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2章―7

「ミリア!」


 重なる叫びは、互いにかつてないほどの切迫せっぱくに金切れていた。


 横一文字に駆け抜けた銀光が、今まさに振り下ろされんとしていた悪魔の巨腕を斬り飛ばす。


 苦悶くもんの絶叫は、しかし即座のうちに断ち切られた。

 鋭く翻った銀の穂先が、悪魔の頭頂から股間までを真っ二つに斬り裂いた。


 両断された悪魔の巨躯きょくは、血飛沫ちしぶき一つ上げぬまま灰となって砕け散った。


 崩れゆく悪魔の背後。

 槍ともシャベルともつかない長柄物を手に携え、銀髪赤眼の少年が姿を現す。


「レオン……?」


 残された灰の山を踏み分け、レオンは焦燥もあらわにミリアのかたわらにひざまづいた。


「……怪我はないか?」


 槍を横たえ、そっとミリアの肩に手を置く。


 安否を確かめるべくミリアの身体に視線を走らせるその顔からは、普段の鉄面皮は完全に剥がれおちていた。


 赤い瞳は動揺の気配に激しく揺らめき、固く引き結ばれた唇は常ならぬ険しさを帯びていた。

 ただでさえ白いその顔は今や完全に血の気を失い、いよいよ死相じみた蒼さをていしている。


「え、ええ。大丈夫です」


 鬼気迫るその形相にむしろミリアのほうこそ呆気にとられ、かれるままにただ頷く。

 レオンはひとしきりミリアの身体を確かめると、やがて深く吐息を吐きだし、


「……なぜ来た?」


 とがめる声は、凄絶せいぜつな怒気をはらんでいた。


「……あれほど来るなと言っただろう!」


 レオンは厳しくまなじりを吊り上げ――――その時、これまでにない衝撃が激しく大地を震わせた。


 視界の端。

 何かがものすごい勢いで夜空へと舞い上がる。


 ぎょっと目を剥き、身を竦めるミリア。

 槍を手にとり、すかさず立ち上がるレオン。


 再びの轟音。


 ひび割れ砕けた十字の墓石が、ミリアたちのすぐ(そば)へと落下した。


「……磔刑者(クロイツ)


