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終章―1

終章



〈怒りの(ディエス・イレ)〉から四月と十日。


 あの夜の真実は教皇庁(アーク)の手により闇から闇へとほうむられた。


 無論、教皇庁(アーク)とて此度ばかりはすべてを隠蔽いんぺいしきれたわけではない。

 レオンハルトの獅子奮迅ししふんじんの活躍によって世界はからくも滅びの運命を免れた。

 〈反救世主(アンチ・メシア)〉が聖都にもたらした被害の程度も、物理的なものだけを見れば聖堂一棟という微々たるものだ。

 生じた危難の大きさをかんがみれば、まさに奇跡と呼ぶに相応しい結果と言えよう。


 だが一方で、あの夜市街全域を呑み込んだ瘴気の渦は、聖都におびただしい規模の人的な被害をももたらしていた。


 幼子や年寄り、病人をはじめ、身体の弱い者の多くがその毒牙にかかって生死の狭間を彷徨さまよい、健常な人間の中にも身体を壊し昏倒する者が続出したという。

 聖アリシアでも、長らく体調を崩した生徒の数は相当数にのぼった。


 これだけの規模の異常事態(できごと)だ。

 教皇庁(アーク)の組織力を駆使したとて到底隠しおおせるはずもない。


 疫病。

 犯罪。

 果ては終末論に至るまで、巷では事態の真相を巡り様々な流言飛語が飛び交った。


 憶測が憶測を呼び、不安が不安を煽る悪循環。

 時同じくして大聖堂への一般の立ち入りが禁じられたことも人々の動揺に拍車をかけ、聖都をつつむ不穏な空気は一時期恐慌(パニック)寸前にまで張り詰めた。


 無論、教皇庁(アーク)とてただ手をこまねいていたわけではない。


 事態の収拾をはかるべく、教皇庁(アーク)は件の一件を狂信的な異教徒による思想犯罪(テロリズム)であると発表した。

 聖都を襲った此度の凶事は彼らが街中の井戸に毒物を混ぜたために起こったものであり、事件は異教徒たちの自決によりすでに解決に至った、と。


 真実よりもよほど真実味を感じさせる筋書きだ。


 何よりメシア教圏――わけてもその中心たる聖都において教皇庁(アーク)の言を疑う者など誰がいよう。


 かくて事態はこれを機に、一気に沈静化へと動き出した。


 事が事ゆえそれでもしばらくの間混乱は続いたが、それも二月三月と過ぎる頃にはすっかりとなりを潜め、今では聖都も普段どおりの落ち着きと平穏を取り戻していた。

 そして――



      ◆◆◆



「肝試しをするわよ!」


 それは春期休暇最終日の夜。


 寄宿舎の食堂で気心の知れた友人たちと夕餉ゆうげを囲んでいた時のことだった。


『肝試し?』


 例によって例のごとき突拍子もないヘレンの一言に、一同は食事の手をとめ、きょとんと顔を見合わせた。


「そうよ!」


 ヘレンはツインテールの栗毛を溌剌(はつらつ)と揺らしながら、勢いよく身を乗り出す。


 長期休暇最後の日に、みんなでパアっと羽目を外したい。

 ヘレンの考えはおおよそそんなところだろう。

 そこまでは分かる。

 だが、


「肝試し、ですか……」

「わたしは別に構わないけど、でも――」

「どうして肝試しなの?」

「だよねー。今更よねー。最近はもうとんとあの噂も聞かないし」

「噂? ああ、夜の霊園に悪魔が出るというあれですか!」

「そう言えばそんな噂もあったわね」

「言われるまですっかり忘れてた」

「私も。その噂もう完全に流行遅れだし。大体、肝試しなら前にもやったじゃない?」

「あの時は大変でしたね。みんな途中ではぐれちゃうし、レベッカは悪魔を見たって大騒ぎでしたし」

「ほ、本当だもん! 本当に見たんだから!」

「ああ、はいはい。で、話を戻すけど、どうして肝試しなわけ?」

