5章―1
第五章 怒りの日
冬期休暇前最後の休日。
その日、空は一面の灰色に覆われていた。
明け方。
いつものように霊園を訪れたミリアは、レオンとの相談を経てデートの決行が決まると、待ち合わせの場所と時間を話し合った後、身支度を整えるためいったん寄宿舎へと戻った。
そして、
「よし、完璧!」
顎に手を添え、値踏みするようにひとしきりミリアの全身に視線を這わせると、ヘレンは快心の笑みを弾けさせた。
「どうよ!」
居並ぶ面々を得意げに振り返り、大仰な身振りでミリアを示す。
『きゃー!』
黄色い歓声が室内にこだまする。
うっとりと上気した眼差しを一身に浴び、ミリアは面映ゆさに身をすぼめた。
「そ、そんなにまじまじと見つめないでください!」
早朝の寄宿舎。
ミリアの居室。
ただでさえ広いとは言えない室内には、ヘレンをはじめとして友人たち一同が所狭しと詰めかけていた。
「あ、あの……! 本当にこれで大丈夫なのですか? へ、変じゃありませんか?」
己の身なりを見下ろしながら、ミリアは自信無く意見を求める。
純白のセーターに赤を基調としたチェック柄のケープ。
ダークブラウンのジャンパースカートに同色のブーツ。
いつも着ている野暮な部屋着や味気も素っ気も無い聖アリシアの制服とは一線を画す、実に女性らしい服装だった。
流石に装飾品の類こそ身につけてはいないものの、顔には薄らと化粧も施されている。
馴れないお洒落にそわそわと落ち着かなさを覚えながら、ミリアは半ばやけくそ気味に叫んだ。
「似合わないなら似合わないとはっきり言ってください! お世辞は結構ですから!」
何せ女性らしくめかしこむなど初めての経験だ。
とりわけ化粧に関しては、技術の拙さはもちろんのこと、出来の良し悪しを判別するだけの審美眼すら持ち合わせていない始末である。
ヘレンにも手伝ってもらい、のべ一時間余りに及ぶ悪戦苦闘の末どうにか完成まで漕ぎつけたわけだが、果たしてその出来や如何ほどのものか……はなはだ不安は拭いきれない。
「大丈夫、ばっちりよ!」
力強く太鼓判を押すヘレンに、一同は皆口々に賛意を示し、はしゃいだ様子でミリアの装いを褒めそやす。
「前々から素材は良いと思っていましたが、これほどとは……」
「いやー、まさかミリアのこんな姿を拝める日が来るとはね」
「ほんとほんと! 乙女なミリアなんて、ちょっと前までなら考えられなかったよねー」
「嬉しいようでもあり、寂しいようでもあり……」
「子どもに恋人ができた時の親の気持ちというのは、きっとこんな感じなのでしょうね」
「それにしても、本当可愛いなー」
「ミリアたんハアハア……!」
「ユーリ! 鼻血! 鼻血!」
「あの……本当に、本当に大丈夫ですか?」
「だから大丈夫だって! これならレオンくんも絶対にいちころよ!」
ヘレンはきっぱりと断言し、
「さて、身支度も整ったところでそろそろ出るとしましょうか。まだちょっと早いけど、馬車に乗り遅れた日には目も当てられないものね。よーし! 者ども、いざ出陣じゃー!!」
『おおーっ!』
轟く号令のもと、一同は高々と拳を突き上げた。
「――って、ちょっと待ってください! まさかついてくる気ですか!?」
『もちろん!』
「却下」
『えー!』
すげなく切り捨てるミリア。
しかし、ヘレンたちも簡単には引き下がらない。
「そんな……あんまりです!」
「そうよそうよ! 私たちはこの日だけを楽しみに、あの辛く苛酷な期末考査を乗りきったっていうのに!」
「大体、それじゃあ何のためにわざわざ休日に居残ったのか分からないじゃない!」
「大丈夫! 絶対にデートの邪魔だけはしないから!」
「そうそう影からこっそり覗き――見守ってるだけだから!」
「ねっ? いいでしょ? ねっ?」
「絶対に駄目です!」
祈るように手を絡め、うるうると瞳を潤ませながらの一同の懇願を、ミリアはしかめっ面で突っぱねた。
そして、とどめの一押しを口にする。
「もしもついてきてごらんなさい! 金輪際ノートも課題も見せてあげませんからね!」
『うっ……!』
効果は覿面だった。
その一言を受けて、流石に皆、観念した様子で肩を落とす。
やれやれと、深く溜息を吐きだす。
これからが本番だというのに何だかどっと疲れてしまった。
もっとも、そのおかげでだいぶ肩の力も抜けたわけだが……もしかして今の阿呆な茶番はそれを狙ってのものだったのだろうか?
