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3章―5

「どうしました、レオンハルト?」


 レオンは敷居しきいまたいですぐのところで立ち止まり、


「……母との面会が終わりましたので報告を。兄上はこちらだと聞いたもので」

「おや、もうそんな時間ですか。どうやらずいぶんと話し込んでしまったようですね。分かりました。すぐに馬車を用意させますから、しばらくこちらでお待ちなさい」

「……いや、しかし……」


 レオンはちらりとミリアを一瞥いちべつし、居心地悪げに目を泳がせた。


「レオン」


 しかしラインハルトは意にも留めず、しれっと素知らぬ顔で言い渡す。


「彼女は霊園の一件ですっかり怯えておられます。私が席を外している間、傍にいて安心させてあげなさい。よろしいですね?」

「……分かりました」


 レオンは不承不承といった面持ちで承諾した。


 ラインハルトは満足そうに頷くと、ミリアにだけ見えるよう、含みのある視線をちらりと向け、


「お互い積もる話もあるでしょう。せっかくです。この機会に存分に語らうといい。では――」

「――! 待ってください!」


 立ち去るその背中を呼び止める。

 ラインハルトはレオンの横を通り過ぎようとしたところで足を止め、何事かと首をひねりながらミリアを振り返った。


「最後に一つ、おたずねしたいことがあります」

「何でしょう?」



「――〈怒りの(ディエス・イレ)〉とは何のことですか?」



 彫刻じみたラインハルトの麗貌に、鋭く動揺の亀裂が走り抜ける。

 ラインハルトだけではない。

 傍らのレオンも、カッと目を剥き固まっている。


「……やはり、聞こえていましたか」


 ラインハルトは深刻な気配を漂わせながら、固い声で呟いた。


「――忘れなさい、シスター・ミリア。それがあなたの身のためです」

 重々しく厳命し、きびすを返すラインハルト。

 レオンに目を向けても無言のまま首を横に振るばかりで、その赤眼は一切の返答を拒んだ。


 有無を言わせぬ頑なさに、ミリアもそれ以上の追及を断念し、そして――


「…………」

「…………」


 ラインハルトの姿が部屋の外へと消えるや、いたたまれない静寂が室内を満たした。


「その、座ったらどうですか?」

「……ああ」


 ぎこちない空気の中、レオンは勧められるがまま、ミリアの対面に腰を下ろす。

 気まずい沈黙がわだかまる。

 互いにそれとなく視線を背け合い、まんじりともしない時間を過ごす。


(ええい、情けない!)


 せっかくラインハルトの計らいで二人きりになれたというのに、このままでは埒が明かない。


 竦む心を奮い立たせ、意を(けっ)し顔を上げる。


 途端、その視線が真紅の双眸とぶつかった。


 苛烈にたぎった眼差しがミリアの瞳を鋭く射抜く。


「……どうして来た? 二度と来るなと、そう言ったはずだ……!」


 けれどミリアは臆さない。

 峻烈しゅんれつな眼光を毅然と受けとめながら、そっと前髪をかき上げる。


「――ッ!」


 あらわになった傷痕を、レオンは(まばた)きも忘れ、食い入るように凝視した。

 まるで己が罪業を突きつけられた咎人とがびとのように、蒼褪めた唇を戦慄(わなな)かせる。


 額の古傷をそっと撫でながら、ミリアは静かに言葉を並べた。


「……ずっと忘れていました。七年前、本当は何があったのか。あの時も、あなたは私を助けてくれたのですね?」


 レオンに逢えたのは一度きり? 

 それきり二度と逢えなかった?


 違う。


 昼間は駄目でも夜に行けば彼に逢えるかもしれない。

 その程度の安直な着想を、まだ幼かったとはいえ当時のミリアが抱かないはずがなかった。


 かくして二人の交友は始まったのだ。


 ミリアは夜な夜な霊園へと通い、レオンはそれをいつも優しく迎えてくれた。数えきれない言葉を交わし、たくさん遊び、たくさん笑った。


 けれど、そんな日々も長くは続かなかった。


「――磔刑者(クロイツ)に襲われた私を、あなたは助けてくれたのですね?」


 額の傷はその時にできたものだった。

 

 駆けつけたレオンによって磔刑者(クロイツ)は退治され、ミリアは辛くも一命を取り留めた。だが年端もいかない幼子が背負うには、心に負った傷はあまりに深過ぎたに違いない。

 

 次に目を覚ました時、ミリアはその出来事に関わる一切の記憶を失っていた。


 磔刑者(クロイツ)のことも。

 レオンのことも。


 あの夜を思い出させるきっかけとなりそうな事柄の多くは忘却の奈落へと葬り去られ――そして七年の時が過ぎた今日、再び磔刑者(クロイツ)(あい)(まみ)えたことによってミリアはすべての記憶を取り戻すに至ったのだ。