「そうですよ。別に羽目を外すだけでしたらわざわざ寮を抜け出すなんて危険な橋を渡る必要ないじゃありませんか?」

「誰かの部屋に集まってパジャマパーティーとかさ」

「却下! 私は外界(シャバ)の空気が吸いたいの!」


 テーブルに両手を叩きつけ痛切な形相で訴えるヘレン。

 その一言に、「ああ」と、みな得心の表情を浮かべる。


「そう言えばヘレン、春休み中ずっと補習だったっけ」

「この間の期末試験、半分以上赤点でしたものね」

「しかも追試の追試まで落としてたしね。どんだけよ?」

「自業自得」


 周囲をはばかるように、ひそひそと顔を寄せ合う一同。

 だが故意か否か、

 もっとも憚るべき相手に対して彼女たちの声は完全にだだ漏れだった。


「うう……! 何よ何よ! みんな他人事だと思って! そりゃ赤点とった私が悪いんだけどさ……でも、ちょっとくらいこっちの身になってくれたっていいじゃない! せっかくの春休みにずっとこんなところに閉じ込められて、朝から晩まで勉強勉強……! そのうえようやく解放されたと思ったら、明日からはもう新学期! 冗談じゃないわ! 学校生活最後の春休みを、このまま何の楽しみも思い出も見出せないまま終わらせてなるものですか!!」

「…………それで肝試し?」

「まあ確かに、今から外で、それも人目につかずできることといったらそれくらいしか無いか」

「でも――」

「うが――――っっ! でもも何もあるか―――――っっ! とにかく、やるったらやるったら、や・る・の―――――――――っっっ!」


 仰け反るように椅子を傾けぶんぶんと両腕を振るヘレンの姿は、もうすっかり駄々っ子のそれだ。

 やれやれと溜息をつき、苦笑を交わし合う一同の瞳に浮かぶのは、呆れ、同情、諦観、憐憫――おおよそそんなところだった。


「…………まったく、仕方ないわね」

「まあ良いんじゃない? 何だかんだであの時は中途半端(ぐだぐだ)で終わっちゃったし」

冬季休暇(ふゆ)冬季休暇(ふゆ)で、休み中みんな体調崩して行きそびれちゃったしね」

「でも知りませんよ? 私たちはともかく、もし事態(こと)が露見したらきっと今度こそ留年ですよ? せっかく補講と引き換えに進級を認めていただいたのに」

「大丈夫! そんなヘマはしないわよ!」


 一体何を根拠にそう言いきったものか。

 ヘレンはぱっと表情を輝かせながら、傲然と逸らした薄い胸板を自信満々に叩いて見せた。


「よーし! それじゃあ決まりね!」


 ヘレンは意気揚々と話をまとめ、



「……ごちそうさまです」



「――って、こら」


 一人黙々と食事を終え、場を辞すべくひっそりと椅子をひいたミリアの袖を、むんずと掴む。


「……なんでしょう?」

「何でしょう、じゃない! ミリア、参加しないつもりでしょ?」


 むっと吊り上げられた双眸が、虚偽を許さぬ力強さでミリアを貫く。


「……すいません。身体の具合が優れないもので」


 言外に不参加の意を述べ席を立とうとするミリアの袖を、しかしヘレンはかたくなに握りしめたまま離そうとしない。


「駄目」


 有無を言わせぬ物言いに、ミリアは戸惑いもあらわに硬直する。


「具合が悪いのは身体じゃなくて心でしょ?」


 そのとおりだった。


 正鵠せいこくを射抜くヘレンの指摘に、ミリアは反論も返せずに押し黙り、



「……聖誕祭」



「!」


 そして、躊躇ためらいがちに差し出されたその一言が、胸の奥底へと沈めたはずの悪夢の記憶を赤裸々に脳裏へと暴き出す。


 ぐっしょりと手を濡らす血の感触。

 冷え冷えと物言わぬ彼の横顔。


「……ちょうどその頃からよね? そうやってミリアが塞ぎ込むようになったのは。あれからもう四カ月よ? しばらくそっとしておこうと思ってあまり口やかましくしてこなかったけど、流石にもう黙ってられないわ。ねえ、ミリア。一体何があったの?」