 レオンは霊園の一角を峻烈しゅんれつな眼差しで見据えながら、その身に臨戦りんせんの気迫をめぐらせた。


 視線をたどれば、そこには妖しく輝く深紅の双眸。

 墓標を失い抉れた地面から、悪魔がのっそりと這い出す。


「……今宵はやけに瘴気しょうきが濃いと思ったら――――なるほど、一夜のうちに二匹とはな」


 そして、呟きだけが後に残った。

 レオンは常人離れした走力で瞬く間に悪魔との距離を詰め、


「はっ!」


 裂帛れっぱくの呼気とともに銀閃がほとばしる。

 だが鋭く突き出された切っ先は、ばね仕掛けのごとく跳ね飛んだ悪魔をとらえきれずに空を切った。


 頭上高く跳び上がった悪魔は焼けつくような殺気を撒き散らしながら、レオンへと蹴りかかる。


「……っ!」


 落下の勢いと全体重を上乗せしたその蹴撃を、レオンは掲げた槍の柄で受けとめた。


 破城槌はじょうつちの一撃を思わせる激震とともに、蜘蛛の巣じみた亀裂がレオンを起点に地を駆け抜ける。


 悪魔は蹴りつけた反動を利用して跳び退り、立ち並ぶ墓標の一つへと着地した。


「……寝起きのわりにはすばしっこい」


 槍を構えなおしながら、忌々しげに吐き捨てるレオン。


『――――――――』


 この世のものとは思えないまがまがしい雄叫びが夜気を引き裂いた。

 猛然とレオンに跳びかかる悪魔の爪が、にわかに刀剣ほどの長さへと伸びる。


 振り下ろされた袈裟がけの一閃を、レオンは軽く身を引いてかいくぐり、


「くっ……!」


 反撃に転じる(いとま)もなく、凶爪の嵐が吹き荒れる。

 斬光が十重二十重(とえはたえ)と虚空に閃き、渦中の墓標を易々と斬り崩していく。


 技も何もない、ただただ暴れ狂うだけの稚拙な猛攻。

 だが人智を超越した圧倒的な速度と膂力りょりょくは、レオンに一方的な防戦を強いた。


 肉が裂ける。

 血が飛沫(しぶ)く。

 竜巻じみた悪魔の暴威が、レオンの身体を切り刻む。


「レオン!」

「……案ずるな」


 悲鳴じみた叫びを上げるミリアに対し、レオンはあくまで泰然自若たいぜんじしゃく(てい)を崩さない。


 怒涛どとうの勢いで繰り出される悪魔の攻撃を、時にかわし、時に弾き、時に牽制けんせいを差し挟んで阻害しながら、目まぐるしく立ち位置を入れ替え耐え凌ぐ。


 極限まで無駄をぎ落したその体捌たいさばきからは、まるで危うさというものが感じられない。


 紙一重ゆえの避け損ないも、飛沫(しぶ)く血潮の少なさから推し量るにせいぜい皮一枚程度の微々たる裂傷(もの)だろう。


 息切れをおこしている様子はなく、その身のこなしからは十分な余力がうかがえた。


 冷徹に研ぎ澄まされた眼差しは、機を見計らうように、静かに剣呑けんのん眼光(ひかり)たたえている。


「――そこ!」


 そして、レオンの瞳に猛禽もうきんの輝きが閃いた。


 悪魔の動きに、ミリアの目にはとらえきれない針穴じみた刹那の間隙かんげきを見出したのであろう。


 (たわ)めた四肢(バネ)を解き放ち、渾身の踏み込みに乗せて槍を突き出す。

 悪魔は両手の爪を交差させ、防御の構えでそれに応じる。


 甲高い衝突音。


「……れたか」


 舌打ち混じりのレオンの呟きは、悪魔の吐き出す苦悶の絶叫にかき消された。

 ほとばしった銀の刃は凶爪を難無く貫き、悪魔の肩を深くえぐり抜いていた。


 痛苦にり、ひるむ悪魔。


 その隙に乗じ、レオンは今が好機と攻めに転じる。


 一気呵成いっきかせいに駆け抜ける銀灰色の奔流が、太縄をよりあわせたがごとき悪魔の分厚い筋繊維をやすやすと斬り裂き、削り落していく。


 速い。

 そして重い。


 守りに専念している時はその無駄の無さゆえ気づかなかったが、レオンの地力は悪魔のそれに迫る勢いだった。


 悪魔は新たに爪を伸ばし、戦意盛んにレオンを迎え撃っているが、受けた手傷が尾を引いているのは明らかで、ミリアの目から見てもその動きは著しく精彩を欠いていた。


 それでも、未だ地力の面では悪魔が一枚上手(うわて)といったところか。


 しかし、


「せいっ!」


 流麗鋭利な槍捌きが見る見る悪魔を追い詰める。


「はっ!」


 ここぞと繰り出される渾身の一突きが、爪の防御ごと悪魔の身体を刺し穿うがつ。


 墓石を容易たやすく裂いて見せた強靭きょうじんな爪も、レオンの振るう槍の前ではまるで飴細工あめざいくも同然に用を為さない。

 両者の間に横たわる地力の差を、レオンは卓越した技量で埋めるとともに武器の優位をもって覆していく。


 時間にしてわずか数秒。


 その間に、攻守は完全に逆転した――かに思われた。だが、


『――――――』


 悪魔の腕が、手近な墓標をむんずと掴んだ。

 力任せに引き抜いた石造りの十字架を棍棒よろしく振り回し、袈裟がけに走る銀の槍へと叩きつける。


「……っ!」


 まばゆい火花が夜闇に華咲く。


 悪魔の爪をも容易に斬割(ざんかつ)せしめた槍刃は、しかし石の墓標を砕ききれずに大きく弾かれた。


 不意を打たれたうえでの力比べとくれば、膂力で劣るレオンに勝ち目などあるはずもない。


 槍こそ手放さずに済んだものの、それゆえに打擲(ちょうちゃく)の威力をやりすごせずに体勢を崩す。


 だが決定的な隙を見せるレオンに対し、悪魔は追い打ちをかけることなく背後へと跳び退()いた。


 いったん距離を置いて仕切り直そうというのだろう。


 体勢を立て直したレオンもすぐには打って出ずに、小休止とばかりに乱れた息を整える。


「……聖槍相手にじかに打ち合う愚を避けるか。悪くない判断だ。だが――」

 

 踏み込んだのはどちらが先か。


 風を巻いて唸る墓標がレオンの身体をとらえたかに見えたその瞬間、少年の姿は何処(いずこ)ともなくかき消えた。




「……遅い」




 振り抜かれた十字架の上。

 レオンはそこに身を屈めて張りついていた。


「はぁああああああああああ!」


 下段に構えた槍を手に、這うように墓標の上を疾走し、悪魔の腕をさかのぼる。


 銀光一閃。


 すれ違いざまに翻った槍の刃先が、悪魔の首を跳ね飛ばした。

 首から上を失った悪魔の巨体は、人骨だけを残してたちまちのうちに灰の山へと姿を変える。


「……選んだ得物が悪かったな。よりにもよって十字架とは」


 崩れ落ち、夜風に舞い散る悪魔の遺灰を肩越しに一瞥すると、レオンはミリアのもとへと歩み寄った。


(今度こそ終わったのですね……)