「……違う!」


 悲鳴じみたレオンの叫びが、断ち切るようにミリアの言葉を否定した。

 よろよろと苦渋に満ちた表情で頭を振りながら懺悔の言葉を吐き連ねる。


「……そうじゃない! あれは俺のせいだ……! 危険なのは分かっていた! もっと早くに突き放さなくちゃいけなかった! なのに俺は……! 俺の我儘でお前を――」

「一緒ですね」


 ミリアは泣きじゃくる稚児をあやすかのように、ふわりと優しく微笑んだ。


「あの時の私にもあなたしかいなかった。だからきっと、どれだけ突き放されても、私はあなたのもとを訪れたはずです。今日のように、ね」


 レオンは呆然と息を呑み、


「……だが」

「レオン」


 ミリアは身を乗り出すと、顔を背けるレオンの頬に両手を添え、強引にこちらを向かせた。

 さながら死刑宣告を待つ罪人がごとくに血の気の失せたレオンを半眼で睨みながら、冷ややかに告げる。



「このヘタレ」



「…………はっ?」

「意気地なし、根性無し、甲斐性無し。

 女の私にここまで言わせておいて、いつまでもうじうじと情けない……!

 あなたはそれでも男ですか? 

 こうしてまた逢えたのですよ? 

 七年ぶりなのですよ? 

 泣きごとなんかよりも、もっとかけるべき言葉というものがあるでしょう? それとも何ですか? 私が嫌いですか? 

 私になど逢いたくありませんでしたか?」

「……それは……」


 挑むように早口でまくしたてるミリアの迫力に、レオンはすっかり気圧けおされた様子で、ぼそぼそと無愛想に胸の内を語り出す。


「……俺だって嬉しいさ。二度と逢えなくても構わない。お前が生きていてさえくれるならそれでいい。そう思っていた。嘘だ。本当はずっと逢いたかった。でも、俺にはそんな資格――」

「資格? 資格とは何です? 先ほども言いましたが、私が磔刑者(クロイツ)に襲われたのはあなただけの責任ではありません。

 責を問うならお互いさま。あれは起きるべくして起きたことです。

 ああ、もしかして磔刑者(クロイツ)との混血児(ハーフ)であることに引け目でも感じているのですか? 

 猊下げいかから聞きました。

 些事さじです。そんなことを言い訳に私から逃げないでください。

 それとも、仮にもし私たちの立場が逆だったなら、あなたはそんなことを理由にして私を避けたのですか? へー、そうですか。傷つきました」

「……いや、そんなことは――!」


 一気呵成いっきかせいにたたみかけられ、困り果てた様子で言葉を詰まらせるレオン。


 やがてぐったりと溜息をつき、


「……なあ。結局俺たちは何の話をしているんだ?」

「友達との雑談など大抵そんなものです」

「……そうか。そう言えばそうだったな」

「ええ、そうでした」

「……友達か」

「はい、友達です」


 憑き物が落ちたようにうっすらと苦笑を滲ませるレオンに、ミリアは満面を綻ばせて頷いた。


 それは二人が七年ぶりに交わした初めての笑顔だった。


 とくんと、胸の奥が安堵と歓喜に甘温く高鳴る。


 あれから七年。

 失われた時間はあまりに長く、二人を分かつ溝は広く深い。


 けれど、それが何だと言うのだろう? 


 こうして再び巡り合えたのだ。

 こうして再び笑い合えたのだ。


 これからゆっくりと取り戻していけばいい。

 少しずつ埋めていけばいい。

 七年の空白も、二人の距離も。


「……ところで」


 と、レオンの顔が不意に強張る。


「……そろそろ離してくれないか?」

「……? ――っ!?」


 おずおずと据わり悪げに切り出され、ミリアもようやく事態に気づいた。

 恥ずかしげにしかめられたレオンの仏頂面ぶっちょうづらが驚くほどの間近にあった。


 テーブル越しに身を乗り出し、レオンの頬に両手を添えたミリアの体勢は、まるでキスをせがんでいるかのようなあられもないものだった。


「きゃっ!?」


 羞恥しゅうちに頬を赤らめながら、ミリアは椅子ごとズザザッと後退った。


「ご、ごめんなさい!」

「いや……」


 先刻までとはまた違った意味でバツの悪い空気が流れる。

 そこへ、狙い澄ましたようにラインハルトが戻ってきた。


「お待たせいたしました。馬車の準備が整い――――どうしました?」

『何でもありません!』




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