美術室・三
文化祭も終わり非日常はどこへやら、週明けには授業も平常運行となり、そこからまた一週間も過ぎれば生徒たちのお祭りに浮かれていた雰囲気も消え去っていた。
昼休み。村田は女友達と弁当を食べるのを断り、柳と友人について食堂までやってきた。男二人の向かいに座った村田は、チェック柄の巾着を開けて弁当を出す。そして箸でおかずを突き刺しながら言った。
「我々の使命は、鈴本先生より先に児島さんことなっちゃんのレポートの最終ページを見つけることである」
いびつで具のないおにぎり片手に唐揚げを食べていた柳と、親子丼を口に運んでいた友人はそれぞれ村田の話を適当に聞きながら昼食をとっていた。
どうやら村田は児島とその後メールでやりとりしていたらしく、なんらかの理由によって、やる気によけいな火がついたようだった。
「えー、どうせ先生が探すなら、もう任せてもいいんじゃない?」などと柳が返事をすれば、同意を示したように「そやそや。先生が見つけてくれるやろ」と友人も乗っかる。
しかしそれぐらいで村田は引き下がらなかった。先ほどよりも大きな声を出しながら、友人の丼から卵のからみあった鳥肉を奪いとる。
「二人とも手伝ってよ。一生のお願い……はだめ、えっと半年ぶんくらいのお願い!」
「なんやそれ」今度は友人が村田の弁当のミートボールをもらっていく。「えらい肩入れしとるけど、どないしたん」
「なっちゃんにとっては、すっごく大事な思い出と、思い入れがあるレポートなんだって。だからね、こっちが先に見つけるの。鈴本先生に負けてられないでしょ」
使命感に燃える村田はいつの間にか鈴本を競争相手としているらしい。よくわからない熱意にほだされた二人は、それぞれ食べ終わるころになって放課後の約束をとりつけられた。安心した村田は、そこでようやく楽しみに残しておいたはずのミートボールが消えていることに気づき、すっとんきょうな声をあげた。
放課後。デッサン室まできた三人は書棚を開錠した。石膏像がこのあいだ教えてくれた番号は合っていたようだ。三者とも青いファイルから調べようとすると、中年女性の声の石膏像が声をかけてきた。
――もう青色は鈴本が探し終えたわよ。次に時間があいたときにはべつの色に手を出すんじゃなーい?
「鈴本先生、どうやら青色のチェックは済んだって」
柳の言葉に村田がつぶやく。
「先生、仕事が早すぎ」
――手も早かったらたいへんよねぇ。
聞き捨てならないことを言ったが、柳と友人は無視をした。なにせ、こっそりと鍵をあけて確かめているのだ、長居をしてしまいそうな話題は面倒くさい。
とにかく迅速さが必要なこの作業。三人はデッサン室での滞在時間を短くしようと考えた結果、それぞれファイルを自らのかばんに入れて持ちだしては、デッサン室の近くの空き教室ですばやく調べ、またひそかに戻すという方法をとることにした。じつに面倒だが、ほかによい案が浮かばなかった。
地道な作業をはじめて二週間、もうすぐ児島と鈴本が交わした約束の一ヶ月がこようとしていた。時間のあいているときだけ作業していた三人は、それこそしらみつぶしにほとんどのファイルを調べていた。どこかにまぎれていないか、あるいはほかの書類と一緒にとじられていないかも念入りにチェックしている。もう何度も続けているのに、不思議なくらいデッサン室への出入りも順調だった。ただ気をゆるませてはいけない。誰にも見られないよう、そして目撃されていたとしても不審に思われないよう、彼らは細心の注意を払ってファイルの中身をあらためる必要がある。それなのに、作業の終わりが見えたその日、運はとぎれた。
ほぼファイルを見てきた彼らのなかで、村田だけはあせっていた。これだけ探しても見つからず、おまけに約束の期日も迫っているというのに、残りの数日から捻出できる捜索時間は村田たちにはもうなかった。だから今日中に済ますため三人はデッサン室から持ち出しをせずに、その場でファイルを調べていくことにしたのだ。しかし急いでこなしていくも見つからず、ついに友人がぽつりとこぼしてしまった。
