デトロン人は驚かない 2
我がオフィスであり住処でもある魔法道具店は、第七地区のとある小さな建物にある。いわゆる貸し屋であり、俺が借りているのは三階のみで、その他の階にはそれぞれ別の住民が住んでいる。一階は合法な物しか取り扱っていないと謳いながら裏で碌でもないものを流通させていると噂の銃器店「ボリス銃器店」、二階は何だか得体のしれない魔法使いが居を構える「ラウブレット魔術研究所」、そして三階に我が健全なお店「ロイバー魔法道具店」。この並びを見て、まともじゃないと考えることの出来る人間は、まだデトロンの空気に染まっていない証だろう。この程度のまともじゃない集団は、このデトロンには蟻のようにいる。
第七地区はデトロンの中では、“まだマシな”地域に分類される。貧乏人の多い一帯ではあるが、まともな商売をしている店も少なくはないし、何か表立った犯罪が起これば一応憲兵の調査が入る。ここで起こる犯罪の八割が迷宮入りするということに目を瞑れば、行政の力は辛うじて及んでいると言えるだろう。これが第八、第九、第十地区となるとそもそも憲兵が寄り付きもしない。近頃は自警団なんてものが頑張っているようだが、基本的に犯罪者と頭のおかしい連中の温床だ。
とはいえ、第七地区も十二、十三の少女が一人で歩けるような場所ではない。女の子が百メートル歩けば声をかけられ、二百メートル歩けば変な男に跡をつけられ、三百メートル歩くころには攫われている。そういう場所だ。
ましてや第七地区の、それなりに奥まった路地にある建物の三階に、女の子が一人でいるというのは普通ではない。
しかし、俺が驚いたのは、来客者が小さな女の子だったからという理由だけではない。真の理由はその少女の見た目にある。
「親はどうした?」
未だに引きつった笑みを浮かべている彼女に俺は訊ねた。
「第七地区の子じゃないだろう」
そう、彼女はどう見ても第七地区の人間の身なりをしていなかった。良いところの御嬢さんにしか見えなかったのだ。
水色を基調としたワンピース。蝶々の羽のような白い大きい襟が首元まで隠している。手首まで伸びる袖と膝下をすっぽりと包むスカートの先の部分にはフリルがついており、仕立てたばかりといった感じだ。靴はおそらく砂を被ったことすらない。子供用の小さな手提げをもっているが、立派な皮素材である。
少女の顔も実に可憐だ。子供らしいというより幼なさを残していると表現した方が近いだろう。体も顔もこじんまりとしているのに、頬と唇がほんの少しふっくらと膨れているあたりがいかにも幼顔である。光で梳き流した絹糸のようなクリーム色の髪は肩まで垂れるかというところ。前髪は眉毛までは伸びているが、ビー玉のようにぱっちりとした藍色の目には届かない。滑るように伸びているが主張しすぎない鼻に、食べ物など入らなそうな口。肌は白いが仄かに薄紅色が差しているようにも見える。
総合して、この界隈を一人で歩いていい女の子ではない。
「一人です。どこから来たかは言えませんけど」
彼女は未だに緊張しているのか、俺と目を合わせようとしなかった。何とか笑顔を作っているが、どこか強張りが取れていない。先ほどの驚愕の表情がよっぽど効いたのかもしれない。
「じゃああれかい」俺は少しだけ物腰を柔らかくして言った。
「君は一人でここに来たのかい」
「はい」
「魔道具を買いに来たのかい?」
「いいえ」
「じゃあ、俺を尋ねに?」
「はい」
「何のために」
「それは」
彼女はわずかに躊躇する仕草を見せてから小さく息を飲み、それから手に持っていた手提げを開くと
「お仕事を依頼にし来たのです」
俺にその中身を見せた。
なんてこった。少女はそのモノをカバンの中から取り出そうとしたが、俺は即座に彼女の手を掴んで止めた。冷静に考えれば人目のつくような場所ではないので大丈夫なのだが、このデトロンで生きてきた経験が咄嗟の行動に出てしまったのである。少女が嫌がるように体をよじったので、俺は慌てて手を離した。
札束。ぱっと見ただけではどのくらいあったのか分からない。彼女の手提げの中には、この一帯では滅多にみることのないような大金が無造作に投げ込まれていた。
◇
