小部屋の中の日本
「……」
扉を開けると同時に僕は言葉を失った。
そこには日本があった。いや、言葉を変えよう。和式な世界があった。
ここは異世界ではないのだろうか。日本のどこかなのだろうか。
そんな考えが過り、思わず頭を振ってそれを否定する。
間違いなくここは異世界だ。それは外の景色が証明しているし、謎の植物だって、何なら僕の記憶ですらそれを証明している。
にもかかわらず目の前に広がるのは純和風な世界。それが指すところはつまり、
「日本人がいた……?」
言葉にしてみると案外とそれが正しいような気がしてきた。
そんなことを思いつつ、恐る恐る足を踏み入れる。
と、その前に。
「すみません!誰かいますか!?」
入ってすぐ目の前には土間があり、すぐ左手には座敷があったので誰もいないことは見て取れたが、それでもどこかに隠れていないとも限らない。そう思って声をかけてみたが返事はない。
「お邪魔しまぁす」
僕はゆっくりと足を踏み入れた。
土間は真っ直ぐ奥まで続いており、右手の壁際には石造りの台所が設置されていた。土間に入ってすぐ左手には一段高くなって座敷が敷かれており、中央には囲炉裏が見える。
「あのー、お邪魔してますよー」
声に出してみるが反応はない。だれもいないのだろうかと、あくまで慎重な足取りで中へと入る。
座敷に腰を掛けて靴を脱ぐと、座敷に上がる。ホコリが巻き上がったりするのだろうかと思いながら、足を踏みだすが、別段ホコリが舞う気配はない。むしろ、不気味なくらい清潔に保たれている。
つい最近まで誰かいたのだろうか。もしくは、今もなお住んでいてどこかに出かけているとか。
そこまで考えて思わず後ろを振り返ってみたが、やはり誰かいる気配も来る気配もない。もっとも、気配なんて曖昧なものが本当に感じられるのかはいたく疑問だが。
「ん?」
辺りを適当に散策していると、壁の一部が剥がせるようになっていることに気が付いた。一部と言っても壁一面分くらいはそうなっている。寄り掛かった拍子に壁が外れた。
四苦八苦して壁を外してみると、そこには本棚があった。大小厚さも含めて様々な本が壁一面に所狭しと並べられている様は圧巻であったが、それ以上にそこに書かれている文字に僕は驚いた。
「日本語だ……」
一番最初に目に入った本の背表紙には、紛れもなく日本語で文字が書かれていた。
『アギレラの奇跡』
そう書かれた本を手に取ってページを捲る。捲る。
間違いなく日本語であった。ほんの最近まで触れていた言葉であるのに、どこか懐かしく感じた。
「やべえ。日本語だ……」
次から次へと本を手に取って確認していく。一冊一冊を手に取ってはページを捲って確認し、足元に頬り投げていくものだから、自然と足元には本がうず高く積まれた。
それでも、嬉しかった。本がどれだけ堆く積まれようとも、そこに日本語があることが無性に嬉しかった。
半々くらいだ。もしかしたら若干すくないかもしれない。何冊目か、もしくは何十冊目かの本を足元に放り投げた所で、僕は手を止めた。
日本語と、読めない言語の割合がその程度。
そしてもう一つ。日本語の本は明らかに手書きであった。
「とはいえ、腹が減った……」
言葉というものはやはり力を持つのだろう。口に出した途端に、腹が音を立てた。
「何か食うものを探さないと」
とはいえ、アテがあるわけではない。適当に台所の辺りを漁れば何か出て来るんじゃないだろうかなどと、完全に我物顔で物色していると、案の定地下に続く階段を発見した。
「当たりじゃないですか」
目の前に広がる畑に目を丸くしながら呟く。せいぜいが食糧庫か何かだと思っていたのだが、その考えは大きく外れていた。目の前には畝が連なり、遠くには中規模程度の温室が見える。左を向けば水田が広がり、右からは家畜の鳴き声が飛んでくる。