「もうないんちゃう?」
誰もが内心思っていたが、誰も口にできなかったことだ。
村田はいつになく機嫌を悪くした様子で友人に言葉を返した。
「なに言ってるの! 根性なし、意気地なし! てっしーのお馬鹿!」
友人が目を見開く。「ちょ、なに怒ってんねん」
「怒るに決まってるでしょ! なっちゃんに残されてる時間はあとわずかしかないの! 早く、早く見つけてあげないといけないんだから!」
彼女がわめいたと同時に、背後で物音がした。
「……村田、どういうことだ」
三人は振り向いた。ドアの付近に鈴本が立っていた。
暗い顔の村田の物言いがあまりにも悲劇的だったので、柳と友人は深刻な顔をした。さすがの石膏像も黙りこくっている。というより成り行きに興味津々で、あえて口をはさまずに今後の展開を見守っているようであった。
そのなか鈴本にうながされ、村田は語った。先ほどの言い方ではよくない雰囲気をにおわせていたが、どうやら命にかかわることではないらしい。それがわかった瞬間、もっとも安堵した表情でため息をついたのは鈴本だった。
「つまり、児島は今度、海外留学するんだね? それで時間的な余裕がない、と」
「はい」村田が頷いた。「先生。じつはすでに、なっちゃん、えっと児島さんはレポートを持っています」
「え?」
驚く鈴本に、村田は一人で状況説明を行った。
文化祭のときに開いていた書棚を村田が勝手に探し、彼女へ渡した。それでは体裁が悪くなるので、とっさに児島が三人をかばった。そしてそのレポートには最後のページがなく、児島とメールのやりとりをしていた村田はレポートに関し非常に重要な何かがあると知ったので、それを今まで探していた。柳と友人は、村田を心配してついてきていただけだ、と。
こういうときに慌てず、相手の目を見てさも自然に話の筋をうまく整えるのは肝っ玉があるからか、ただの図太い根性の持ち主だからか。村田という女子生徒を前に、柳と友人はわからなくなった。
村田は続いて話した。
「先生。なっちゃんにとっては大事なレポートなんです。いつもレポートを提出すると、美術の先生が順番に添削指導してくれるって言ってました。最後のレポートにあたったのがどの先生かは知りませんけど、なっちゃん本人は順番を把握していたと思います。だからこそ、今になって手もとに欲しくなったんです。きっと添削された先生のこと、好きだったのかもしれない」
「それは、きみの想像だろう」鈴本は苦笑いを浮かべた。
「でもそのレポートのこと、なっちゃんは『第二ボタン的なものかも』って絵文字をそえて送ってきたんですよ! そんなの、冗談まじりの文面に本心を隠してるだけの、お、お……乙女心じゃないですかぁ!」
村田が真っ赤な顔で泣きだした。感情豊かな彼女は、怒ったり泣いたり忙しい。
「それだって、きみの推量だろう」
少々冷静さを欠いた鈴本の声音に、村田は他者から向けられるいらつきを感じてよけいに涙をこぼす。
柳と友人は、なかば事態を放りだしたように見守っていた。そこへ、石膏像の声が割って入ってきた。
――未練たらたらの男よね。しかも臆病ときた。
中年女性の声に、複数の女性石膏像が同意の声をあげる。ややこしい面での女の団結力の一片が見てとれたが、もちろん異論も生まれた。
――しかたあるめぇ。指輪も拒否されて一度ふられてやがんだ。男心ってぇのはガラス細工よ。女の強化ガラスとはわけが違う。
あいかわらず標準語をしゃべらない石膏像に、今まで静かだったほかの男性石膏像がここぞとばかりに賛同しだした。
ごくごく小さな、けれど明らかな亀裂が生じた瞬間だった。ややして石膏像たちのあいだで、けんかがはじまった。
