デトロン人は驚かない
デトロンの街で育った人間は一秒先に何が起きても不思議ではないということを知っている。魔法と科学、貧困と富、服従と征服、悪と正義、栄光と没落――デトロンは、無秩序という舞台の上で、ありとあらゆる概念が日常というドレスを着てダンスをしている街だ。
もし世界が終わるとしたら、それはこの街から始まる。もし世界が救われるとしたら、神はこの街に現れる。
デトロンの住民がよく囁く決まり文句である。どこのどいつが思いついた言葉なのかは誰も知らない。今のところ世界は終わってもいないし救われてもいないようだが(世界が終わるかもと思うような事件は何度か体験しているが)、病を患った悪魔が見る白昼夢のようなこの街を語るには、それほど悪くない台詞だ。ヨソ者が聞けば、デトロン住民特有の過剰な自意識を笑うことだろう。たしかにデトロンに生きる連中は、どいつもこいつも自分を救世主だと思っている節がある。嘲笑されるのも仕方ない。だが、大事なことはこの街に生きる住民はみな、この文句を大真面目に囁いているということだ。或る者は魔力で人の首をへし折りながら、或る者はネズミのはらわたのような路地の片隅に蹲りながら、或る者はビーカーの底に映る己のひん曲がった鼻を見つめながら。外から見ているだけでは分からないこともある。一秒ごとに何かが生まれ何かが消えていく、この調和なき錯綜の先に、一体何が産み落とされるのか、それは中にいても分からないというだけで。
さて、そういうわけでデトロン人は驚かない。滅茶苦茶とハチャメチャの落とし子のような日常を送っていくうちに自然とそういう感情を忘れてしまうのだ。俺もその一人である。この街に移ってきたのは十二の時で、その後十五年間この街で生き続けてきたが、つい先ほどまでの俺ならば、最後に驚いたのはいつの話だったかと問われても、トンと思い出すことが出来なかっただろう。
“つい先ほどまで”。大事なのはここだ。何故なら、たった今。俺は、実に、誠に、心底、驚愕する出来事に遭遇しているからである。
驚くことが久しぶりすぎて、驚き方も忘れていた。口をポカンとあけ、目を見開き、というのが正しい驚愕の表情だったと思うが、俺は電気を流されたカエルの死体のように、ただ頬を痙攣させるのが精いっぱいだった。両頬ならまだよかっただろう。しかし、右頬の筋肉からは何の反応もなく、左頬のみが釣り針を引っかけられでもしたかのように吊りあがっている。ぴくぴくとさせながら。
「か、変わった笑い方ですね」
振り向いた瞬間は緊張と愛想笑いが綯交ぜになっていた彼女の顔が、俺を見るなりギョっとした表情に変わった。見開かれた目のさらに瞳孔に宿る呆の色、はっと息を飲む口元に差すかすかな恐怖の皺、反射的な体の縮み上がり。そうだ、それが正しい驚愕の反応だと俺は思い出しながらも、左頬の痙攣を止められなかった。
見知らぬ少女が、我が店のドアの前で立っていた。




