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3章―4

「そんな……」


 告げられた真実は、ミリアの度肝を抜いてなお余りあるものだった。


 非業ひごうの死を強いられたメシアの呪いが、聖都の死者を人殺しの化け物に造り変えている……もし本当なら、メシア教の根幹を揺るがす大醜聞である。


「〈反救世主(アンチ・メシア)〉……人類史上最初にして最凶の磔刑者(クロイツ)。己が奇跡によって甦ったメシアは聖都だけでは飽き足らず西域全土を席巻し、息絶えるその瞬間(とき)まで殺戮の限りをつくしました。

 〈反救世主(アンチ・メシア)〉の死後、その怒りと呪いを恐れた人々は、彼を畏れ、赦しを請うた。

 それがメシア教のはじまりであり、瞬く間に西域最大の宗教と化した由縁ゆえんです。

 崇め奉るのではなく、鎮め慰撫する……この辺りでは馴染みのない宗教観ですが、東方ではむしろこちらのほうが主流なのだそうですよ」


 その時、不意に扉が叩かれた。

 寝台の上でぐったりと横たわっていたダビデが、びくりとそちらを一瞥する。


「――失礼します。お茶をお持ちしました」


 女中は馴れた手つきで給仕を済ませると、速やかにその場を辞去した。


「どうぞ。遠慮せずに召しあがってください」


 勧められるまま、ラインハルトにならっておずおずと紅茶を啜る。

 味の良し悪しが分かるほど肥えた舌をしているわけではないが、湯気とともに立ち上る芳醇な香りを嗅げば、それが大層高級な逸品であることは容易にうかがい知れた。

 もっとも、これだけ激しく動揺していては、たとえ味が分かってもそれを楽しむどころでは無かっただろうが。


「さて、多少話が脱線した部分もありますが、ここまでが聖都を覆う呪いにまつわるおおよその顛末です。今の話で何かご質問はありますか?」

「一つよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「聖都を覆う、ということは、磔刑者(クロイツ)化については聖都に限った話なのですよね? でしたら、聖都を放棄すればいいのでは?」


 無論、口で言うほど容易(たやす)い話ではあるまい。


 だが、やってやれないこともないはずだ。


 事態の重さをかんがみれば、当然考慮して然るべき選択肢だろう。


「もっともなご意見です。実際、これまでにも多くの人間がその案を提言していますし、もっと単純に呪いの源泉たる聖骸(せいがい)を燃やしてしまえという主張も根強くあります。が、よほど切迫した事態に陥らない限り、教皇庁(アーク)がそれらを断行することはこれからも無いでしょう」

「なぜです? この千年間退けられ続けてきたということは、何かしら明確な理由があってのこととお見受けしますが?」

「この聖都が、そして教皇庁が何故(なにゆえ)『アーク』と名づけられたかお分かりですか? それは、この街そのものがメシアの亡骸(なきがら)を葬るための(せい)(ひつ)であると同時に、彼の(のろい)を受けとめる聖杯でもあるからです」

「……つまり、聖都が無くなればメシアの呪詛じゅそが拡散すると、そういうことですか?」

 

 ミリアは深刻な面持ちで眉を吊り上げる。


「それは分かりません。

 分からないからこそ、迂闊うかつな真似にはおよべないのです。

 そもそも、メシアの呪いが聖都という土地に固着したものなのか否かも定かではありません。

 呪いが外に漏れ出ないのは、雑草が土壌の毒素を吸い上げるように、聖都に埋葬された死者たちがメシアの呪詛をその身に吸い上げているからだとする説もあれば、呪いはあくまで民を狙ったものであり、大挙して聖都を離れればそれを追って溢れだすのではと危惧する向きもあります。

 それ以前に、呪いなどという不条理極まる代物に確固たる法則が存在するのかさえはなはだ怪しく疑わしい。

 いずれにせよはっきりとしているのは、今日この日に至るまで、大なり小なり問題を抱えながらも決定的な破局だけは避けてきたということです」

「下手を打って事態を悪化させてしまうよりは現状を維持するほうが無難、ということですか」

「物は試しと臨むにはあまりに危険が大きすぎるというのが、私も含め大多数の見解です。聖都の放棄、聖骸の処分……踏み切るにしても、それはいよいよ後が無くなった時にでしょうね」

「……なるほど、理解いたしました」


 もとより疑問を潰すためだけに発した問いだ。

 さして落胆するでもなく、ミリアは深く吐息を漏らした。


「結構。ではここからは磔刑者(クロイツ)について、もう少し掘り下げて説明していきましょう」


 ラインハルトはテーブルに肘をつき、両手を絡めながらそう言った。


「先にも述べたとおり、聖都で死んだ人間は磔刑者(クロイツ)として甦ります。燃やそうが刻もうが関係ありません。

 が、何も死んですぐにそうなるわけでもない。

 死者が磔刑者(クロイツ)として甦るのは死後七日目の夜のこと。

 それ以前にもそれ以後にも、甦ることはありません。

 ただし例外もあります。

 メシア以外の磔刑者(クロイツ)は、言ってしまえば、みな〈反救世主(アンチ・メシア)〉の模造品――それも出来損ないの劣化物に過ぎません。

 ゆえ、良きにつけ悪しきにつけ〈反救世主(アンチ・メシア)〉の特性を多く引き継いでいる。

 十字架に対する特質もその一つです。

 君は不思議に思ったことはありませんか? 