ロイバー魔法道具店は魔法道具全般の販売・買い取りを行う店である。どんな分野の道具も扱っているが、俺自身の魔法に関する知識がかなり偏っているために、専門外の道具に関しては適当に売買している。店の売り上げも大したものではない。それほど高価なものは扱っていないし、元はといえば趣味が高じて始めただけの店だ。店はただの隠れ蓑。本業は他にある。少女もそちらの本業の方に用があるらしい。
それでも少女は店内に入るなり、興味津々といった様子で店の商品を眺め始めた。棚に敷き詰められた杖の箱を一つ一つ開けて覗き、古びた魔法書の目次に目を通し、幻覚の角笛を吹こうとし――どれもこれも別段珍しいものではないが、子供の好奇心を刺激するらしい。とりわけ三年も前に買い取って埃を被っていた空飛ぶ絨毯に興味を抱いたようで、彼女はそれにしきりに乗りたがったが、それは不良品なのだと言い聞かせてようやく止めた。どこのアホな設計魔法で作られたのか知らないが、猛スピードで飛ぶのに制御できない恐ろしい品物である。一生埃を被らせておいた方がいい。
少女のはしゃぐ姿を見てこの子はどうやら世間を知らないらしいな、と考えた。こんな胡散臭い店はデトロンには腐るほどある。
「ここにある物も盗品なのですか?」
少女は、壁にかけてあるガイコツの仮面を眺めながら言った。微弱な精霊が封印されているというが、どうも胡散臭い。
「ほんの一部はな」
俺は正直に答えた。大半の物は正規のルートで手に入れたものだが、今まで盗んできた物が混じっていないと言えば嘘になる。
「でもあなたが泥棒さんには見えないです」
「そうかい」
「良い人そうですから」
俺は思わず声を出して笑った。こんなかわいらしい会話をできる人間が、よもやこのデトロンに残っていようとは。ひとしきり笑った後に、俺は懐へと手を伸ばし、札束を一つぽんと彼女の足元へと投げた。先ほどくすねておいたのだ。少女は一瞬ぽかんとしていたが、そのうち頬を膨らませると、札束を拾い上げて、こちらを睨みつけた。
「泥棒さんですね」
「泥棒さんだな」
慣れ親しんだ仲なら二人とも笑い出すようなやりとりだったが、あいにくそのような信頼関係があるはずもない。俺の方はしたり顔で笑みをこらえていたが、彼女はよっぽど悔しかったのか、しばらく睨むのをやめようとしなかった。もっとも睨むといっても、少女の可愛らしい顔つきではどう頑張っても怖い表情にはなりようもないが。
「他に盗ってないですか?」
「盗ってないな」
「本当に?」
「本当に本当」
そんなことを言いあううちに、へらへらと笑っている俺を睨むことに疲れたのかもしれない。少女は少し呆れたような微笑みを浮かべながら客者用の席へと腰をかけた。ようやくお仕事とやらの話をする気になったらしい。
「それで何を盗んでほしいんだ」
俺は彼女の向かい側に座った。正直なことをいうと少し愉快な気分になっていた。孫に「買ってほしいものはあるかい?」とでも訊くような心持だ。もちろん、真面目に請け合う気持ちはとうの昔に失せていた。たしかに先ほどの大金を見た時は、これは尋常なことではないと思ったが、よくよく考えればそれほど大した話ではないのだ。
あの大金は、この少女が家からクスねてきたものに違いない。かなりの額だが、家の子供ならどこに金が隠されているのか知っていても可笑しくはないだろう。家族と喧嘩したか、友達と揉めたか、あるいは使用人にいじめられているのか。いかなる理由か分からないが、ほんのちょっとした恨みがある人間の物を俺に盗ませて、復讐でもしようという目論見のようだ。
「使用人にお小遣いをとられたかい? それともお姉ちゃんのぬいぐるみ? 友達に貸した本が帰ってこない? 家庭教師の魔法使いがウザイかい? お兄さんに何でも言ってみな。その札束一つでどこにでも盗みに行ってやるよ」
すでに大した依頼ではないとタカをくくっていた俺は自信満々に胸を叩きながら言った。
「どこにでも、ですか?」
「おうさ。どこにでもだ」
「王立魔法図書館」
「え?」
「第一地区にあるデトロン王立魔法図書館に盗みに入ってもらいたいのです」
正直に言おう。俺は本日二度目の驚愕を体験した。
頭の中は突如にして真っ白となり、言葉は何も出てこなかった。ただ左の頬がひくひくと痙攣し始めただけで。




