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夜も更け月が中天に差し掛かる頃、同室の燈蛍が寝たのを確認すると、雪鈴は机の上にある手鏡を持ち出し室を出た。
淑貴宮を出てすぐにある桃園のすこし開けた場所に腰を落ち着ける。明るい満月の下、手のひらより少し大きい手鏡の蓋を開け覗き込む。磨かれた金属には自分の顔が映っていたのが、水面の波紋状に鏡の中の像が歪みだし、それがおさまった時、そこには雪鈴の顔ではなく陽賢の姿が映し出されていた。
「……えーっと、聞こえますか?」
自分以外の顔が映ったら、その相手と話ができると簡単な説明だけで渡された鏡に本当に通じているのかと声をかける。はたから見たらひとりごとを呟いているみたいだな、と思って鏡に映っている陽賢を見ると、口元が動きそれにあわせて鏡から声が聞こえてきた。
「聞こえている」
「こんばんは。陽賢様」
「あぁ」
通じたことにほっとして挨拶をすると、陽賢からも挨拶が返される。そのことに、なんとなく嬉しくなり頬が緩む。
「それで報告なんですけれど私の知った感じですと……」
少し肩の力を抜いてここ数日で自分が知ったことを、話し出す。とはいえ、まだ後宮に入って5日しかたっていないので情報はあまりない。王妃様に対して三つの派閥がわれている事、三華姫はそれぞれの派閥から出された事、それを踏まえた上で、もし相手が何か行動を起こすとしたら献華祭当日になるのではないかという憶測も交えて伝える。
「という位です。陛下もはじめの宴以降、他の姫君に会うことすらしていませんので、今の所特にこれといった出来事は起きていません」
「ま、だろうな。結局のところ今回の件も、あの男がしっかりしてないから月麗にしわ寄せがきているだけだからな」
「私は政治の事はよくわからないですけれど、陛下は頑張っていると思いますよ」
王妃びいきの陽賢は、王妃に対する不都合なことは陛下のせいにしてしまう。だが、実際に彼の治める国に住む雪鈴にとって、彼は民に優しい賢王だ。孤児でもなんとか生きてこれたのは、彼の安定した治政のおかげである。
そう気持ちを素直に伝えると、陽賢は眉をひそめた。
「お前は私の家族なのに、他の男の肩をもつのか」
「?それと私の陛下に対する評価とは関係ないですよね?」
なぜか、一層不機嫌な顔になった陽賢に首をかしげる。陽賢は何か言おうと口を開いたようだが、すぐに閉じられ、気持ちを切り替えるように一つ咳払いをした。
「それはそうと、あの女仙からもらった飴は毎日食べてるか?」
「はい、おいしくいただいています。鳴音にありがとうと伝えてもらってもいいですか?」
「朱雀の一族の万能甘味だ。まぁ美味いだろうな。充分な数は入れているが、もしなくなりそうになったら言えとのことだ」
雪鈴が後宮に行く前日に、鳴音から毎日朝の食前に食べるようにと、念を押されて渡された壺の中に入った色とりどりの甘い飴は菓子替わりに食べている。
曰く、食欲不振、食あたり、胃のもたれなどの万能効果がある飴は、後宮で変なものを食べた時のためにとのことだった。
後宮で出される食事は女官のものであっても、庶民が食べるものに比べて段違いに良い食材をつかっている。鳴音は心配性だなと思いつつも、仙界で食べたものが体質に合わず、一週間ほど寝込んだことのある雪鈴の為を思っての事だと知っているので、ありがたくいただいている。
「あと、変なことに首を突っ込まない、怪しい人には必要以上近づかない、何かあったらすぐ逃げろとのことだ」
充分面倒事に巻き込まれている上に、そもそもの原因である陽賢がそれを伝えていることに若干頭が痛むのを感じた。
「……鳴音には、なるべく努力すると伝えて下さい」
無難な返答でごまかすと、陽賢がわかったと頷く。
「確かにあの女仙の言うとおり、月麗の周りにいる怪しい奴がいたら報告するだけでいい。お前が近づいても自滅するのが関の山だ」
「分かりました。それで、陽賢様はもし怪しい人がいたとしてその人をどうするおつもりなんですか?」
強調して言われれた自滅の部分にへこむが、反論できないので素直に返事をかえす。そして、陽賢がどう動くのかと疑問に思っていたことを尋ねたら、逆に意見を求められた。
「雪鈴ならどうする?」
「私なら、ですか?私は怪しいだけで何もしないならそれでいいですし、月麗王妃に何かしたのならばちゃんと裁判で裁けばいいと思います。もちろんそんな事が起ないに越したことはないんですけど……」
「国の、法?」
「王妃様はこの国の方なのですから、何かあった場合はそうなると思うんですが」
雪鈴の言葉に陽賢は何か考えるような顔をした。少し影を落としたその顔に、元気づけようと声をかける。
「大丈夫ですよ。心配なのは分かりますが、月麗王妃には周りにたくさんの方がいます。きっと献華祭も無事に終りますよ」
「そうだな。あの子はみんなから愛されている」
「献華祭が終ったら……くちゅん」
続けて言おうとした言葉はくしゃみに変わった。春先だが、夜はまだ冷い時期だ。室から出た時はそれほど寒いとは思わなかったが、上衣もかけずに出た体は冷え切っていた。
「風邪か?今日はもういい。次は六日後の月出の刻にまたそちらから連絡しろ」
「すいません」
「お前がどうしようもないのは今に始まったことじゃない。だが、さっき何をいいかけたんだ」
「えっと、なんでもないです」
大した事をいうつもりでもなかったのだが、なんとなく再び言うのも照れくさくなりごまかすように笑う。
「それでは、おやすみなさい」
「あぁ」
短い返答とともに鏡に写る陽賢の顔がゆがみ、しばらくすると鏡は持ち手の雪鈴の顔を写した。それを確認すると、手鏡の蓋を閉め月を見上げる。
(次に会うのは半月か……)
雪鈴は立ち上がると、踵を返し室へ帰る道を歩き始めた。
そんな彼女の様子を近くの木陰からみていたものがいた。それは、彼女の姿が見えなくなると同時にその場を離れ急いで自分の住処に戻っていった。
鏡は金属の磨いたものを木枠で囲ったコンパクトみたいな形です。