2章―3
「悪魔?」
「本人の言い分を信じればね。
何でも目が赤く光ってたーとか、尻尾が生えてたーとか、やたら馬鹿でかかったーとか……どうせ見間違いだとは思うんだけど、少なくとも本人は信じ込んじゃってるみたいで、あれは悪魔の一点張り。
レベッカったらそれですっかり怖がっちゃって、部屋から出てこないのよ。仕方ないから、シスターたちには風邪をひいたってことにしてどうにか誤魔化しといたわ。
まあ幸い、明日は新学期早々休みだし、その間に何とかして立ち直ってくれればいいんだけど……」
そう言って気まずげに肩を落とすヘレン。
普段は溌剌と揺れているツインテールの栗毛も、今は心なし力無く垂れさがっているように見える。
事の言い出しっぺだけに、何だかんだで責任を感じているのだろう。
「なるほど、それで……」
ミリアは得心の呟きを漏らしながら、頭の片隅でちらりとレオンのことを思い浮かべた。
おそらくレベッカが見たという悪魔とは彼のことだろう。
赤く輝く瞳と言えば彼を示す大きな特徴の一つであったし、昨日彼はミリアの頼みに応じて、はぐれたヘレンたちを探してくれていたはずだ。
姿形についてもあの暗がりの中だ。
遠巻きに、それも恐怖に駆られた心理下において遭遇したのであれば見誤ったとしても不思議はない。
件の噂を事前に耳にしていたことも、赤い目=悪魔という図式を成り立たせる大きな要因になったことだろう。
「――どうしたのミリア?」
ヘレンは不審そうにミリアの顔を覗き込んだ。
どうやら自分でも気づかないうちに、すっかり考え込んでいたらしい。
「……いえ、何でもありません」
ほんの数瞬、彼のことを話そうか迷った末、ミリアはそっと頭を振った。
悪魔ほどではないにせよ、目が光る人間というのも十分に胡散臭い話だ。
ヘレンにしろレベッカにしろ、話したところで信じてはくれないだろうし、だからと言ってわざわざ本人に引き合わせるほどの必要性も今のところは感じられない。
それに、今はそれどころではないのだ。
「あーあ、それにしても長期休暇明けてすぐに週末って……だったらいっそ今日ぐらい休みにしてくれればいいのに。ううう、かったるい。早く今日一日終わらないかなー」
ヘレンはぶうたれながら、行儀悪く座席を傾け、頭の後ろに両腕を回す。
「何を腑抜けたことを言っているのですか? 次の授業は猊下が教鞭をとられるのですよ。もっとシャンとしてください」
「……その台詞、今日のミリアにだけは言われたくないなー」
じっとりと頬に突き刺さるヘレンの半眼を素知らぬ顔で黙殺し、ミリアは席を立った。
「あっ! ちょっと待ってよ!」
ヘレンもすぐに隣に並び、二人は昼食をとるべく連れだって食堂を目指す。
「でさ、結局ミリアの悩み事って何なわけ?」
「……ですから、別に悩み事なんてありません。ぼーっとしてたのは単なる寝不足が原因ですし、昨日寝つけなかったのも肝試しの興奮が抜けきらなかっただけで――!」
「ふーん」
ヘレンはじーっと探るような視線をミリアにそそぎ、
「レオン」
「!?」
まさかの言葉に、ミリアはぎょっと目を剥いた。
「ふふん、やっぱりね」
「ど、どうしてあなたが彼のことを!?」
「彼、ね――やっぱり男か」
「――っ!!」
ミリアは咄嗟に口をおさえたが、無論一度飛び出した失言が引っ込むはずもない。
してやったりとばかりに、ヘレンは腕を組んで勝ち誇る。
「どうしても何もさっき寝言で呟いてたじゃない。レオンレオンって、それはもう甘えるような猫撫で声で彼の名前を呼んでたんだから」
「なっ!? そ、そんな声出してません! ――――出してません、よね……?」
「さあ、どうかしら?」
ヘレンは意地悪く微笑んで見せたが、ミリアが「ううう……」と恨みがましく睨みつけると、こらえきれないといった様子でぷっと吹き出し、
「冗談、冗談よ。でも意外、あのミリアが男の子に興味を示すなんてねー。