いや、仮にそうだったとしてもヘレンたちのことだ。
控えめに見積もって、八割方は本気だったはずだ。
ミリアにとっては人生初のデート。
不安の種は一向尽きない。
だが、胸裏を満たすのは何も不安ばかりではなかった。
それを遥かに上回るだけの期待が、怖気づきそうになる気持ちを前向きに昂らせる。
その時、荘厳な鐘の音が高らかに響き渡った。
平日であれば一限目の開始――つまりは九時を告げる鐘の音だ。
そろそろ出ないと、本当に馬車の時間に遅れてしまうかもしれない。
「では行ってきますが……いいですね! 絶対についてこないでくださいよ!」
正門まで見送りに出てきた一同にしつこく念を押し、足早に踵を返す。
「――ミリア!」
その背中をヘレンの声が呼び止める。
「がんばってね!」
「――はい」
満面の笑顔で手を振る一同に、ミリアはそっと頬を綻ばせた。
◆◆◆
聖都中心部。
繁華街に囲まれたアーク大聖堂前の広場は、参礼者や巡礼者をはじめ、大勢の人々でごったがえしていた。
メシア教の総本山にして教皇庁の中枢、そして歴代教皇の御座たる彼の聖堂は、身分の貴賤問わず、メシア教徒からもっとも愛され敬われている聖堂だった。
壮麗かつ荘厳な外観と天を突く勢いでそびえ立つ尖塔群はまさに圧巻の一言であり、その威容は信心薄いミリアをして否応もなく畏敬の念を抱かせるほどのものだった。
そんな大聖堂に背を向け、ちょこんと泉水盤のふちに座しながら、ミリアはそわそわと落ち着かなく身体を揺らす。
レオンの到着を今か今かと待ち詫びる一方で、未だ心の準備が整わず、戦々恐々と深呼吸を繰り返す。
待ち合わせまでにはまだかなりの時間があった。
しきりに時計塔を見上げるが、分針は遅々として進まない。
ミリアはゆるやかに目を閉じ、手袋につつまれた手をそっと胸に当てた。
押しつけられた右手の下、極度の緊張と昂揚に締めつけられた心臓が、今にも破裂しそうなほどに激しく暴れ回っている。
まるで別の生き物のようにでたらめに蠢く拍動に、不思議と不快感は覚えなかった。
高鳴る鼓動が脈打つたび、蕩けるような甘美な温もりが全身に行き渡る。
苦しくもせつなく、けれどぬるま湯につかっているような柔らかな心地よさに、ついつい、にへら、と顔がにやける。
どうやら自分で思っている以上に浮かれているようだ。
「えへへ」
「……ミリア」
「えっ? ――きゃっ!?」
名を呼ばれ目を開けると、そこに待ち人の姿があった。
訝り顔のレオンとばったり目が合う。
はしたないところを見られてしまった。
「レ、レオ――!?」
気が動転し思わず仰け反ったはいいが、勢い余って体勢を崩す。
わたわたと両手で宙を掻きながら為す術も無く背後へと倒れ込み――あわや背中が水面に沈む寸前、身を乗り出したレオンがミリアの身体を抱きとめた。
レオンの手を借り、どうにかこうにか身を起こす。
「……大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
危なかった。
本当に。
せっかくのデートがいきなり台無しになるところだった。
「……悪い。驚かせるつもりは無かったんだが……」
「いえ、こちらが勝手に驚いただけですから!」
実際、今のは誰がどう見てもミリアの自爆に他ならなかった。
「それにしてもずいぶんと早かったですね」
「……お前こそ」
「待たせたらいけないと思って」
「……俺もだ」
灰色の外套に同色のマフラー。
黒皮の手袋と長靴。
流石にシャベルは持ってきていないようだが、レオンの装いは概ね普段のそれと変わりない。
ただしいつもまとっているようなみすぼらしい襤褸ではなく、いずれもおろしたての新品ばかり。
「珍しいですね」と指摘すると、レオンは心外そうに腕を組み、
「……俺とて何も好き好んで襤褸を着ているわけじゃない。
仕事が仕事だけに、服をおろしてもすぐ駄目になってしまうだけだ。
重ねて言えば、いくら世事に疎いとはいえ人の集まる場所に出向くとなれば、身なりにくらい気を払う。
そも、珍しいと言えばそれはむしろお前のほうだろう?
今日は制服ではないのだな」
きた。
いつその話題が来るかと――あるいは触れられぬまま終わってしまうのではないかと――気を揉んでいたミリアは、動揺著しい胸の内を悟られぬよう懸命に平静を取り繕う。
「はい。学生が殿方と睦まじく歩いているとあっては、いらぬ嫌疑を招きかねませんから」
嘘ではない。
ただし、すべてを語っているわけでもない。
だからだろうか、言い訳じみた調子に声が上擦る。
レオンは別段疑う素振りも見せずに頷いた。
「……なるほど。身支度のためいったん寮に戻ると言いだした時は何をわざわざ用意するようなことがあるのかと訝ったが、そういうことか……」
顎に手を添え、値踏みするようにまじまじとこちらを見下ろし、
「……よく似合っているな」
「! あ、ありがとうございます!」
ぽつりと告げられたその一言に、どうしようもなく相好が崩れる。
世辞と分かっていてなお有頂天に舞い上がる己の単純さに我がことながら呆れつつも、結局は頬が緩むのを抑えられない。
ミリアは浮き立つ心を仕切り直そうと意識して咳払いをし、勢いよく立ち上がる。
「さて、ここでこうしていても始まりません。そろそろ行くとしましょう。レオンはどこか行ってみたい場所というのはあるのですか?」
「……いや。別段特定の場所に興味はない。この街を見て回れればそれでいい。道順は任せる」
投げやりというか丸投げというか、いつもどおりの熱の無い声でレオンは言う。
何でもいい。
訊くほうとしては一番困る返し文句だ。
もっとも、今日のデートはそもそも街を案内して欲しいというレオンたっての要望に準拠したもの。
当然、こういう展開もおり込み済みである。
ミリアはあらかじめ用意しておいた予定表を頭の中で反芻しながら、にこりとレオンに微笑みかけた。
「分かりました。では参りましょう」




