人たるこちらの方だろう。しかし結局理由は分からないので、無視を決め込むことにする。

 私は朝食をあまり食べない。品数は少ないがどうやらバイキング形式になっているので、スクランブルエッグとベーコンにケチャップをかけたものだけをとって、席へと戻った。

 すると後ろから、挑御川が声をかけてきた。

「少ないですね、先輩」

 そんなことを言う奴のプレートの上には、シリアルとヨーグルトとコーヒーがちょこんと乗っていた。

「お前こそ」

 言うと、むくれたように反論された。

「別にいつでも酒とつまみばっかり食べてるわけじゃないですよ」

 そんなニュアンスを込めたつもりはなかったのだが。しかし気にした風もなく席に座ったのでフォローはしない。そうして、つつましやかな食事が開始された。

「そういえば、朝食の料金はどうなっているんだ」

 フォークでベーコンにケチャップをつけながら聞くと、

「追加料金をホテルを出る前に払うんです。朝食は別にここで食べなくてもいいんですよ。ここの利点は、早くから開いてることと、ホテルに泊まってる人は食事料金が二十パーセントオフになることくらいですね」

 挑御川はシリアルにヨーグルトをぶっこみながら答えてくれた。それは正しい食べ方なのかと考えるが、おそらく一生その食べ方はしないだろうから聞かないことにした。

 それよりも、確認したいことがあったのだ。

「そういえば、答え合わせをしたいことがあるんだが」

 言うと、ヨーグルトシリアルを口に頬張りながら、妙な顔を浮かべている。しばらくはもぐもぐと口の中を整理して、それから聞き返される。

「答え合わせってなんでしたっけ」

「お前が正義同盟の人間に会いたくない理由をふと思いついてな。それが合っているのかが気になった」

  一瞬、動きが止まった。しかし何もなかったようにして聞き返してくる。

「へえ、言ってみてくださいよ」

「言っておくが、ただの直感だ。根拠なんて薄っぺらいから結論から言わせてもらう。苦手な正義ギルドの人間とは、お前の父親じゃないのか?」

 言うと、挑御川は分かりやすく驚いた。目を見開き、唇をキュッとすぼめたのだ。そうしてから三秒ほど間をとって、聞いてきた。

「なんで、分かったんですか?」

 手元を見やると、シリアルヨーグルトをすくうスプーンは、完全に止まっていた。いや、ヨーグルトシリアルだったか。どうでもいい思考はさっさと閉じて答えを返した。

「お前の正義ギルドの人間に対する言い方を、どこかで聞いたことがあるなと思っていたんだ。手掛かりは三つ。できれば会いたくはなさそうな態度と、面倒くさい、干渉するなという二つの言葉だな。今朝、ふと思い出したんだ。ああそうか、ホームドラマで聞いたような言葉だ、とな。それに両親がファリジア・レースに関わりのある人間であることは聞いていたから、そうなのかと思った。父親だと思ったのは、父親と母親で、娘が干渉して欲しくなさそうな方を選んだだけだ」

 なるほど、と奴はポツリとつぶやいた。そうしてスプーンが動き出し、ヨーグルトシリアルをすくって口の中へと運ぶ。しばらくはカチャカチャと食器の擦れる音だけが響いていたが、皿の中が空になったところで、挑御川はコーヒーを口に含む。私も順調に食べ進めながらも、そこで飲み物を取っていなかったことに気が付いた。後でフレッシュオレンジジュースとやらを取ってこよう。いや、今行こうか。そわそわと視線を揺らしていると彼女は一つため息をついた。もしかすると話をせかしているように見えたのかもしれない。

「……先輩は一つ勘違いしてますけど、会いたくないのは別に苦手だからじゃないんですよ。お父さんのことは嫌いじゃないですし、尊敬もしてます。けど……」

 すると露骨に言いよどむ。酸っぱいものを食べたかのような表情をしていたので、別に言いたくないのならば言わなくていいと述べるつもりで口を開く。しかしそれよりも早く、しかし小声で挑御川は言った。

「ファリジア・レース中のお父さん、割と変態なんですよ」


 六時半頃には食事を終えて部屋へと戻った。同じ空間にいた怖い男たちは、私達が食べ終える前にはそそくさとレストランを後にしていた。それほど気にする必要もなかったらしい。だが奴らはフレッシュオレンジジュースを飲みまくったらしく、取りに行った時にはすでに空だった。仕方がないので横にあったフレッシュではないアップルジュースを飲んだが、美味かったことを追記しておこう。

 部屋では微かな満腹感に浸りつつ、ごろ寝でテレビを見ていた。ファリジア語だったので何を話しているのかはさっぱりだったが、チャンネルを回していると『ファリジア・チャンネル』とやらがあったので見てみる。すると、私が闘技場で剣闘士とくっちゃべっているシーンが流れ始めた。なんだか恥ずかしくなったのでテレビを消すと、横のベッドの上で挑御川がゴソゴソと何かをやっていた。暇なので、聞いてみることにする。

