3章―3
「――まずは非礼の数々、つつしんでお詫びいたします」
客間に戻り、向かい合ってティーテーブルに腰を落ち着けるや、ラインハルトは開口一番そう陳謝した。
「それで早速本題に……といきたいところですが、その前に確認しておきたいことがあります」
「何でしょう?」
「単刀直入に訊きます。ずばり、あなたにとってレオンハルトとはどういった存在ですか?」
思いがけない質問に虚を突かれる。
だが、ラインハルトが冗談や雑談のつもりで問うたのでないことは、その目を見れば明らかだった。
茶飲み話のような気軽な口調とは裏腹に、ラインハルトの眼差しには嘘や誤魔化しを許さない透徹した迫力が込められていた。
だから――
「彼は……彼は私の大事な友達です」
ミリアは神妙に居住まいを正し、はっきりと力強く言い切った。
ラインハルトは淡々と頷き、
「結構。それともう一つ。これから話すことは教皇庁でも一部の者と、近隣諸国の王族のみしか知らない極秘事項です。漏らすようなことがあれば君にも相応の処罰が下されることになります。ゆえ、無理強いはしません。聞きたくないと言うのであれば、今のうちに仰ってくだい」
半ば脅すようなラインハルトの物言いに、しかしミリアは怯まない。
「……それはレオンに関係することですか?」
質問ではなく確認だった。
ここに連れてこられた経緯から考えて、これからラインハルトが話そうとしている極秘事項の内容が悪魔絡みのものであることは疑うべくもない。
それがレオンとどう関連しているのか。
詳しいことは分からない。
だが、これまでのやりとりからして、両者に密接な関わりがあることだけは明白だった。
「ええ。彼の境遇に深く関係しています」
「ならば是非もありません。お聞かせください」
覚悟を固め、決然とうながす。
ラインハルトは満足そうに破顔し、
「よろしい。ではお話しましょう。今宵あなたがまみえた化け物の正体。そして、この聖都を覆う血塗られた呪いの真実を」
その表情がにわかに真剣味を帯びる。
「磔刑者――私たちはあれらをそう呼んでいます。
人に仇為すためだけに産み落とされた憎悪の産物……いえ、正確には甦らされたと言うべきでしょうね。
あの場に居合わせたのであればあるいはお気づきかもしれませんが、磔刑者とは死者たちの成れの果ての姿です。
この聖都で死した人間は誰であれ磔刑者として甦り、殺戮の限りを尽くす。それが――」
「……それが聖都を覆う呪い、ということですか?」
慄然と蒼褪める。
荒唐無稽もはなはだしい。
昨日までのミリアであれば、何を馬鹿なと鼻で笑い飛ばしていたことだろう。
だが墓の下より這い出し、剥きだしの憎悪とともに襲いくる磔刑者の醜貌がミリアの脳裏には鮮明に焼きついていた。
もはや一笑に付すことはできない。
「しかしなぜそのようなものが、それも聖都に……?」
「聖都だから、ですよ」
ラインハルトの頬が皮肉げに吊り上がる。
「すべては千年前、メシアの死に端を発します。
メシアが処刑された経緯については、君も当然存じていましょう?
当時の宗教は、『神の試練』を題目に人々の不満を悪政から逸らし抑えつけるための装置。
言わば、支配階級にとって都合の良い道具でしかありませんでした。
ところがそのような信仰の在り方に異を唱える者が現れた。
それがメシアです。彼は敬虔なヤハウェ教の信徒であり、誰よりも真摯に神の教えを遵守していました。
ゆえにこそ、当時の宗教観に疑問を呈し訴えた。
神の教えとは支配者の理に従属するものではなく、それを超越したものであると。それがヤハウェ教メシア派――メシア教のはしりとなる派閥の根本思想です」
ラインハルトは口舌滑らかに言葉を紡ぐ。
職業病とでも言うべきか、饒舌に語る彼の面持ちはいつしか教鞭を揮うときのそれへと変わっていた。
「悪政に対する不満。メシアのカリスマ。説教の正当性。
そして何より彼が奇跡の担い手であることが大きかった。
メシア派は瞬く間にその勢力を拡大し、人々の宗教観に大きな変革をうながしました。ですが、当然支配者たちも黙ってはいません。
彼らにしてみれば、メシアの存在とその教えは既存の支配構造を脅かす危険な害毒に他ならない。
弟子たちの買収、悪辣なデマの流布、冤罪、異端審問……彼らは権謀術数の限りをつくしてメシアを貶め、人心の離散を図り、さらには不満の矛先を巧みに彼へと集約させた。
挙句、民衆を煽ってまんまとメシアを処刑したのは、まったくもって見事な手並みとしか言いようがありません。
昔も今も、こうした手合いというのは自己の保身と他者の足をひくことにかけては驚くほどに卓越していますからね。いやはや何とも度し難い」
そう言って眼鏡を押し上げるラインハルトの麗貌には、色濃い呆れと侮蔑の念が滲んでいた。
「かくして支配者たちの謀略によって、メシアはその生涯に幕を下ろしました。教主たるメシアの死、弟子たちの背信、人心の離散……メシア派の歴史はここで潰えるものと、当時誰もが考えたことでしょう。
ですがそこで奇跡が起こります。
処刑より七日後、死したメシアは甦り、弟子たちの前に姿を現した。
メシアは彼らを赦し、あらためて神の教えを説きました。
弟子たちは己が罪を悔い改め、その日を境に従順なる神の使徒として、生涯を捧げ信仰の道を邁進していきます。
そして復活から三十日後。布教の旅へと赴く弟子たちの出立を見届けるように、メシアは今度こそ天へと召されていった。
メシアの教えは彼の死後、弟子たちの手によって大陸中に広められ、いつしかメシア教という独立した宗教体系が誕生した――と、正史ではそうなっています」
「違うと言うのですか?」
含みを持たせた口ぶりに、ミリアは怪訝に眉をひそめる。
「ええ、違います」
ラインハルトは言う。
「メシアは誰も赦してなどいなかった。己を売り払った弟子たちも、恩を仇で返した民衆も、裏で糸をひいていた支配者たちも、誰一人としてね。
至極簡単で、実に当たり前の話です」
いかに信心薄い性質とはいえ、幼い頃よりメシアの教えやその逸話に慣れ親しんできたミリアにとって、それはにわかには信じられない衝撃の内容だった。
だが、枢機卿の位にあるラインハルトが、よりにもよってそのような虚偽を口にするはずがなく、
「驚かれましたか?」
「……当然です」
訊ねられ、やっとの思いで絞り出す。
「ですが、それ以上に腑に落ちました。ここだけの話、史実や新約に記されたメシア像はどうにも美化され過ぎていて人間味を感じませんでしたから。
それに、たとえ最後の最後で道を誤ってしまったのだとしても、彼の愛が、その教えが損なわれるわけではありません。
罪を犯したことのない人間などいない。
他ならぬメシア自身のお言葉です。それで、結局その話と磔刑者とは一体どう関係しているのですか?」
それとなく結論をうながす。
面には出さないまでも、いつまでも要領を得ないラインハルトの説明にミリアもいい加減痺れを切らし始めていた。
「失礼、ずいぶんと前置きが長くなってしまいましたね。
……メシアは誰も赦さなかった。
それは、とりもなおさず彼らを恨み、呪いながら果てたということです」
「――!? まさか……!」
彼の言わんとすることを察し、ミリアは卒然と目を瞠った。
「お察しのとおり、その呪詛こそが聖都を覆う呪いの正体。
メシアが末期に残した最後の奇跡です」




