水を求めて……
僕が追いかけていることを確認すらせず、その生物はずんずん奥へと進んでいく。まあ、森の中だから奥も何もないのだが、それでも周囲はいっそう木々が茂り、そのくせ地面は背の高い草で覆われていた。
徐々に薄暗くなっていく世界の中を、僕は躊躇なく歩く生物の背中をついていく。
しかし、やはり見えると見えないとでは心の持ちようが違うらしい。
徐々に鬱蒼と茂り始めた木々は太陽の光を遮り、辺りを薄闇へと変えていく。しばらくは木漏れ日もあったのだが、次第にそれもなくなっていき、段々と見えにくくなってくる周囲は僕の心の焦燥を掻きたてた。
そのせいか、目の前を歩く犬のような狼のような生物が、僕を地獄へと誘っているようにさえ考える様になってきた。腰ほどまである草は鉄棒で掻き分けて進まなければならず、それでも鬱陶しく僕にまとわりついてくるし、周囲の木々は居丈高々と僕を見下ろしてくる。
回れ右をして逃げ出してしまおうか。
不意にそんな考えが浮かび、それが正解の選択のような気さえ沸き起こる。
けれども、水の確保は急務であるし、この目の前の生物から離れた所でやはり当てもないのである。
僕は、次から次へと湧き上がる不安や焦燥といったものを懸命に奥に押し込めて、後を付いて行った。
それは唐突であった。
高くなった草に生物の姿が隠れてしまったため、僕は生物が揺らす葉を見ながらその方向に進んでいた。それが、突然消えたのだ。
理由は明らかであった。
目の前に池があったのだ。いや、湖なのかもしれない。
そこはポッカリと穴が開いたように太陽の光が当たり、水面がそれを反射して眩しいくらいの光を辺りにまき散らしている。湖面は輝きを帯び、その真上中空ですら不思議な輝きを持ってある種幻想的な風景を作り出していた。
僕は慌てて駆け寄ると、汚れることも厭わずに地面に膝を付き、ぐいっと湖面に顔を近づけた。
驚くほどに澄んでいた。底が見えるのではないかとさえ思えるくらいに透き通っており、また森の中にあるというのにもかかわらず人工的な何かを疑ってまうほどに綺麗であった。
飲めるのだろうか。
そんな考えが頭をもたげる前に、僕は湖面に口をつけていた。
喉を鳴らして水を飲む。
次第に潤されていく渇きに、体を駆け巡る爽快感に、僕は止まることなく水を飲み続けた。
奇妙な味であった。別段不味いというわけではない。むしろ、美味しいとさえ感じることのできる味であった。
しかし奇妙なのである。甘いような気もするし、少し塩気があるような気もする。かと思えば、水であるのに鼻をくすぐる香ばしさを感じたり、喉を柔らかく刺激する酸っぱさもある。
喉を鳴らし続け、これ以上飲めないというほどに堪能した僕は、腹が膨れているのにもかかわらず若干の名残惜しさを感じながら湖面から口を離した。
「美味い……」
言葉にすると、さらにその味が舌の上で強調されたような気がした。
ふと横を見ると、ここまで連れてきてくれた犬のような生物が、じっとこちらを眺めていた。恥も外聞もなく水に飛びついたことに対するものなのか、なんとなくその生物の目線に気恥ずかしさを覚えた僕は、誤魔化す為にもとっさに言葉を口にした。
「あー、ありがとうな」
そんなことを口にして頭を撫でようと手を伸ばすと、生物はその手をかいくぐり、草むらの奥へと消えていく。
「あ、おい!」
呼び止めてみるも、すでにその姿は草むらの中にあり、止まることなく遠ざかって行った。
「なんだよ……」
あくまで犬のような生物ではあったが、それでもこの世界に来て初めての生き物だった。さらには、人の言葉を理解しているようにさえ見えた。それだけに、僕は話し相手を失ったような寂しさを感じてしまっていた。つい先程まで獲って食われるのではないかと疑っていたにも関わらず現金なやつかもしれないが、それでも僕は、あの中途半端に可愛くどことなく奇妙な生物にどこか親しみを覚えていた。
草を揺らす影がすっかりと遠ざかるのを確認すると、僕はゆっくりと立ち上がり大きく伸びをした。
今朝の曇天はいつの間にかどこかへと行ったようで、手を伸ばした先には気持ちのいい青空が広がっていた。