 メシア教の象徴たる十字架は、もとをたどればメシアを苦しめ苛んだ忌わしき刑具。それが何故(なにゆえ)象徴として敬われているのか? 

 普通に考えれば妙な話です」


 出し抜けに話題が飛ぶ。前後の脈絡が掴めず戸惑うミリアをよそに、ラインハルトは立て板に水とばかりにスラスラと話を続ける。


「十字架がメシア教の象徴とされたのは、それが日の光と並ぶ磔刑者(クロイツ)の弱点だからです。と言っても、陽光のように磔刑者(クロイツ)を打ち滅ぼすだけの力はありません。

 あれはあくまで磔刑者(クロイツ)を縛り、弱体化させるだけのもの。

 十字の墓標は死者の磔刑者(クロイツ)化を抑制し、その力を封殺する。

 そうして甦ることなく七日目の夜を越えてしまえば、その後死者が磔刑者(クロイツ)と堕すことはありません。

 もちろん、十字架の封印を打ち破り甦る死者も一定数存在します。

 それを討ち取るのがレオンハルトの役目です」

「……レオン一人で、ですか?」

いぶかるのはごもっとも。ですが、君も今宵霊園を訪れたのであればその理由を身をもって味わったはずです」

「私が……?」


 心当たりを探り出すよりも先に、ラインハルトが答えを告げる。


瘴気しょうき――分かりやすく言えば毒気とでも申しましょうか。

 磔刑者(クロイツ)の発する気配にあてられると大概の者はひどい熱病に冒されます。もっとも、毒と言っても元来は多少気分を害する程度のもの。

 人払いにはちょうど良いと、むしろ重宝していたくらいでした。

 ところが、ここ数年それが異様な強まりを見せていまして……かつては聖堂騎士団の精鋭を討伐(こと)に当たらせていたのですが、磔刑者(クロイツ)を見つけ出す前に毒にやられて昏倒する事例が多発し、挙句一度全滅の憂き目にあったことから、今はやむなくレオンハルト一人に任されているのが現状です。

 愚弟は瘴気に対して強固な耐性を有しています。

 くわえて、あれの聖痕せいこん磔刑者(クロイツ)の気配に極めて鋭敏だ」


 聖痕。

 かつてメシアの命を奪った七つの刺し傷。

 そして、古来より数多くの聖者たちが信仰の果てに主より授かったとさる祝福の証。


 おそらくは先程目にした、あの刺し傷のような傷痕こそが、レオンの聖痕なのだろう。


 聖痕の数は最大で七つ。

 人によって身に宿る数には差があるらしいが、出現するのは決まって首筋、脇腹、手首、足首の七カ所とされていた。


「何にせよ、今宵が新月なのは幸いでした。

 磔刑者(クロイツ)の力は月の満ち欠けに大きく影響を受けます。

 瘴気もです。これがもし満月の夜であったなら、最悪君の命に関わっていたことでしょう。もっとも、それならそれで霊園にたどりつく前に君も引き返していたでしょうがね」


 理屈は分かる。

 納得もできる。

 しかし憂慮の念は拭えない。


「話は分かりました。レオンの力は私も知っています。

 ですが、それでもやはり無謀ではありませんか? 

 磔刑者(クロイツ)の相手を彼一人に任せるなど……」

「心配はありません。

 聖都における一日の死者数はせいぜい一人二人といった程度です。

 治安の維持は徹底されていますし、近隣諸国の王家も聖都の事情は承知していますからこの地が戦火に巻き込まれることもありません。

 流石に事故や流行り病ばかりはどうしようもありませんが、十字架による封印もあります。今夜のように一夜のうちに二匹以上の磔刑者(クロイツ)が現れることは極めて稀です。

 加えて、磔刑者(クロイツ)はその習性上、近場にいる人間から手当たり次第に襲いかかります。

 ゆえ、レオンハルト一人でもそうそう取り逃がす心配はありません。

 第一、危険と言うのであれば、教皇庁(アーク)に必要とされなくなる状況こそあれにとっては最も危険なのです。……レオンハルトがどういうものかは、君も薄々は気づいているのでしょう?」


 夜闇に輝く赤眸(せきぼう)

 磔刑者(クロイツ)に迫るその身体能力(ちから)