それらは明らかに管理されていたものであり、今もなお管理されているはずのものである。そうでなければ、ここまで野菜は栽培できないだろうし、稲の穂はあんなにも金色に実らないであろう。
湿り気の残る地面を歩きながら、僕はゆっくりと歩き回った。どうやら、日本人がいることは間違いのないことのようで、キャベツやらブロッコリーやら、トマトやらキュウリやら、カボチャやら白菜やら、旬だとか季節だとかに関係なく日本の野菜がそこには栽培されていた。
僕は目に付いた野菜を片っ端から食べて行った。さしたる理由はない。ただ腹が減っていたのである。
もしかしたら誰かが住んでいるのかもしれないが、というよりかは、間違いなく誰か住んでいるのだろうが、これだけあるのなら少しだけもらったところで文句は言うまい。
「しかし」と、さながら立ち並ぶ露店からの買い食いのごとく、次から次へと目に付く野菜を口に入れながら思う。
どういうことなのだろうか、と。所々によって急に冷え込んだり、暑くなったりと気温に変化がある。いや、それが野菜が栽培される季節によって分けられていることは知っているが、どうしてそんなことが可能なのだろうか。不思議に思って見上げてみても天井には冷房も換気口も温度を調節するようなものは見当たらない。ただ青色と赤色の光が天井にあるだけである。
周囲を一通り物色し、腹が満たされたところで僕はその地下を後にした。何がどうなっているのか、分からないことの方が多いが、これ以上地下を探し回った所で他に何かあるとも思えない。
「さて、どうしようか」
そう呟いて、特段何をする気にもなれなくて座敷に寝転がる。い草の匂いとも違う、柔らかな香りが鼻に広がった。その香りに不思議と郷愁を覚えながら僕は静かに眠りについた。
*
どうやら、今はここに誰も住んでいないらしい。
七日ほど過ごした中で、僕はそう結論づけた。もちろん理由はそれだけじゃない。何よりも一番の理由は、囲炉裏に掛けられた鍋の中に「遺書」と書かれた紙が折りたたんで入っていたからだ。それは色褪せた和紙に書かれていた。
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遺書
私、此木廉次郎はこの地、アスガトルデに生きたことをここに記す。
願わくば、この身朽ちるまでには元の世界へと戻りたかったがそれも叶わず。それでもせめて、悔いのない最期を送ろうと思ったがそれもできそうにない。今もなおこの体は呪われた魂の一部を宿し、内側から食い破らんと叫喚を上げる。魂をこの身に宿して以来長いこと押さえつけてきたが、すでに体は衰え限界も近い。私が死ねばいずれ魂は私の体を糧として、この世を再び混乱と混沌の極致へと陥れるだろう。
だがそうはさせない。私には魂をこの身に宿した責任がある。大切なものを守る務めがある。
私はせねばならない。この身を賭してでもこの魂を永遠に封じ込まねばならない。
アイラよ、エリオアよ、ビンズよ、私の愛しい子らよ、許してくれ。先立つ私を許してくれ。最後まで我儘な私を許してくれ。身勝手な私を許してくれ。情けない父親を、許してくれ。
そして、リリアナ。私の愛しき妻。君には苦労ばかりかけるが、どうか子供たちを頼む。どうも約束を守れそうにない。君が死ぬその時まで君の傍にいれそうにない。再び、君に逢えそうにない。だから、新しい約束を立てようと思う。死んでもなお君を愛そう。もしこの世界に再び生まれ変わったのなら、すぐにでも君に会いに行こう。だから、ごめんよ。そして、今までありがとう。
アイラ、エリオア、ビンズ、そしてリリアナ。君たちに出会えて本当に良かった。君たちと過ごせて本当に良かった。君たちの父親で、夫で、本当に良かった。幸せな時間をありがとう。ありがとう。
何週間かぶりの更新ですいません。
と言いつつ次も不定期です。気が向いたらでいいのでまた来てください。