「帰るか」
そう呟くと、もう一度目の前の湖へと目を向ける。もしかしたら池に分類されるのかもしれないが、とはいえ、僕は目の前のオアシスとも言うべき水源を確保できたという事実に、思わずほくそ笑んでしまう。
これで水の心配はしなくて済むはずだ。ここが家からどの程度離れているかは分からないが、そう遠くもないだろう。
そう思えば、偶然にせよこの水源を見つけることができたのは思いがけない幸運であった。
僕は僕に幸運をもたらした生物が消えて行った方に目をやると、感謝の意を示すために静かに合掌をして、その場を後にした。
帰り道、どこに池があるのか忘れないように、手当たり次第に木に目印をつけて帰る。来るときは不安を煽り立てた木々の暗がりも、不思議と帰りは気にならなかった。
後で道でも作ろうか。そんなことを考えながら、水源を確保したことによる足取りは軽く、鼻歌交じりに山を登る。
程なくして僕は家のあるカルデラへとたどり着いた。
「案外近かったんだな」
散策する方向が違っていたために今まで見つけられなかったことが悔やまれるが、それでも今更言っても栓のないことである。
空を見るとまだ日が沈むには時間がありそうで、太陽が僕を静かに見下ろしていた。
「汲みに行けるかな」
帰ってくるときの体感時間を考えると、行って戻ってくるだけの時間は優にある。
問題は凶暴な生物だとか、道筋だとかになるのだが、
「ま、大丈夫だろう」
久しぶりに気分が高揚しているせいか、特に考えることもなく楽観的な結論を出す。実際に犬のような生物がいたのだから、この山に生物がいないのかもしれないという推測は的を大きく外していたことになるのだが、かと言って、他の生物を恐れてばかりでいられないのもまた確かなことである。どうせあのオアシスには遅かれ早かれ水を汲みに行かなければならないのだし。
そうと決まると、僕は家に戻って手ごろなバケツを一つ探し出す。バケツと言っても、片手で持てるような持ち手は付いておらず、形も円筒形と言うよりかは四角に近い。深さは手の先から肘くらいまでとそこそこ大きく、容量をなるたけ確保するためかバケツの両サイドに取っ手用の穴が開いているのではなく、四角い木片が突き出ていた。
僕はバケツを手に取ると、今度は壁裏の物置を漁り出す。そこから適当な布を何枚か引っ張り出すとそれを肩に掛けていた麻袋に詰めていく。できれば布は色付きが良かったのだが、そう都合がいいわけでもなく、何の用途に使ったのか分からない一メートルほどの白い布きれしかなかった。試しに手で切り裂いてみたが、案外切れるようだったのでいくつかに切り分けて詰めていった。
準備が整うと僕はバケツを脇に抱え、鉄棒を片手に持ち、肩には千切った布を詰めた麻袋を掛けて再び先程のオアシスへの道を進みだした。
帰り際に木に付けていった目印を確認しながら進んでいく。麻袋に詰めた白い布切れは木の傷跡に代わる目印として、適当な枝に括り付けていく。
そうやって何事もなく湖に辿り着くと、バケツ一杯に水を汲み、鉄棒は腰のベルトに差して、来た時に括り付けた白い目印を頼りに来た道を戻る。
心配したような凶暴な生物との遭遇はなく、重いバケツを両手に抱えながらも、軽い足取りで僕は家路についた。
もしかしたら今日もう一話更新できるかもしれませんが、ここ二日ほど二度更新しているので、元来遅筆な私に期待などしないでください。
山とかカルデラとか見たことのない私が書いているので、矛盾点があると思います。が、正直、あまり直す気はありませんのでご了承ください。もちろん、誤字脱字や内容に大幅な修正が必要でない場合等は限りではありませんが。
とにかく、いつ主人公以外の人が現れるのか気になって仕方がありません。お願いですから、どうにかしてください自分。
ということで、私の要望により、きっと近日中に面倒な話を二、三行ですまして誰か人間が登場すると思います。ただ、確約はしないのであしからず。
以上
読んでくださってありがとうございました。またの御来読?をお待ちしております。