表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

3章―6

 軽やかにひづめを鳴らしながら、レオンハルトを乗せた馬車は門の外へと走り去っていく。

 その様子を一人自室の窓から見下ろして、ラインハルトはそっとカーテンを閉ざした。



「怒りの日、彼の日世界は滅び去る……。

 刻々と強まる瘴気しょうきの毒。増加の一途をたどる磔刑者(クロイツ)の出現率。そして霊園における先刻(さき)の一幕。

 メシアの死から千年、やはり今年が節目ですか……」



 執務机に置かれた燭台しょくだいの輝きだけが、室内をぼんやりと照らしていた。

 薄暗い部屋の中をおもむろにそぞろ歩くラインハルトの面差しは、深刻な憂慮に沈んでいる。


「ですが、いかなメシアの予言と言えどかような戯言(たわごと)を成就させるわけには参りません。それゆえの教皇庁(アーク)、それゆえの聖都なのですから……。――などと、我ながら白々しい話ですね」


 さもあらん。

 このにおよんで教皇庁(じぶんたち)にできることなど、一体何が残っているというのだ。

 どれだけ勇ましく息巻いたところで、結局はレオンにすべてを委ねるしかないというのに。


 自嘲。

 無念。

 憐憫。

 苦渋。

 罪悪感。



 ――ガシャン!



「!」


 甲高い破砕音が壁越しに耳を突き、ラインハルトははっと我に返った。


 散々に聞き飽きた音だけに、出所はすぐに知れた。



 隣室――彼女の部屋からだ。



 ラインハルトはたちどころに血相を変え、慌てて自室を飛び出した。

 それはこの十八年、毎日のように繰り返されてきたこの屋敷の日常。


 はたしてラインハルトが隣室へと駆けつけた時、そこには予想通りの惨憺さんたんたる景色が広がっていた。


 薙ぎ倒された椅子とテーブル。

 引き千切られた(シルク)のカーテン。

 鏡台の鏡は蜘蛛の巣状にひび割れて、今この瞬間にもパラパラと破片が剥がれ落ちていく。

 床の上にはティーセットがでたらめに散乱し、ぶちまけられたその中身が深紅の絨毯をぐっしょりと汚していた。


 酷い有様だ。


 しかし、ラインハルトは部屋そのものの惨状にはろくに目もくれない。


「――――――――」


 言語を絶する叫び声が、室内の空気を切り裂いた。

 獰猛どうもうな怒号と唸り声。

 長い髪を振り乱し、理性の失せた瞳を血走らせながら暴れ狂う彼女の姿は、さながら人の皮をかぶった一匹の(けだもの)だった。


 それを一丸となって取り押さえているのは、目付け役として彼女の傍に侍らせておいた者たちだ。


 だが三人がかりでの懸命の拘束もまるで用を為していない。


 胸の痛みを押し殺し、ラインハルトも即座に加勢に入る。


「おやめください!」


 背後へと回り込み、羽交はがめにして押さえ込む。


 抵抗が激しさを増した。


 振りまわされる四肢や頭が強かにラインハルトを打擲ちょうちゃくし、爪が鋭く肌を裂く。


 必死の叫びも届かない。


 華奢きゃしゃ体躯たいくからは想像もできない凄まじい怪力。

 加速度的に増えていく打撲や生傷よりも、まるで悪魔にでもかれたような彼女の狂態こそが、何よりもラインハルトの痛覚をえぐった。



「お願いです、おやめください……! ――――母上!」



「――――」


 抱きすくめたその身体から、出し抜けに力が抜けた。

 ラインハルトは乱れた息を整えながら、油断なく彼女の動静を注視する。

 ゆっくりとこちらを振り返ったアイリーンの形相ぎょうそうからは、先刻までの獣性は跡形も無く抜け落ちていた。


 まじまじと向けられる碧眼には、微かに理性の輝きが戻っている。


「……レオン?」


 不思議そうに小首を傾げるアイリーンの態度が、次の瞬間、一転した。


 大粒の碧眼がすぅっと細まり、その眼光からあらゆる感情が削げ落ちた。



「――違う。誰?」



「――――っ……!」


 一切の温度を感じさせない誰何すいかの言葉。

 路傍ろぼうの石でも眺めるような無感動な視線。

 それらはどんな悪罵嘲弄よりもなお痛烈に、ラインハルトの胸をつんざいた。


 腕にかかる重みが増す。


 糸が切れたように脱力し、それきり気を失ったアイリーンを家人たちに任せ、ラインハルトはよろよろと逃げるように自室へと戻った。


 力無く壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。


「――私では駄目なのですか……!?」


 血を吐くような嘆声は、誰にも届くことなく夜闇に溶けた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