 そこでようやく、ミリアは深く安堵した。

 ミリアの心は未だ混乱の渦中にあったが、それでも難を逃れたということだけは理解できたし、今はそれだけ分かれば十分だった。

 助かったのだという実感が染み入るように胸に広がり、固く強張っていた全身からふっと力が抜け落ちる。


 気がつけば、先刻までの不調がまるで嘘だったかのように、身体の具合もすっかりと良くなっていた。


 古傷を襲った疼痛とうつうも、今は終息に向かいつつある。


「……立てるか?」


 ミリアはふるふると首を横に振る。

 レオンはこびりついた汚れを気にするように、手袋につつまれた己の手をまじまじと見つめると、おもむろにミリアへと差し伸べた。


「……つかまれ」

「あ、ありがとうございます」


 レオンに引っ張り上げられながら、萎える膝に活を入れ、どうにかこうにか立ち上がる。

「!? レオン、その顔――!」


 悪魔の(やいば)によるものだろう。


 レオンの顔からはだらだらとおびただしい量の血がしたたっている。


 しかし当のレオンはと言えば、まるで指摘されるまでそのことを失念していたかのように、「……ああ」と気の無い相槌あいづちを返し、


「……問題ない。かすり傷だ」


 言って、頬にこびりついた血を拳の甲で無造作に拭い取る。


「かすり傷って……! そんなわけ――!」


 言いつのるミリアの声は中途で途切れた。


 無い。


 血の拭きとられたレオンの白貌(はくぼう)のどこにも、傷痕一つ見当たらない。


「……どうした?」

「い、いえ、何でもありません」


 はっと我に返り、しどろもどろに目を泳がせる。

 一体どういうことなのか? 

 釈然としないながらも、この時のミリアにはまだ細かいことを追及するだけの心身的な余力は無かった。


「……歩けそうか?」

「はい」

「……とりあえずいつまでもここにいても仕方がない。少し行ったところに小屋がある。ついてこい」


 ミリアの手をひき、きびすを返すレオン。




 その背中に続こうと歩を踏み出しかけたミリアの脳裏を、昨夜と同じ記憶の断片が閃光のごとく駆け抜けた。




「あっ……」


 濃密な夜闇。

 一面の墓標。

 視界を塞ぐ異相の巨躯(かげ)

 闇に灯る深紅の双眸。

 鋭く閃く銀灰色(ぎんかいしょく)

 掌を包むざらついた温もり。

 前を行く灰色の背中。


「……どうした?」

「…………」

「……ミリア?」


 一向に歩きださないミリアを不審に思ってか、怪訝けげんそうにこちらを振り返るレオン。

 しかし、ミリアは意に介すことなく、ただ呆然と目を見開く。


 ああ、そうかと、ここに至って理解する。


 そういうことだったのかと、今更ながらに納得する。



 今度こそようやく、ミリアはすべてを思い出した。




『ギギッ……!』


 その時、世にもおぞましいうめき声がミリアの耳朶じだをかきむしった。


「えっ……?」

「――っ!」


 弾かれたように音の出所を振り返るミリアとレオン。

 二人の視線が向かう先には、斬り飛ばされた悪魔の生首が、ごろりと地面に転がっていた。


 身体が灰と崩れた今なお原型を留め、ねっとりと憎悪のしたたる(けい)(がん)でミリアとレオンをめ上げる。




『憎イ、許サヌ、死ニ絶エヨ、薄汚キ背徳者ドモ……!』




「喋った……!?」


 ぎょっとたじろぐミリアを背にかばい、レオンは無言で悪魔の生首を注視する。


『破滅ハ近イ。〈怒リノ(ディエス・イレ)〉ハスグソコダ。彼ノ日審判ハ下サレル。汝ラニ一片ノ未来モ、一縷ノ希望モアリハシナイ。刮目スルガイイ罪深キ者タチヨ。滅ビニ呑マレルソノ時マデ、己ガ罪ヲ悔イナガラ、狂イ泣キ叫ビ命乞――!』


 怨嗟えんさに満ちた悪魔の呪詛じゅそは、突き下ろされた宝剣の一太刀に頭蓋ずがいごと断ち割られた。


 悪魔の生首は、髑髏(しゃれこうべ)だけを残して今度こそ灰となって夜風に舞う。


「――新月の夜に磔刑者(クロイツ)ですか。これはいよいよキナ臭い」


 柔和な声に一抹の憂慮をにじませながら、新たに現れたその人物は、緋色の法衣を翻し、夜目にも華美な宝剣を腰の鞘へとおさめた。


 低く落ち着いた声音。

 均整のとれた長躯。


 声質や体格からしておそらくは男性だろう。

 だが、この距離では詳細な顔立ちまでは見てとれない。


 と、レオンの横顔に薄らと驚愕の色が走る。




「……兄上」

「久しいですね、レオンハルト」




 朗らかに応じながらおもむろにこちらへと歩み寄る男性の姿が、星明りの下に浮かび上がった。

 明るく透き通った金髪(きん)のオールバックに澄んだ湖面を思わせる淡やかな碧眼。縁無しの眼鏡が彫りの深い柔和な容貌を理知的に彩り、皺一つない緋色の法衣が均整のとれた長躯を一分の隙なく固めている。


「ラインハルト猊下(げいか)……!?」

「こんばんは、シスター・ミリア。奇偶ですね、よもやこんなところでお逢いしようとは」


 いつもと変わらぬ穏やかな物腰で、ラインハルトはそっと微笑を閃かせた。




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