長男の嫁 前編
本人的には未経験ですが、身内を通した経験しかありません。
こんなご家庭もあるかも知れない、そう思いながら打ち込みました。
突然だが、私は大変大きなため息をつきたくて堪らなかった……が、我慢した。
私に限らないけど、酸素を必要とする生き物が吐き出すのは二酸化炭素だ。地球に優しくないのは良くない、例え私が一度に吐き出す二酸化炭素の分量が多くても少なくても、それは地球に対してほとんどどころではない程度に意味がないとしても。
「馬鹿か、お前ら」
「お父さんっ、ひどい!」
ええと……一応紹介します。
目の前で似合わない和服を着こなしているのは、顔つきと体つきが華奢だけどそれなりに世代を重ねた父です。努と言います。
「何か?」
いいえ、ダディ。私は首を横に振って応えますよ……ほんと、勘が鋭いんだよ我が父は。
んで、その横で半泣きと言うかエプロンで涙を拭きながら「ゆうちゃん、お兄ちゃんが電話……ゆうちゃん?」と電話の子機片手にきょろきょろしているのは母です。主婦です。見た目からだと年齢は判りにくいけど、私が三番目だからそれなりの年齢ですよ……母が後妻じゃなければね。
「有理ならたった今出て行った……大方、田中さんの所にでも御邪魔しているんだろう……全く」
苦々しい顔で口にする父は、懐に入れていたらしい新聞紙をざっと広げて読み始める。
母は母で「お兄ちゃんが電話に出ないのよ、お父さん!」とか言っているが、父の無視力はいつもの事ながら素晴らしいと思う。見習いたいものだ……私は私で、キッチンのテーブルで勉強してますよ。大人しくね。
「もう、ゆうちゃんったら早く帰って来ないかしら?
まったく……彼女……が、あんな態度取るからお兄ちゃんまで機嫌悪くなっちゃって……」」
ゆうちゃん、こと有理は兄です。二番目の。
大学二年で浪人と落第しているから22歳だけど二年生です……お父さん、「大学四年分」までの資金しか出さないって言ってた割に落第までして大丈夫かなあと言う気はしないけど、私は私で頑張らないといけないので無視です、無視。
「友子、お前……まさか貴子さんの名前も覚えてないのか? 克敏が連れて来た嫁なんだぞ?」
父は見かけと同じで声も同年代の小父様達に比べると、何となく高い……のか、なあ? と言う気がたまにします。今は、どうやら無視出来ないレベルで怒っているのでしょう……頑張って声を低くしています。
母は、一瞬だけ動作を止めてそうっと父の視線から逃げようとしていますが……母よ、貴方って人は……。
「まだ嫁じゃありません! 結婚してないんですから!」
「お前は誰を克敏が連れてきても不満で、認めるつもりなどないだろう」
父、びしっと一刀両断です。素晴らしい。
母、ちょっぴり涙目です。当然ですね。
「わ……私はっ……!」
「友子、お前が克敏の連れて来た貴子さんを認めたくない気持ちは想像がつく。だが、間違えるな」
「お父さん……」
克敏、と言うのは一番上の兄です。私とは随分と年齢が離れているのですが、かと言って父親と言う程は離れていないけど一番父に似ているのが長兄だと思います。私は……外見は母かも知れないけれど、中身は確実に父寄りだとよく兄達に言われます。そうかな?
貴子さんと言うのは、先ほどまでここに長兄が連れて来た女性です。とても格好良いお姉さまで、兄しかいない私からしてみると理想のお姉さんと言っても過言ではありません……それに、私ちょっと知ってるんです。
貴子さんは、長谷部貴子さんと言います。
私の通っている高校は貴子さんが出身でして……なんと、高校から大学、今の会社に至るまでついたあだ名が雪の女王様。氷じゃない所がポイントですね、元は高校の文化祭で雪の女王を演じた時がすごいはまり役で男性より女性ファンがものすごく着いたんですよ。まさに女性歌劇団のトップスター並で。顔つきが派手で背丈も高く、成績は良いし手先も器用……運動は少し得意ではないとオブラートに包みますけど、文化祭の時の衣装姿は今でも近隣の高校以上の女子生徒の間ではトップグループの売上だそうです。写真部の。
長兄が貴子さんを連れて来た時、私は流石に表情が変わるくらい驚いたけど声を上げなかった自分自身を褒めてあげたい……長兄と父には気づかれたと思うけど。
「でも、お兄ちゃんは友美恵ちゃんと……」
「だから言っただろう、間違えるなと。
結婚するのもしないのも、母親である友子の意見は参考程度で決定権は克敏本人にある」
「それは……そう、ですけど……」
友美恵と言うのは、お隣の田中さんちの姉妹で姉の方です。
うちの長兄と隣の家の姉の方と次兄は、うちが引っ越してきてからの幼馴染だそうで私と隣の家の妹の方が後から生まれて追加された感じです。
妹の方は千香子と言って、私と違って活発で努力家な良い子ですよ……少なくとも、母は隣姉と長兄が結婚してくれたらいいとずっと言ってましたし、二人が付き合った事を聞いた時は浮かれましたね……別れてから聞かされたから突き落とされましたけど。
「第一、私は克敏が彼女と結婚すると言ったら友子と離婚してでも関係を断ち切るつもりだった程度には反対だ」
「え?」
ぱーどぅん?
父よ、それ一体どういう事ですか?
「発音はもっと正確にしなさい、文乃……」
あ、申し遅れました。
私は花沢文乃、この家の末っ子にして長女です。
「私は基本的な所だけならば、子供達がどこの誰と結婚しようが道徳や法律に違反する事さえ無ければ構わないと思っている」
倫理観の問題だけど、これはある意味で父の発言は普通だろう。
家同士の繋がりとか言うのは、今時はちょっとしたご家庭でも中々聞かれないんじゃないだろうか?
そりゃ、セレブな歴史とかお金のある家なんかはともかく。
「友子はノイローゼになるレベルで克敏の妻に押していたが……『隣の家の娘』と『息子の嫁』では立場が違う。それを踏まえる事は甘ったれなお前達には到底無理だ。『長男の嫁』としてあの子が立つ事を私は許すつもりは欠片も無い」
「ど、どうして……」
「友子は態度を変えず、彼女も『花沢家の嫁』ではなく『田中家の娘』としてふるまう事になるからだ。そうして友子が甘やかし、彼女が甘えた関係がどれだけ続くと思う?」
想像力が働かない母には想像が出来ないみたいだけど……何となく、私は想像出来ないわけでもない。
隣姉は、ご両親の実家が小金持ち的に金持ちだった事もあってそれなりに裕福に育てられたらしい。今時、単純な主婦オンリーな生活が出来る奥様と言うのはそこまで多くない、我が家の母は環境が暫く国外だったのと父がそれなりに高給取りだから何とかなっているけど、子供三人がいて補助金なんてあんまりない時代だったんだから本来は外で働いていたとしてもおかしくは……何故だろう、仕事先が見つからなくて結局は家に居る母しか思いつかない……。
そんな事はともかく、何不自由なく育った隣姉が5歳の頃に私と隣妹が生まれた。同時に、隣の家のお父さんがリストラか何かで仕事を辞めて実家の遺産で食べていたらしいけど、それだけでは生活が苦しかったのだろう。生まれて間もない隣妹をうちに預けたりして隣の家の小母さんもパートに出る様になったそうだ。
うちの母はのほほんとしたお人よしな所があって、姉妹まとめてうちの子だと言って私達は五人とも兄姉弟妹として分け隔てなく育てられたわけだ……そもそも、それが間違いなんだろうね?
続きます