デトロン人は驚かない 3
17世紀――まだデトロンがこの国の都であったころの話だ。興盛を極めていた当時の王、“読書王”ハイペリオン三世は世紀の大魔法使いであると同時に希代の読書家でもあった。世界を揺るがしたプレアミとの戦争を制し、やることがなくなって晩年を迎えたかの王は、この国の有り余る富を使って世界最高の図書館を創ることを思いついた。
かつてこの国に盾突いたガルディア人を文字通り根絶やしにしたことからも分かる通り、ハイペリオン三世はやると決めたからには徹底的にやる人間である。まず王は国家予算何年分もの大金を惜しみなく注ぎ込み、世界中から書物をかき集めた。この時使い込んだ金のせいで、我が国の最盛期は終わりを迎え、デトロンもやがて都ではなくなるのだが、ハイペリオン三世にとっては国よりも大事な事業であったらしい。さらに、王は国政を引き換えにするどころか、自身の命をもこの図書館に投資することに決めた。集めた書物たちと建物を守るために、己の膨大な魔力を呪いに変えて、この図書館に宿すことにしたのである。三十日に渡る儀式の末に、ハイペリオン三世は命を落とし、図書館は完成と相成った。
傾国の美女ならぬ傾国の図書館――一億二千万を超える蔵書(完成当時は八千万冊といわれている)と王の呪いを抱えたこの図書館は、現在も当時の姿のままデトロンに建っている。それがデトロン王立魔法図書館である。
「んなばかな」
左頬の痙攣を何とか納め、頭の中にあるデトロン国立図書館に関する歴史を思い起こしながら、俺はなんとか言葉を捻りだした。あの世界的に有名な図書館に盗みに入ってほしいと彼女は言う。そんなことを言ったのが、顔をローブで覆いつくし肩に黒猫でも乗っけている怪しげな魔法使いならまだ納得もいっただろう。金を携えてやってきたのが、黒いスーツのマフィアなら受け入れることも出来ただろう。だが実際に目の前に居るのは、十歳そこそこの小さな女の子だ。何もかも茶苦茶である。しかし、彼女のほうは俺が何故困惑しているのか分からないといった風で、きょとんとしている。
「何か変ですか?」
彼女は平然と言った。
「本が欲しいだけなのですけど」
これがすっとぼけているのだとしたら中々上手い演技だと言わざるを得ない。何も知らないようにしか見えないな――と考えたところで、いや、もしかしたら本当に何も知らないのかもしれないと俺は考え付いた。あの王立図書館のことを知らないデトロン人はいないが、子供ならばあの恐ろしい場所を未だに無邪気に捉えていてもおかしくはない。ご本がいっぱいあるすてきな場所とでも思っている可能性がある。
「いいか、知らないようだから教えてやろう」
俺は説明を始めた。今度は家庭教師にでもなったような気分だ。
デトロン王立魔法図書館はどんな大犯罪者でも避けて通ることで有名な聖域である。この図書館に秘蔵されていると噂の強力な魔道書、魔術書を求めて盗みを働くものは度々現れるが、例外なくむごたらしい最期を迎えることになる。
この図書館がいかに恐れられているかを示す一例として、19世紀の話がある。19世紀の戦争で、一時デトロンを侵略したベルカの軍人は宮殿内を平気で踏み荒らしたにも関わらず、この図書館には指一歩触れようとしなかったという有名な逸話だ。魔力に精通し、呪いの何たるかを知るベルカ人だからこそ、この図書館には近づけなかったのだろう。立ち入るまでもなく、王の呪いがまだ生きていることを悟ったのである。
だが、この図書館を守っているのは王の呪いだけではない。
ハイペリオン三世の末裔――王の血筋を引く者の中から取り分け魔力の強い人間が選ばれ、代々この図書館を守るために“図書館長”として着任しているのである。
現在の館長は、第二十三代目に当たる。このデトロンでも随一の魔法使いと名高い現館長、その名も――。
「ニグルム・ウルフリック」
無関心そうにも見えた彼女が、だしぬけに俺の語りを遮った。
「図書館長。ハイペリオン公爵。十一番目の賢者。エイドの門番。……まあ色々な名前で呼ばれていますけど」
知っている知識を披露したかったのかもしれない。ウルフリックのあだ名を羅列する彼女の語尾に若干熱が入っているように見える。
「よく知っているじゃないか」
「はあ。まあ」
「じゃあ、あの図書館に入るのがいかに困難なのかも知っているだろう」
「はあ。よくわからないです」
少女の返答を聞いて俺は思わず笑みをこぼした。小馬鹿にされていると思ったのか、彼女の表情が見るからに曇っている。しかし、本音で言うが、俺が笑ったのは馬鹿にしていたからではない。無知が可愛く思えたのだ。
「いいかい。ではよく聞きたまえ」
彼女はまだ何か喋りたそうにしていたが、俺は会話の主導権を取り返すために、再び口火を切った。
「まずウルフリックは希代の魔法使いだ。デトロン中を探しても、奴より優秀な魔法使いが居るかどうか」
「はあ」
「奴は常に十体の妖魔を召喚し、使役することができる。いいか、十だぞ。どれだけ優秀な魔法使いでも、一体召喚するだけで頭痛がする。二体召喚すれば飯も食えない。三体ならば本人はベッドの上。四体ならば墓の下だ」
「はあ」
「そんでもって、この妖魔たちが昼夜を問わず図書館の警備に当たっている。純度の高い魔力を常に主人から供給されている妖魔だ、雇われのおっさんとは訳が違う。ネズミが入る隙もない」
「はあ」
「もし、仮にだ。こいつらの目を掻い潜ることが出来るとしよう。だが、それでも盗みに入るのは難しい」
「呪いがあるからですか」
「そうだその通り。鉄壁の壁に開かない扉。腐敗の呪いに血の呪文。目を焼く病とハラワタネズミ。極め付けには、死を追う王のガーゴイル。悪さをすれば呪いに触れて、死ぬより惨い顛末だ。それでも君はあの図書館に盗みに入りたいかい?」
ここまで言うと少女は下を向いて、口をつぐんだ。ぐうの音も出ないのだろう。あの図書館を訪れたことがあるのかどうかは知らないが、実態はこれほどまでに禍々しい場所なのだと知って、ショックを受けているのかもしれない。
完全に得意になっていた俺は、彼女の次の言葉を待った。しょんぼりしながらごめんなさいとするか、涙目になりながら知りませんでしたと白旗を挙げるか。そんなことをのんきに考えながら、俯く彼女を眺めていた俺はさぞ――さぞ間抜け面を浮かべていたことだろう。
少女が顔をあげた時、俺は自分の過ちを先に悟った。何故なら、少女の顔はしょんぼりともしていなかったし、涙も浮かべていなかったからだ。彼女は見るからに――苛々していた。
「あなたは無知です。そして馬鹿です」
またもや一瞬何を言われたのか分からなかった。
無知、馬鹿――俺の中でその二つの言葉が解凍、消化されるよりも先に、彼女は子供らしからぬ明瞭な呂律で、俺の知らない知識を滔々と語り始めた。