 半信半疑だった胸の内は、ラインハルトの示唆しさを受けてついに確信を固める。


「彼は磔刑者(クロイツ)……なのですね?」

「少し違います。あれは人間(ひと)磔刑者(クロイツ)の混血児です」


 告げられた事実は、自らが口にした推断に勝るとも劣らぬ衝撃的なものだった。


 だが、ミリアが(しん)に我が耳を疑ったのは次の瞬間だった。



「まあ、いずれにせよ大した違いはありません。あれが化け物であることに変わりないのですから」



 そう、言ったのだ。


 事も無げに。

 悪びれもせず。

 苦笑すら交えながら。


 絶句したのは一瞬だった。


 驚愕による自失から立ち直るや、全身の血が瞬く間に沸騰する。


「レオンは化け物などではありません! 彼は私の大切な友人です! いかな猊下(げいか)と言えど、彼への侮辱はこの私が許しません!」


 ミリアは椅子を蹴倒し立ち上がると、激昂げきこうもあらわにラインハルトを怒鳴りつけた。


 不敬を働いた恐れなど微塵もない。

 ただただ激しい怒りに打ち震えるばかりだった。


 ラインハルトは叩きつけるようなミリアの剣幕に怯むでもなく、さりとてその不敬にいきどおるでもなく、泰然と腰を落ち着かせたまま穏やかに微笑んだ。


「やはり、あなたにお話しして良かった」

「……私を(かつ)がれたのですか、猊下(げいか)?」

「非礼はつつしんでお詫びします。しかし、どうしても君の真意を確かめたかった」


 真摯しんしな眼差しに毒気を抜かれ、ミリアは渋々矛をおさめた。

 やり場を無くした怒気を吐きだすように、深く長く吐息をこぼす。


 ミリアが席についたのを見計らい、ラインハルトは言葉を続けた。


「……あれは幸の薄い男です。

 日の光も浴びられず、ろくに霊園を出ることさえ叶わず、ただ磔刑者(クロイツ)を狩ることでのみ辛うじて存在を許されている憐れな鬼子。

 身内からは化け物と忌避され、まともに他者と触れあう機会も無く、ただ夜ごと死地へと駆り出されるだけの日々。

 あれの心はとうに倦んでいます……生きることにも、戦うことにも。

 ゆえに願わくば、あなたには彼の拠り所となっていただきたい。

 今宵君にすべてをお話ししたのもそのためです」


 メシア教の真実も、磔刑者(クロイツ)の生態も、レオンの正体も、どれ一つとしてラインハルトに説明の義務はなかった。

 むしろ無用な混乱や情報の漏洩を危惧するのであれば黙して然るべきであり、それどころか機密保持という観点だけで論じるなら、ミリアの口を物理的に封じることこそ最善であったはずだ。


 何の地位も後ろ盾もない孤児一人を葬り去るぐらい、教皇庁(アーク)の力をもってすればわけもあるまい。


「……なぜ私なのですか?」

「君が七年前の少女であることは、レオンハルトから聞きました」


 回顧かいこの言葉に触発されるように、ズキリと頭の古傷が痛みを発する。

 ラインハルトは沈鬱な形相で顔を伏せ、訥々(とつとつ)と言葉を連ねた。


「あの頃はまだ私も一介の聖職者に過ぎず、霊園絡みの案件に関われる立場にはありませんでしたが、それでも事の経緯はすべてが終わった(のち)、愚弟自身の口から聞きおよびました。

 君との蜜月も、あの事件の顛末てんまつも……。

 あの一件の(あと)、レオンハルトはひどく己を責めていました。

 後にも先にも、あれがあそこまで感情をあらわにしたのは初めてのことです。レオンハルトにとって、それだけあなたは大切な存在だったのでしょう。ゆえにあなたなのです」


 ラインハルトはテーブルに手をつき、深々と頭を下げた。

 いきなりの――そしてあまりのことに、ミリアはぎょっと泡を食う。


「なっ!?  猊下(げいか)!?」


 慌てふためくミリアを尻目に、ラインハルトは切実な声で訴える。


「あなたしかいないのです。

 すべてを理解したうえで、レオンハルトを受け入れたあなたしか……! 

 難しい話ではありません。あなたはただ、あなたのままでいればいい。

 あれのために憤り、あれを友だと胸を張った、あなたのままで! 

 だから――!」

猊下(げいか)……」


 ミリアはラインハルトの左肩にそっと手を置き、きっぱりと告げた。


「どうか顔をお上げください。先ほどから何度も申しているはずです。彼は私の大切な友だと。それが答えです」

「……ありがとうございます」


 ラインハルトは顔を上げ、ほっと安堵の面持ちで肩を下ろした。


「私からの話はこれですべてです。夜分遅くに長々とお付き合いさせてしまい申し訳ありませんでした。今宵はもうゆっくりとお休みください」


 締めくくるように、ラインハルトは言った。


「レオンは……いえ、何でもありません」


 ミリアは咄嗟とっさに問いを発しかけ、しかし、寸でのところでそれを呑み込んだ。

 レオンの出生については部外者がおいそれと踏み込んでいい話でないのは明らかだった。

 ラインハルトが敢えて詳細に触れなかった以上、こちらから問い質すべきではあるまい。


 少なくとも、今はまだ。


「さて……」


 ラインハルトの手が傍らのベルに伸びる。

 呼びつけた女中にティーセットを片づけさせ、いよいよ部屋を辞去しようと腰を浮かせた矢先に来客は訪れた。



「……失礼します」



 招きに応じて扉を開けたのは、たった今まで話題の渦中にいた少年だった。


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