「何をやっているんだ」

 すると、なぜかむっとした表情を浮かべる。そうしてわざとらしくしょぼんとして、媚びるようなさびしい口調で言ってきた。

「いいですよ別に。先輩が服を買ってくれるのを楽しみにして、意気揚々と準備をしてた私が馬鹿だったんですよね。分かってます」

「分かったすまなかったよ挑御川。私もさっさと準備をするから待っていてくれ」

 折れるようにそう言うと、挑御川は本当に楽しみな様子でにっこりと笑った。さあさあ早く早くと急かられながらもテキパキと準備を済ませて、私たちは街へと出かけた。


 街並みをぐるりと見て回る。そこで、そういえばアッシュの街は隅から隅まで見ていないことに気が付いた。やはりもったいないことをしたな。しかし往復六十時間の旅はきついから、戻ろうという気は起きない。その分ベーラをしっかりと見て回るからいいさと、気持ちを盛り上げた。

 端末を確認しながら、洋服屋を探す。一応呉服屋も探したが、どうやらこの街にはないようだった。というのもアッシュにはあったらしい。挑御川の着物姿は、似合う似合わない以前にそこはかとなく落ち着かないだろうから別にいいが。日本へ観光に来た外国人風になるのは目に見えている。

「あの看板、もしかして洋服屋さんじゃないですか?」

 指差す先には、ミシンの形をした看板が吊り下げられていた。

「ああ、きっとそうだ」

 その店まで近づいていく。ガラス張りの店内を覗き込むと、様々な服が丁寧に畳まれて置かれているのが見える。やはり洋服屋のようだった。

「間違いないな」

 振り返りながら言うと、そこに彼女の姿はなかった。一体どこへ行ったんだと適当に見渡すと、なんと店内にいた。いつの間に。私もさっさと入るとしよう。

 ドアを開く音は、予想通り静かなものだった。店はしゃれた雑貨屋のような雰囲気で、服だけでなく靴や鞄も置いてあるようだ。

 しばらくは挑御川の好きにさせていた。奴はゆっくりと歩きながら店の服を物色しているので、私もぼんやりと服を見ながら歩いていたのだ。しかし十数分ほど経って目をやると、一か所に留まっていることに気が付いた。どうしたのかと思い近づき、声をかけてみる。

「どうだ、欲しい服は見つかったか?」

「あるにはあるんですけど、悩み中です」

 と言う彼女の腕には、一着の服が掛けられていた。白色で手首部分の袖と襟にフリルのついた長袖の服だ。

「前の服よりも露出度が高くないが、いいのか?」

「人を露出狂みたいに言わないでくださいよ。アッシュの街ならともかく、ベーラであの格好は物理的に寒いですって」

 確かに、アッシュは日差しが強く非常に暑い場所だった。しかしここベーラは雨上がりのように涼しく、風が吹くと少々寒さを感じる程だ。あの格好では、常に鳥肌が立ってしまうだろう。

「だったら、何を悩んでいるんだ」

「だったらというのもおかしな話ですけど、まあいいです。実はですね、この服は私には少し可愛すぎるような気がするんですよ」

 瞬間服に目をやり、それからすぐさま反論する。

「似合うだろうから、別に気にすることはないと思うがな。それに、自分が着たいと思った服を着ないでどうする」

 いつもとは立場が逆の言葉だと、言ってから気が付いた。すると挑御川はじっと服を見る。そして悩ましげな表情にアヒル口で言った。

「先輩って、お嬢様っぽい服好きですよね」

「そうかもな。悪いか」

「いえ全然。じゃあこれにします」

 かなり悩んでいた癖に、やけにあっさりと決めるな。きょとんとして、思わず言う。

「背中を押した私が言うのもあれだが、いいのか」

「はい、むしろこれがいいんです」

 そうしてから、上に合う長スカートをテキパキと選んでレジまで持っていった。一緒にレジへと向かい、財布を開く。レジの若い女が淡々とレジ打ちをして告げてくる。

「二点で四万千九百六十メラです」

 五枚の札を出す。横には嬉しそうな挑御川が、袋に入れられる服をじっと見ていた。そういう表情をされると、買ってやった甲斐があるというものだ。だが照れくさいので、つっけんどんな態度で言ってしまう。

「その服、そんなに嬉しいのか?」

 そんな冷たさを宿してしまった言葉にも、しかしすぐに答えてくれた。

「嬉しいですよ、当たり前じゃないですか。それに男の人にせがんで買ってもらうなんて、お父さんを除いたら初めてじゃないですかね」

 そんな純粋な言葉には、そうか、と言う他になかった。

 店員から服の入った袋をもらい、店を後にする。時刻は九時を回っていた。宿を出た時は肌寒かった空気が、今は日差しでほんのりと暖かい。私は宿へと戻る道を歩く途中で、袋をポンと渡してやる。袋へと注がれるキラキラした視線が、むず痒かったからだ。

「ほら、服だ」

「ありがとうございます。とっても嬉しいです」

 挑御川は袋を受け取り、ギュっと抱きしめるようにして持った。

「これで訴えられなくて済むな」

 私の軽口を、えへへと笑ってごまかす。それから服の入った袋を見ながら、独りごとのように呟いた。

「けど、どうしようかな。レース中に着るのはもったいない気がするけど。もし汚れたらなー」

「好きにすればいい。もうお前のものだからな」

「ならそうします」

 彼女の足取りの軽さとはしゃぎようは、まるで子供だと思った。

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