1章―2
事の発端は、学友であるヘレン・シーカーの一言だった。
「肝試しをするわよ!」
それは夏季休暇最終日の今日。
寄宿舎の食堂で、気心の知れた友人たちと夕餉を囲んでいた時のことだった。
「肝試しですか?」
脈絡もへったくれもない、いきなり過ぎるその提案に一番最初に応じたのはミリアだった。
ヘレンの言動が突飛なのはいつものことだ。いちいち驚いていてはきりが無い。
「そうよ!」
胡乱な目を向けるミリアに、ヘレンはツインテールの栗毛を溌剌と揺らしながら、勢いよく身を乗り出した。
長期休暇最後の日に、みんなでパアっと羽目を外したい。
ヘレンの考えはおおよそそんなところだろう。
そこまでは分かる。だが――
「なぜ肝試しなのですか?」
「だって旬じゃない!」
愛嬌のあるくりっとした瞳を輝かせ、ヘレンはぐっと拳を握りしめた。
何とも要領を得ないその返答にミリアの疑問はますます深まるばかりだったが、どうも得心がいっていないのは彼女だけらしく、友人たちは皆ヘレンの説明に納得した様子だった。
「申し訳ありません。話が見えないのですが?」
ただ一人取り残され、釈然としないミリア。
そんな彼女を一同はきょとんと見つめ、
「あっ! そっか……」
と、内一人が何事か思い至ったように手を叩く。
「ミリア、もしかしてずっと寮にいた?」
「ええ。最低限の買い出しを除けば、この夏はずっと寮で過ごしていました」
両親がこの世を去って以来、ミリアは天涯孤独の身の上である。
帰るべき家庭も無ければ頼るべき身寄りも無く、また一時期身を寄せていた孤児院にしてもわざわざ里帰りをするほどの愛着はない。
くわえて奨学金によって生計を立てている身としては買い物や遊興に無駄な金は費やせない。
市街に出るための馬車賃ですら、ミリアには手痛い出費なのだ。
「し、信じられない……!」
ヘレンは頭を抱え、大仰な仕草でよろめいた。
「せっかくの夏休みだって言うのに、こんなところにずっと引きこもってるなんて……! って言うか、一月以上も寮にこもって一体何をやってたわけ?」
「そうですね……主に勉学と、後は読書でしょうか」
事も無げに告げるミリアに、誰もが呆れと憐憫に満ちた半眼を向けた。
「な、何ですかその顔は!? いいじゃないですか別に!? 学生が勉学に励んで何が悪いのです!? こ、こら、そこ! 可愛そうなものを見る目でこっちを見ない! ユーリは何を涙ぐんでいるのですか!? レベッカ! あなた今、決まり悪げに目をそらしたでしょ――!」
「話は分かったわ!」
バシンと力強くテーブルを叩く音が、狼狽に揺れるミリアの声をさえぎった。
「だったらなおさら肝試しよ! 味気も素っ気も無い可愛そうな夏休みを過ごしたミリアに、最初で最後の一夏の思い出を私たちが作ってあげるわ!」
瞳に熱く使命感を滾らせ、ヘレンは声高に宣言した。
そんな彼女の熱意に感化されてか、神妙な面持ちで頷きを交わす一同の姿に、ミリアはむっと口元を引き結ぶ。
「……何でしょう、この敗北感は……」
が、すぐに気を取り直し、
「まあそれはいいとして、いい加減私の質問に答えてくれませんか?」
「おっと、そうだったわね」
ヘレンを中心に、一同は最近聖都で囁かれているというある噂を口々に語り始めた。
それらはこの手の噂の例に漏れず話し手によって細部がところどころ異なってはいたが、大雑把に共通項をくくると、つまりはこういうことらしい。
「霊園に悪魔、ですか……」
ひととおり話を聞き終えたところでミリアは冷ややかに呟き、
「馬鹿馬鹿しい」
そして、ばっさりと斬り捨てた。
神学校の生徒、それも特待生としてはあるまじき話ではあるが、実のところミリアはそれほど信心深い性質ではない。