別に照れることなんてないわよ。年頃の女の子が男の子に好意を抱くのは至極健全なことじゃない」
「ち、違います! その、確かに彼に対して好感を抱いてはいます! ですがそれは友人に対するものであって、決して恋愛感情とかそういった類のものではなくて――! と、とにかく! 彼と私とは断じてヘレンが考えているような浮ついた間柄ではありません!」
しどろもどろになりながら、きっぱりと言い放つ。
しかしヘレンは疑わしげに目を細め、
「ふーん、そう。男女間の友情ねー。正直そういうのって私は信じられないけど。まあそれはいいとして――で、ミリアとレオンくんは、一体どういった事情でケンカをしているのかしら?」
「なっ!?」
図星を突かれ、息を呑む。
ヘレンは、ふふん、と得意顔で鼻を鳴らし、
「その様子だと、ずばり的中みたいね」
「……カマをかけたのですか?」
「あら、まったくの当てずっぽうってわけじゃないわよ。異性絡みで元気が無いとくれば、理由はおのずと絞られるというものよ」
「…………別にケンカというわけではありません。ただ、私のほうが一方的に彼に嫌われてしまっただけのことです」
「嫌われた?」
「〝――もう二度と、ここへは来るな″。
…………そう言われてしまいました」
鋭く突きつけられた拒絶の言葉。
硬く凍てついた氷晶の眼差し。
昨夜の顛末を思い出し、ミリアは、しゅんと項垂れた。
「……なるほど、それは確かにへこむわね」
驚きに軽く目を瞠り、ヘレンは淡く憫笑をにじませる。
「にしても一体何をやらかしたの? そこまで言われるってどう考えても穏やかじゃないわよ」
「……実のところ、理由ははっきりとしていません。ですが、心当たりはあります。説明すると長くなるので割愛させていただきますが、仮にもし私の予想通りであるとすれば、彼が怒るのも無理からぬこと――――非は、完全にこちらにあります」
ミリアはぎゅっと拳を握りしめ、血を吐くような思いでそう断じた。
無理からぬこと――まさにその通りだった。
友を称しながらその存在を忘れ、七年もの間ほったらかしにし、挙句今になってのこのこ現れたかと思えば、詫びも説明も無いまま、何食わぬ顔で久闊を叙そうというのだ。
その厚顔さ、無神経さときたら、レオンでなくともカチンとくるだろう。
ましてや、彼にとってミリアは唯一無二の友人であったはずなのだ。
それだけに、七年におよぶ没交渉が彼の心を深く傷つけていたことは想像にかたくない。
そんなことにすら思い至らず、降ってわいた再会に、ただ浮かれるばかりだった己の迂闊さが呪わしい。
あるいは、あの時ほんのわずかでも彼の心情をくみとれていれば、事がここまでこじれることは無かったのかもしれないというのに。
きつく奥歯を噛みしめる。
激しい自責と後悔が、ミリアの心を思考の泥沼へと引きずり込――
「そっか……。それでミリアはどうするの? どうしたいの?」
「えっ?」
あっけらかんと訊ねられ、ミリアは思わず虚を突かれた。
まるで出来の悪い生徒を諭すように、ヘレンは嘆息まじりに言葉を紡ぐ。
「えっ? じゃないわよ! 自分のことでしょう? レオンくんと仲直りしたいの? したくないの?」
「それは……」
言葉を失う。
考えてもみなかった。
ただただ昨日の出来事で頭がいっぱいで、先のことなどまるで思惟の埒外だった。
けれど、呆然としていたのは一瞬だった。
悩むまでもない。
考えるまでもない。
答えなど最初から決まりきっている。
「……仲直り、したいです」
静かに、だが力強く、そう告げる。
「そう。ならこの話は終わりね」
ヘレンはふっと頬を緩め、満足そうに頷いた。
胸を塞いでいた陰鬱なわだかまりが、ミリアの中からすっと抜け落ちる。
「ヘレン」
「ん?」
「――ありがとうございます」
「どういたしまして」
ミリアの心からの謝意に、ヘレンはえっへんと胸を張った。




