2章―2
「かくして支配者たちの謀略、そして弟子たちの裏切りにより、メシアは聖都郊外の名も無き丘の上――今のゴルゴダ霊園の一隅にて、その短い生涯に幕を下ろしました。
教主たるメシアの死、弟子たちの背信、人心の離散……メシア派の歴史はここで潰えるものと、当時誰もが考えたことでしょう。
ですがそこで奇跡が起こります。処刑より七日後、死したメシアは甦り、弟子たちの前に姿を現したのです。
メシアは彼らを赦し、あらためて神の教えを説きました。
弟子たちは己が罪を悔いあらため、その日を境に従順なる神の使徒として、生涯を捧げ信仰の道を邁進していきます。
そして復活から三十日後。
布教の旅へと赴く弟子たちの出立を見届けるように、メシアは今度こそ天へと召されてい――――」
「――ミリア……! ちょっと、ミリアってば……!」
耳元で囁かれる切迫したヘレンの呼び声が、夢現に微睡むミリアの意識を覚醒へと誘う。
「ん……」
しきりに脇を小突かれて、ミリアはゆるやかに目を覚ました。
「――起きましたか、ミリア・エーレンブルク」
声は教壇より放たれた。
教室中の視線が一斉にミリアへと集う。
寝ぼけ眼の半眼に飛び込んだのは、聖アリシア神学校の見慣れた授業風景。
眠気は一気に吹っ飛んだ。
「――――っ!? も、申し訳ありません!」
ミリアは慌てて席を立ち、羞恥に染まった面持ちで、ただひたすらに陳謝した。
授業中に居眠りなど、厳格をむねとする神学校においてあってはならないことである。
だが、初老の尼僧はミリアを咎めるでもなく、戸惑いのかたちに眉を寄せた。
「どうなされたのですシスター・ミリア? あなたが授業中に居眠りだなんて……。もしかしてどこか具合でも悪いのですか? でしたら遠慮せずに仰いなさい」
「いえ、大丈夫です。その、申し訳ありませんでした」
「……そうですか。ならば良いのです。お座りなさい」
シスターは釈然としない様子ながらもそれ以上は追及せず、授業へと戻った。
ミリアは決まり悪く肩をすぼめて席につく。
「――メシアは仰いました。神は貧富貴賎、人種性別の差別なく、無限無償の愛をもってあまねく万人を照らす存在。
そして、その在り方こそ、人が殉ずるべき愛のかたちであると。
弟子たちに裏切られ、民草に見限られ、そして支配者たちの欲得のまま非業の最期を強いられてなお、メシアは自らの掲げる理想を貫きました。
誰を恨むでもなく、誰を呪うでもなく、ただ一心に彼らを愛し、その罪を赦された。
その純真なる愛、その清冽たる生き様は、弟子や民だけでなく、支配者たちの胸をも打ち、彼らの心に再び信仰の火をともしたのです」
荘厳なる鐘の音が高らかに鳴り響いた。
授業の終わりを告げる鐘の音だ。
「では、今日はここまでです。昼食後は聖堂にて週に一度の特別授業――枢機卿猊下御自ら教壇にお立ちになられます。くれぐれも粗相のないよう、聖アリシアの名に恥じぬ振る舞いを心がけるように。では――」
シスターが教室を辞すると、清澄に張りつめていた空気はにわかに緩み、かわって和やかな気配が室内を満たした。
ミリアは何とはなしに溜息をつきながら、教材を机の中にしまう。
「……ねえミリア、今日は本当にどうしちゃったのよ?」
隣で同じように教材をかたづけながら、ヘレンは気遣わしげな様子でミリアを見た。
「朝からずっと様子が変よ。何を話しても上の空だし、らしくないヘマはやらかすし、それに何だか元気もないし、何か悩み事でもあるわけ?」
「別にそういうわけでは……」
曖昧に言葉を濁す。するとヘレンは不安そうに表情を強張らせ、
「……もしかして、ミリアも見たの?」
「見た? 何をです?」
怖々と出し抜けかつ言葉足らずに差し出されたその問いに、ミリアはきょとんと首を傾げた。
「ほら、今朝話したじゃない。レベッカが、その……見ちゃったらしいって……」
ヘレンの返答は、敢えて明言を避けているように歯切れ悪く要領を得ない。
「レベッカ? そう言えば今日は姿が見えませんね?」
ミリアとヘレン、そしてレベッカの三人は、仲間内でも同じクラスに籍を置く級友同士だった。
加えてヘレンは、レベッカのルームメイトでもある。
「もう、何を今更……それも今朝話したでしょ」
ヘレンは呆れ返った様子で溜息をつきながらも、あらためてその話を聞かせてくれた。
「ほら、昨日の肝試し、途中みんな散り散りになったじゃない?」
「ええ。日が明ける前に、各々無事寄宿舎に帰ってこられたのは不幸中の幸いでした」
「それで……あの娘、どうもその時に見ちゃったらしいのよ」
「見た? 何をです?」
「だから、悪魔をよ」
ヘレンは周囲を気にするように声をひそめ、そう告げた。