彼女が神学校に籍を置いているのはひとえに特待生としての身分とそれがもたらす様々な恩恵――奨学金をはじめ学費の免除、衣食住の保証等――を享受するためであり、また、将来聖職者という安定した職につくためのいわば布石でしかなかった。
大陸最大の宗教としてメシア教が広く深く人々の生活に根付いている昨今、聖職者になればとりあえず食うに困ることだけはない。
何はともあれ、そういった次第でミリアは悪魔などというものの存在を毛の先ほども信じてはいないわけで……第一、百歩譲ってそんなものが実在したとして、だ。
「――よりにもよって救世主の膝元たるこの聖都に悪魔などと、ずいぶんおかしな話ではありませんか? 大体夜な夜な現れると言いますが、一体どこの誰が夜中に霊園など訪れるのです? 霊園があるのは聖都の郊外で、周辺には民家もありません。墓参はもちろん、わざわざ物見遊山に訪れる物好きがいるとも思えませんが?」
「もう、ミリアは本当夢が無いわね。何もそこまでばっさり否定しなくてもいいじゃない」
淡々と告げるミリアに、ヘレンはぶうっと頬を膨らませた。
「まあもっとも、私たちも本当に悪魔が出るなんて信じてるわけじゃないんだけど」
「? ……分かりません。だったらなぜ肝試しをしようなどと……?」
「だから言ったでしょ? ――旬だからよ」
腰に手を添え、なぜだか偉そうにふんぞり返るヘレン。
「なるほど」
ミリアは嘆息まじりに呟いた。
要するに、重要なのは噂の有無であって是非ではないということか。
「話は分かりました――ですがお断りします」
「えーっ! 何で!?」
「何でも何もありません。夜中に寮を抜け出したことがバレたら大目玉ですよ。特待生というのも何かと大変なんです。そんなつまらないことで目をつけられてはたまりません。そういうわけですので、どうしても行きたいというのであればどうぞあなたがただけで行ってください」
ミリアはぴしゃりと言い放ち、この話はもう終わりとばかりに食事を再開した。
手に取ったドレッシングをドボドボとサラダにかけ、食べる。
「ミリア……」
「…………」
「それタバスコよ」
「――――――!?」
「ちょっ!? ちょっと大丈夫!?」
涙をにじませ噎せ込むミリアの背中を、隣席の友人が気遣わしげにさする。
誰ともなしに差し出された水を一気にあおり、どうにか人心地つく。
『…………』
「な、何ですかその目は!?」
気がつけば、皆がじーっとミリアを見ていた。
辛さの余韻に火照った頬が、一層熱を帯びる。
こほんと咳払いをし、ヘレン。
「ミリアさ、ひょっとして……」
「か、勘違いしないでください! べべべ別に、怖いから行きたくないわけじゃありませんから! ほ、本当です! 本当なんだから! あっ――!」
慌てて言葉を呑みこむが、時すでに遅かった。
「まだ何も言っていないわよミリア」
「語るに落ちたわね」
「怖いんだ」
「怖いのね」
「ぷぷっ――」
「なっ!? 違っ! 怖くなんかない! 怖くなんか――! 笑うなヘレン!」
ミリアは椅子を蹴倒し立ち上がり、駄々っ子のようにぶんぶんと腕を振った。
ヘレンは必死に笑いを噛み殺し、
「そっか、なるほど、へえ、怖いんだ。――ぷぷっ、あはは! ミリアも可愛いところがあるじゃない。でもそっか、それじゃあ仕方ないかー。だって怖いんだもんねー。怖がりのミリアに肝試しなんて、そりゃ無理よねー」
見え透いた挑発。
ヘレンの魂胆は明らかだ。
しかし、ここまで言われてはミリアとしても引き下がれない。
「わかりました! やりましょう肝試し! 私は別に構いません――怖くなんてありませんから!」
「そういうことなら話は決まりね!」
ヘレンは我が意を得たりとばかりに、ふふん、と満足げに微笑んだ。




