理科室・三
理科実験室。
柳と友人が見守るなか、頭蓋骨は内臓模型に告白をした。あのラブレターは何だったのかと言わんばかりの、シンプルな告白だった。けれど相手に伝えるにはじゅうぶんな表現だった。
柳の手によって内臓模型の隣におかれた頭蓋骨は、緊張感たっぷりで告白の返事を待っている。
やがて内臓模型が言葉をつむいだ。
「私、あなたよりも年上なの」
「はい」頭蓋骨が小さく言う。
理科室で十年は過ごしているという内臓模型と、五年の骨格模型。それだけ年数が違えば製造年月日から見ても、たしかに年の差はあるだろう。しかし五年など、昨今の恋愛事情ではめずらしくもない。
柳は友人にだけ聞こえる声で言った。「姉さん女房っていいよね」
どんな返答をされるのか手に汗にぎっていた友人も、柳の言葉に力が抜ける。しかし友人が言葉を返す前に、内臓模型が続きを話した。
「年増の女なんて、若いあなたにはふさわしくないわ。もっと素敵な方が……」
内臓模型が言いきる直前、頭蓋骨は再び思いをぶつけた。
「年なんか関係ない! 僕は、あなたが好きなんだ!」
「でも……」
「あなたじゃないとだめなんです。ずっと好きだった。ずっと伝えたかった」
必死でいて直球な言葉のひとつひとつを受け、内臓模型は反論することをやめた。やがて、穏やかな声で「うれしい……ありがとう」と言う。
その瞬間、柳と友人は背筋をただした。隠しきれぬ幸福の予感がして、なぜか二人は内臓模型に熱い視線を送り、どきどきしながら告白の返事を待つ。しかし耳に入ってきたのは予想と反対の言葉だった。
「でも、ごめんなさい」
「え」柳が思わずもらす。
頭蓋骨よりも早い反応を示した彼のせいで、一連の雰囲気と流れが止まる。そっとため息をついた友人は内臓模型と頭蓋骨に「ごめんな」と謝ると、立ちつくす柳の腕をつかんで実験室を出た。
廊下で待つ彼らが再び室内に戻ったのは、それから数分後のことだった。
首と胴体が一日ぶりにつながった骨格模型は、めそめそしている。
「しゃーないやんか、もう。そないに泣くな」
柳と友人そして頭蓋骨は、なじみの理科室に戻ってきた。
昨日は転倒という惨事に見舞われた骨格模型だったが、全身が丈夫な素材のおかげか無傷ですんだ。しかし、べつのところに痛手を負ったようである。つまりは傷心中だった。立ち姿の模型からは、情けない泣き声が聞こえてくる。
「でもまさかお別れだなんてね」柳の声も沈んでいた。「つらいよ」
骨格模型はふられた事実だけに泣いているのではなかった。断りの理由として、離れることを挙げられたのだ。なんでも、内臓模型はこんど初等部の理科室に行くらしい。高等部からの寄贈というかたちなのか、そのあたりについてはよくわからないが、とにかくもう二度と会うことはないだろうと告げられたようだ。
骨格模型は、二体を引き裂く残酷な運命を嘆いた。その姿を柳はなぐさめ、友人は呆れつつもはげましている。が、模型はひとしきり泣くと、けっこうな神経をしているのかさっさと立ち直り、前向きになっていた。
「くよくよしてちゃ、だめだよね」
あまりの短時間での切りかえに、柳が難しい顔をする。
「いや、そう早くふっきれると微妙な気分になるけど」
「……話してるとこ悪いけど、そろそろ時間やわ」友人が腕時計を見て、遠慮げに言う。
「ごめん、昼休みか放課後にまた来るよ」柳がかばんをおもむろに持つ。
骨格模型は明るい声を出した。「授業は大事だよ。ほら、行って行って」
その様子は空元気に見え、二人は心配になる。理科室を出て行こうとしながらも、ちらと骨格模型を振り返る柳と友人。そんな二人を模型は「遅れるよ」とせっつく。しかし柳が理科室のドアに手をかけた瞬間、骨格模型は二人の背中に向けて言った。
「僕はね、彼女が好きだ。でも、彼女が幸せでいてくれたら、それでいいんだ。それがいいんだ」
二人は同時に振り向いた。骨格模型が照れくさそうな声で送りだす。
「いってらっしゃい」
後日、骨格模型が恋こがれた内臓模型は新たな地へ旅立った。これからきっと、小学生相手にわかりやすく人体の説明をして授業に貢献する日々を送るのだろう。
そして高等部の理科室にはべつの一体がやってきた。その新入りは現在、あやちゃんこと遠野のお気に入りとなっている。しかし熱を上げているのは彼女一人だけではなかった。
「ねえ、柳くん、お友達くん、見た? 新顔の模型さん!」
「……うん」柳が頷く。
友人は口を開かず、何かを含んだ目つきでぼんやりと骨格模型を見ていた。
「かわいかったねぇ」骨格模型が、うっとりとため息をつく。
この骨格模型、びっくりするぐらいの変わりぶりであった。あれほど内臓模型に好意を抱いていたというのに、しょせんは目移りするほどの気持ちだったのか、若さあふれる新たな模型へ恋心が向いているらしい。
ためらいがちに柳は尋ねた。「あのさ、このあいだの内臓模型さんは?」
「僕は遠く離れた女性を想うよりも、近くにいてくれる子が好きなんだ」
「典型的な遠距離恋愛のパターンやん」友人がぼそりと吐く。
苦笑いした柳はさらにきいた。「近場で手をうつの?」
「手をうつだなんて、そんな! うったのは心だ! そう、僕の心臓はうたれたんだよ!」
「何うまいこと言うてんねん。ただの節操なしやろが」
骨格模型は必死に否定をはじめた。友人は言い分を聞いてやりながらもつっこんでいる。それを見ていた柳に、近くのガラスケースにいる日ごろ寡黙な動物の剥製が渋い声でこっそり教えてくれた。
彼、ほれっぽいんですよ……と。