村田と鈴本には何も聞こえていなかったが、柳と友人は耳をふさぎたいほどの喧騒に巻きこまれる。たがのはずれた石膏像はとんでもなくうるさかった。だから男は、これだから女は、と収拾のつかない口論に発展し、長年たまっていた鬱憤を両陣営とも同時に吐きだしたような惨状である。
どれくらい経ったのか。とにかく口達者な女性陣が多いために男性陣が言い負かされそうになったころ、村田と鈴本の話も決着がつきかけていた。
鈴本が言う。「最後の一枚は……もう、きみたちが探す必要はないよ」
「なんでですか!」
村田の剣幕を受けても鈴本は何も返さなかった。彼は口もとをかたく閉ざし、わずかばかり眉間にしわを寄せている。しかし彼女にあきれたわけでも、相手にするのが面倒になったわけでもなさそうだ。快い表情とは言えないのに、どこかすがすがしさを感じられるものだった。
ようやく柳と友人は動く。
「先生すみませんでした。特に用がないかぎり、ここには来ません」
柳が教師にそう声をかけ、友人が村田の腕を引いてデッサン室の外へ連れだした。
校舎を出てしばらくすると、三人は立ち止まった。友人の横で、村田はくやしそうな顔を隠すためうつむいている。
「村田さん。最初から俺らは何もすることがなかったよ。当事者たちだけの話だった」
柳の言葉に村田は顔を上げた。彼は続ける。
「児島さんの『先生』って、鈴本先生でしょ」
「え」村田はいま気づいた様子で口をあんぐりと開けた。
「レポートの最後の一枚は、きっと児島さんの在学中から先生が大切にあずかってるんじゃないかな」
「……あらあら、昨日の今日よ。特に用がないかぎりは来ないんじゃなかったの?」
石膏像の問いに、柳は答えた。
「用があるから来たんです」
彼は昼休みに一人でデッサン室を訪れていた。今日は美術室の周辺がやけに静かだった。それを石膏像に言うと、職員は会議という簡潔な返答をくれた。ふーんと述べた柳は、さっそく本題に入る。
「指輪の話をくわしく教えてほしいけど、だめかな?」
話にのったのは、やはりというかおしゃべりの好きな女性の石膏像だった。
「告白失敗のかわいそうな男の話? くわしくも何も、短い話だから。節目の日にありきたりな指輪を贈ろうとしたら、脈ありと思っていた女の子に断られたの。ごめんなさいって。そのあと逃げられて、ふられ男はぐずぐずと数年くすぶってるってだけよ」
柳は続けてきいた。「みんなから見て、二人の関係性ってどうだったの?」
これには、あいかわらず出身地が不明な言葉遣いを多用する石膏像がまわりくどく答えてくれた。
「このあいだ先生レポート探しにきよったとき、青色のファイル、裏表紙から探しとったとね。一冊自体ぶあついが、だいたいどの部分にお目当て入っちょるの知っとうからできると。どのファイルも真ん中のページさ行かずして次を調べとったけん。ま、結局先生が記憶しとうところさ入っとらなんだから、首かしげてただ。あんたら抜きとったあとだき、そりゃあ、ないべ。最後にゃあ、もう一度きちんと調べなおしてたけんども」
女性の石膏像がさらに言葉をつぐ。
「ほかの生徒のレポートだったら、しまった場所なんて覚えていやしないわよ」
「つまり、特別だったってことを言いたいんだね」柳がゆっくりと息を吐いた。
「おいら思うに、会ってすぐ先生の言葉がつっかかったんは、彼女の名前を呼んじまう寸前だったからじゃねぇかの」
柳は鈴本の驚きようを思い起こした。そこまで考えてはいなかった。
「あのさ、ききたいんだけど。鈴本先生と児島さんのこと、どこまで知ってたの?」
しっかりと二人の名前を出して尋ねれば、不思議ななまりを披露する石膏像が「秘密だべ」と答えた。
あれだけおしゃべりで教師や生徒の事情を暴露していた女性の石膏像もその部分は黙秘していた。ただ、よけいな言葉はくれた。
「ここの石膏像は総じて恋する者の味方なのよ。柳くんもがんばってね。卒業時には落としなさいよ」
柳は苦笑し、少ししてつぶやいた。「泣き落としでもしようかな」