 蒼褪めるミリアを、ヘレンは神妙な面差しでまっすぐに見据える。


 ヘレンだけではない。


 気がつけば皆固唾を呑み込み、続くミリアの言葉を待っていた。


 重苦しい沈黙。

 慎ましくも和やかな食堂の空気から、彼女たちの周りだけがぽっかりと切り離される。


 ミリアは答えない。

 答えられない。


 恐ろしいのだ。

 それを口にすることが。

 あの時の光景を、より克明に思い出してしまいそうで。

 だから、


「……ごめんなさい」


 逃げ出すように目を伏せて、苦渋の末に絞り出す。


 話してしまえば、少しは楽になれるのかもしれない。

 たとえ何の解決にもならなくても。

 だけど、


「ごめんなさい……!」


 今はまだ、伴う痛みに耐えられないから。

 込み上げる悲しみに向き合えないから。


「ミリア……」


 痛ましげな声。


 おそるおそる顔を上げる。


 ヘレンは哀切に眉根を歪め、じっとミリアを見つめている。

 落胆でも失望でもない。

 その(かんばせ)に滲む哀情は、まぎれもなくミリアを案じるがゆえのものだった。

 ヘレンは悲愴に濡れる眼差しをまぶたの裏にそっと押し込み――そして、物腰もあらたにミリアを見つめた。


 制服の袖から手を離す。


 つつみこむような優しい微笑。


「いいよ。話したくないなら無理しなくても。でも、いい加減塞ぎこんでばかりいるのはやめなさい。そんなんじゃ本当(ほんと)に身体を壊しちゃうわよ。つらくてつらくてどうしよもないのかもしれないけどさ。もうずっとどん底まで落ち込んでるんだから、そろそろ元気出そうよ――ね?」

「ヘレン……」

「だ・か・ら――」


 悪戯いたずらっぽく頬を綻ばせ――けれど、瞳の奥には切実な輝きを宿したまま。


「不参加なんて絶対に認めないからね!」

「そうそう」

「ヘレンじゃないけど、鬱屈としている時こそ表に出るのが一番ってね!」

「みんなで馬鹿をやるのもです」

「行こう」

「みなさん……」


 口々にかけられる温かな言葉。

 眼差しに浮かぶ深い厚情。


 外出なんて、今はまだとてもそんな気分にはなれない。

 けれど、


「分かりました」


 差し伸べられる彼女たちの厚意を、どうして無碍むげにできるだろう?


「よーし! 決まりね!」


 ヘレンはぐっと拳を握りしめ、その満面に喜色を弾けさせた。


 花咲くような溌剌とした笑顔。


 思えばこんな風に屈託なく笑う彼女を見たのはいつ以来だろう。

 ヘレンだけではない。

 ここにいる全員がそうだ。

 あの聖夜(よる)からこっち、ミリアに対する彼女たちの態度は、どこかしらよそよそしくぎこちなかった。


 当然だ。


 ミリアとて抜け殻のように消沈した友人を前にしたなら心穏やかではいられまい。


 気を揉むに決まっている。


 そして、なればこそヘレンが此度こたびの催しを発案した真の意図にも察しがおよんだ。

 先刻、彼女自身が述べた言に嘘はあるまい。

 だが、それ以上にミリアを元気づけようという意図のもと今回の件を発案したであろうことは、これまでのやりとりを振り返っても明らかだった。


 己の不明を恥じずにはいられない。


 そんなことにすら、ことここに至るまで気づけなかったなんて。

 それだけじゃない。

 涙に曇るミリアの目は、きっとこれまでも、そうやって彼女たちの厚意を見過ごし続けてきたに違いなかった。


 友達甲斐が無いにも程がある。

 見放されたって文句は言えない。

 それなのに彼女たちときたら――


 じんわりと、身体の芯が熱く火照る。


 まったく、お人好しとしか言いようがない。

 世話を焼かれるこっちの身にもなって欲しい。


 これではおちおち落ち込んでもいられないではないか。


(……レオン)


 掻きむしられるような息苦しさに、ぎゅっと胸をおさえつける。


 切なくて、苦しくて、愛しくて。

 今はまだ、とてもこの悲しみを乗り越えることなんてできないけれど。


 それでも、いつまでも膝を抱えてはいられなかった。


 支えてくれる人がいるから。

 愛してくれる人がいるから。

 だから――


「――――――」

 顔を上げろ。

 涙を拭え。

 嗚咽を呑み込み、立ち上がれ。


 そして、向かい合おう。

 彼のいない現実と。


 歩き出そう。

 彼のいない現実を。


 それこそがきっと、彼にむくいる唯一の道に違いないから。




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