理科室・二
翌日の放課後。柳と友人が理科室を訪れると、いったい一夜で骨格模型の何が変わったのか「自分で告白したい」と言いだした。実際に伝えるとなるなら、手紙よりもさらに心のこもる告白である。だが、いかんせんどうしたら告白までもっていけるか、その方法を考えねばならなくなった。
「彼女に、きてもらうのは無理かな」骨格模型がつぶやく。
もしこの部屋まで内臓模型を連れてくるなら、柳か友人が運んでこなくてはならない。
首をかしげて柳が答えた。「内臓模型さんは女性だからなぁ。さすがに女性を馴れ馴れしく触るのもね」
「柳くんって、変なとこでためらうんやな」友人は感心したふうに柳を見る。
今回の告白にあたり一番楽な方法なのが内臓模型を連れてくることで、次に妥当なのが骨格模型を連れていくことだ。さいわい骨格模型はキャスターが下についているので、運ぶ――それ自体は容易といえる。しかしがらがらと音を立て、人に見られずかつ壊れないようにゆっくりと別室まで持ちだすのは容易でもない。これこそまさに、いろんな意味で骨が折れる。
悩む柳と友人に、骨格模型は「あ!」と声をあげた。
「ねえ、僕の頭部だけはずして持っていってくれない? たぶんそれだけでも話せるから」
突然の提案に、柳も友人もすぐには反応できなかった。二人は骨格模型の前に立ち、頭部をまじまじと見る。
「頭部だけでもしゃべれるの? 便利だね」
「ホラーやん」
彼らの言葉を聞いて、骨格模型は得意げに言い放った。
「頭をゆっくりと持ちあげてみて」
柳が言われたとおりに慎重な手つきで頭部を上げていく。すると、簡単にとれた。
「マジか」友人がつぶやく。
柳は両手で頭蓋骨を持ち、めったにない機会なので上や側面、ついでに下からものぞいてみた。
「着脱式かぁ。気分によって選べていいね」
「首なし状態なんか気分で選べるかい」
帽子や髪型とはわけが違うのだが、柳はアクセサリーをつける感覚で着脱を楽しめると言いたいようだった。
「優しくあつかってよー」頭蓋骨がしゃべる。
柳と友人は首から下だけになった模型を見た。首の骨を模した部分から頭部を支える棒がのびており、これ一本で頭蓋骨の安定がはかられていたらしい。
「でもさぁ……」柳は迷ったふうに口を開いた。「やっぱりちゃんとしたほうがいいと思う」
友人が首をかしげ、骨格模型も「何が?」と疑問を浮かべた。
「告白するなら全身そろってるほうがいいよ。取り急ぎ顔だけで来ましたっていうのも必死な感じがしてもしかしたら好印象かもしれないけど、告白を顔だけで判断されたら、いやだよね」
柳は両手に抱えた頭蓋骨を眺めた。人間の美醜の基準は人それぞれだが、現実問題として受けのよい顔というのはある。が、今は人間界の常識で語ってはいけないのだ。この骨格模型が、模型のなかでもイケメンやらハンサムやらと評される姿なのかがわからない。もしとびきりの二枚目であったとするなら、顔だけで告白しても評価はプラスに働きそうではある。しかし模型のなかでは普通以下の顔つきなら、悪い方向において顔だけで判断されてしまう。おまけに、内臓模型が面食いかどうかもかかわってくる。考えれば考えるほど深みにはまり、柳は……まぁいいやと考えることを放棄した。
「ほな、全身連れてちゃんとせなあかんか。顔は大事やけど中身のほうが重要やろし」
黙っている柳に代わって友人が口を開く。彼は試しに模型のキャスター部分のストッパーをはずして少しだけ動かしてみた。
頭部がないままぐらぐら揺れて動く骨格模型は、あせった声を出す。
「どうしよう、内臓ないよ、僕!」
「軽薄宣言しとるで」
友人の意地の悪い言葉遊びのおかげでうろたえる骨格模型を柳が見ていると、廊下から話し声が聞こえてきた。
「あやちゃんだ」柳がつぶやく。
生物担当の教師で、柳に掃除をよく頼む遠野の明るい声がだんだん近づいてきている。
遠野は、教鞭をとって数年になるのに未だ白衣に着せられているような小柄な女性だ。生徒からなめられているのか慕われているのか、名前が文なので「あやちゃん」と呼ばれている。
彼女は生徒に雑用をさせるのが好きだが、模型の清掃だけは自ら行う。模型をこよなく愛しているらしく、柳は模型談義につきあわされたこともあった。そのときついでに掃除係に任命されたのも記憶に新しい。
模型に指紋がつくのが気にくわないとまで言う遠野に今の状態を見られると、理由を聞かれずに怒られ、理由を聞いても怒られるという事態になるのは必至だ。
柳は頭蓋骨を骨格模型に戻そうとした。しかしうまくいかない。はずすのは簡単だったのに、なぜできないのか。
遠野はどうやら電話をしているようだった。日程調整と、何かの品番らしきものを言っている。
気づかれていないうちに、すばやく直さねばならない。
柳は頭蓋骨をなんとか元の位置に戻す。
ほっとしつつも急いで手を離す。
するとわずかな揺れでかくんと首が音を立てる。
あわてて手を伸ばした柳と友人が両側からタイミングも合わさずに模型へ触れる。
ストッパーのない骨格模型が動く。
うまく引っかけたつもりの頭蓋骨が落ちそうにる。
二人はいっせいに手を出す。
さらに模型は揺れる。
柳も友人も目を見開き、頭蓋骨も驚く。
……結果、とんでもない音を立てて骨格模型は倒れた。
一瞬の出来事だった。
所用があると告げる声、無理やり通話を終える最後のあいさつ、ヒールの音、教科書とノートの入ったかばんを急いでかつぐ音、教室の前後のドアがどちらもほぼ同時に開く音。
「逃げて! 僕のしかばねを越えていけぇ!」
そう叫ぶ頭部だけを、二人はあわてて持って逃げだした。
「どないしよか」友人がシャツの袖をまくりながら言う。
二人は、理科室を出てすぐの階段を急いで降り、下階の男子トイレに入った。おそらく逃げる生徒よりも無残な模型のほうが何より衝撃的で目につくだろうから、遠野は彼らの後ろ姿すら見ていないはずである。
「あやちゃん、きっと絶望してるだろうから、理科室には近づけない。今日はもう戻らずにこのまま帰ろう。で、問題は……」
柳は手に持っている骨格模型の頭蓋骨を見た。
「……靴箱しかあらへんやろ」
無情な友人の言葉に、頭蓋骨は悲しげに「うん……また明日」とつぶやいた。
いつもよりずいぶん早く、柳は登校していた。一部のクラブのみ朝から活動している時間帯で、クラブとは無縁の生徒はあまり登校していない。人目を忍んで、柳は靴箱から頭蓋骨を出した。
「おはよう」
「柳くん、おはよう」
朝のあいさつを済ませると、柳は頭蓋骨を家から持ってきた袋に入れた。そして昨日逃げこんだトイレに向かう。そこで待機していると、少しして友人もやってきた。全員がそろう。
ぽつりと頭蓋骨が言った。「この機会を逃がしたくない」
覚悟をにじませる声音だ。腹はないが腹をくくったという頭蓋骨に、柳と友人は頷いた。
実によい顔つきをした頭蓋骨、いよいよ告白のときがきた。