2章―5
レオンに逢いに行く。
そのために、ミリアはその夜再び寄宿舎を抜け出した。
明日は休みだ。
霊園を訪れるだけであれば、何も今日危険を冒す必要はない。
だが、それでは駄目なのだ。
実のところ、ミリアはレオンと出会って間も無い頃、彼に逢うために日々足繁く霊園を訪れていた。
けれど結局、再会を果たすことはかなわなかった。
いつ行っても彼は見つからず、逢えないまま時は移ろい、次第にミリアの足は霊園から遠のいていった。
そうしていつしか少年との思い出は、記憶の地層の奥深くへと埋もれていってしまったのだ。
七年前と昨日、ミリアがレオンと遭遇したのは決まって夜のことであり、そして、彼に逢えなかったのはいずれも日中のことだった。
ゆえに今夜なのだ。
休日は夕方を除き、食事も礼拝も集団ではなく個人単位で行われる。
今夜であれば、最悪朝までに寄宿舎に戻れなくとも脱走が露見することはまずない。
今宵は日が昇るまで、とことんレオンを探すつもりだった。
昨日は突然の再会と予期せぬ拒絶に心が浮足立つばかりで、釈明はおろか、ろくに謝罪を述べることもかなわなかった。
けれど今日は違う。
必ずレオンを見つけ出す。
そして、逢ってきちんと話すのだ。
メシア教の総本山。
西域最大の都市国家。
――などと言っても、市街地を離れれば聖都も他の都市と何ら変わるところはない。そこには豊かな自然が広がるばかりだ。
聖都郊外。
無事寄宿舎を抜け出すことに成功したミリアは、一路ゴルゴダ霊園を目指して夜の草原をひた進んでいた。
今宵は新月。
空に月の姿はない。
もっとも、辺りは遮るもの無き草原地。
身辺を見通す程度であれば、ランタンの灯りと星の煌めきだけで十分に事足りる。
空に雲が無いのも幸いだった。
「それにしても、ヘレンには感謝しないといけませんね。……いえ、この場合は先輩方に、でしょうか」
しみじみと呟きながら、懐におさめられた手記を布地越しに撫でる。
手記はヘレンの持ち物で、彼女曰く、卒業生から在校生へと代々受け継がれてきたものらしい。
内容はと言えば、要するに学校生活における裏技本のようなもので、その中には夜の見回り時間や巡回経路、校外へと出るための秘密の抜け道など、寄宿舎を抜け出す上で必要な情報も事細かに記されていた。
昨夜ヘレンに借りたまま、すっかり返しそびれていたものだ。
昨日今日と事無く寮を抜け出せたのも、この手記によるところが大きかった。
ほのかに輝くランタンを手に、ミリアは黙々と歩を進める。
ゴルゴダ霊園も聖アリシアもともに聖都郊外に位置しているが、一言に郊外と言っても両者の距離は決して近しいわけではない。
神学校から霊園の突端まで、軽く見積もっても徒歩でおよそ一時間弱といったところだろう。
女子供が踏破するには、いささか堪える距離である。
まして――
「――にゃあ」
「いい加減、降りてはもらえませんか?」
寄宿舎を抜け出す際にばったりと遭遇して以来、我が物顔で己の肩に居座り続ける黒猫を、ミリアはちらりと横目で見下ろした。
ここに至るまで幾度も繰り返してきたやりとりだけに、抗議の声には最初から諦念がにじんでいる。
案の定、ダビデはべったりと腹這いに張りついたまま、ミリアの肩から離れようとはしなかった。
重さそのものは別段大したことはないのだが、こう長いこと居座られ続けていると流石に疲労も溜まってくる。
さりとて愛らしい猫を邪見に払いのけることなどできようはずもなく、ミリアはただただ溜息をつくばかりだった。
「もうそろそろといったところでしょうか……」
気を取り直して顔を上げる。
やがて、遠目にぽつりぽつりと十字の墓標が見え始め……
「――えっ?」
ぞわりと、身体の芯から悪寒が這い上がる。
出し抜けに襲いきた予期せぬ感覚に、ミリアは身を竦めるよりも先に戸惑った。
悪寒は昨夜霊園で感じたのと同じ質のものだ。
だが、それゆえに解せない。
暗闇への苦手意識は相変わらずミリアの胸に巣食ってはいるが、レオンとの再会に期待と不安を膨らませる今の彼女には、それも微々たるものだった。
夜の墓場の不気味さに当てられたのかとも思ったが、それも何だか腑に落ちない。
昨夜とは異なり、今宵のミリアには明確な目的意識と覚悟、そして何よりレオンという心の拠り所があった。
にも関わらず、悪寒は減ずるどころか増殖の一途をたどっていく。
肌が粟立つ。
得体の知れない忌避感が、おのずと歩調を鈍らせる。
頭の古傷がズキズキと何かを訴えるように疼きだすに至って、一つの疑念がミリアの胸裏を埋めつくした。
もしかして、自分はまだ何か大切なことを忘れているのではないだろうか?
「ここまで来て、何をへたれているのですか」
しっかりしろと頬を張り、己自身を叱咤する。
服の上から、すがりつくようにぎゅっと首元の十字架を握りしめ、ミリアは毅然と前を見据えた。




