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陸妃(仮)  作者: 新田 船
24/27

20

※後半は蓮視点

 思考を無駄に空転させるだけの作業を終えた雪鈴は、次に子猫達の様子を伺うことにした。

 箱の中を除くといつの間にか部屋に戻っていた母猫の体に顔をうずめて乳を吸っていた。黒、とらじま、薄茶、白とそれぞれ毛色の違う子猫が団子のように並んでいる様はなんとも微笑ましい。

 そのうち薄茶がもぞりと体を動かすと、白い体が少し端に追いやられた。その様子に生後1日目から先行きが不安だと思わず手を伸ばしそうになるが、白い子猫は身をよじりなんとか端にある乳に吸い付いた。


「ちゃんと食べないと生きられないからね」


 母子揃って仲良くしている光景を飽きもせずに見守っていると、履音くつおとが耳に入った。

 急いでいるのか、せわしない足音を立てていたその人は雪鈴の室の前で止まる気配がしたので振り返ると蓮が入口に立っていた。


「蓮?」

「雪、具合が悪いって聞いたのだけれど大丈夫?」

「私は大丈夫です。……それより、蓮の方こそ大丈夫ですか?」


 寝て幾分か体調が回復した自分よりも青ざめた顔をしている蓮の方がよほど具合が悪く見えた。平気だと笑顔を作っていたが、表情はぎこちないものであった。


「私のことは気にしなくていいですから、早く自室で休んでください」


 猫の入っている箱から離れ、蓮に近づいて体を押し出すようにそっと触れる。それに対し、何か言いたげな目を一瞬向けるが、すぐにその目はそらされた。雪鈴は隣だからと蓮が自身の寝台に体を横たえるまで付き添って、そのまま部屋を後にしようとしたとき、二日酔いなら水分を取った方が良いだろうと声をかけた。


「お水をもらってきます」

「悪いからいいわ」

「私はお昼を食べていないのでそのついでです。蓮も何か食べますか?」

「いまはなにもたべたくない……」

「分かりました」


 力のない声に返事を返すと、淑貴宮に隣接されている炊事場へ向かった。途中に通り過ぎた中庭では日の傾きにより、木の影が長く伸びていた。猫と戯れていただけで、意外と時間が経っていたらしい。

 これなら出歩いている姿をみられても大丈夫だろうと歩を進め、炊事場の屋根が見える曲がり角までところまでさしかかった所で、からからと車輪の回る音が耳に入った。

 音は雪鈴の方に向かってきていたので、淑貴宮に残った他の姫の侍女達かと思い道の端に避けて軽く頭を下げ通りすぎるのを待った。

 しかし、予想に反して角から現れた人物は雪鈴の姿を認めるとその動きを止めた。


「小雪?」


 聞きなれた呼び名に顔を上げると、碧玉と楊がそれぞれ二段式の台車を押している姿が目に入った。楊が押す台車には料理が並べられており、それより少し小さめの台車である碧玉の方には茶器が載せられていた。


「雪。起きたの?」


 彼女たちは雪鈴がここいることに驚いているようであったが、それは雪鈴も同じであった。進路からいって向かう先は淑貴宮であろうが、食事を持っていく用などないはずである。


「はい。少し前に目が覚めて、お腹がすきましたので何か軽いものでもいただけないかとこちらに来たのですが、お二方はどうしてこちらに?」

「もちろん小雪の見舞いに。それにその体では移動するのも不便でしょうから用意しましたの。起きていたのならば丁度よかったわ、室に戻りましょう」

 「お心遣い感謝いたします。あの、ですが、私は今蓮……李女官が戻ってきて、彼女も体調がすぐれないようなのでそのお水を取りに……」

「生姜湯、ある。冷たい水だけより、二日酔いに、効く」


 碧玉は雪鈴の言葉を遮り、下の段にある大きめの薬缶を指した。すでにわかしてあるのか、注ぎ口からは湯気をくゆらせており、その横には再度温めるための小型の火鉢まで用意されていた。


「だから、戻ろ?」


 そこまでされては、頷く以外の選択肢はなかった。

 



――何かする気はもうないのでしょう?なら、何もなかったことにしなさい。


 目が覚めた時の倦怠感は毒が回っているせいだと思っていた。

 しかし、起き上がるのを介助してくれた北医官はかなり強い酒を一気にあおったせいだと二日酔いに効く薬湯を差し出した。それを飲むように促した彼女は蓮が何をしでかそうとし、その結果尚医宮に連れ込まれることになったのかを知っていた。


――あなたは愚かな事をしようとしたけれど、一線を越えずに済んだ。だからこそ、あなたのために周りが動いてくれている。それを無駄にするような行動は控えなさい。


 厳しい表情の中に憐れみを滲ませて、杯を持つ手に手を重ねられた。毒は強すぎる酒との相性・・問題・・で効かなかったのだと説明された。毒を盛ろうとした上に、さらに嫌がらせで強い酒も飲ませようとして毒の効果がなくなったとしたのなら、彼女たちは随分と無駄な事をしたのだな、とまだはっきりしない意識の中でそう思った。


――それより木侍女が怪我で具合を悪くしているようだから、戻りがてら様子を見に行ったらどうかしら。


 複雑な気持ちをそのまま表情に出していた蓮に、少し気持ちが落ち着くまで尚医宮で休んでいなさいと、北医官は未だ臥せっている王太后の様子を見に行くのだと言い置いて去って行った。


 気持ちの整理がつかないまま、蓮は尚医宮を後にした。

 休んでいても心に汚泥が溜ったような感覚は一向に晴れず、そのくせ余計なことばかり考えてしまいただ無為に時間が過ぎていくのがたまらなく辛かった。


「水を貰ってきますね」

 

 気が付くと雪鈴の部屋の前についていて、様子を見に来たはずなのに逆に顔色が悪いと心配されて部屋まで送られていた。休む気などなかったというのに、頭の重さに柔らかな敷布に身を預けると起き上がる事が億劫になってしまった。


 風が枝を揺らす音とともにどこからか猫の鳴き声が聞こえてくる。


(そういえば、猫がいるとか言ってたっけ……)


 尚食宮で一時期倉庫番の猫に餌をあたえていた時も、どこからか1匹の猫が紛れ込んでいたことがあった。手入れも禄にされていない薄茶色の毛並みを持つその猫は要領が悪いのかあまりにもやせ細っていた姿に同情し、こっそりと何度か餌を分けたことがある。結局、その現場を目撃した先輩の女官に飼うわけでもないのに与えるのはいけないと注意され、それから尚食宮ではその姿を見かけなくはなったが、野良猫たちはたくましく後宮を生きているようだ。

 

 猫の声を聴きながらしばらくぼんやりしていると、複数の足音と台車の音が耳に入った。

 

(雪が戻ってくるには早すぎる。それに、菖歌姫が現在いないここで、誰に会いにくるというの?)


 ぞくりと背筋を走る悪寒に思わず身を固くするが、予想に反して足音の持ち主たちは蓮の部屋の手前で足を止めた。


「お手数おかけして申し訳ありません」


「気にしなくていいわ。それよりも、碧玉と私が食事の準備をしているから、雪は先に李女官の方に湯を持っていってあげなさい」


「雪、勝手に机合わせても、いい?」


「はい、お願いします」


 そんなやり取りの後、台車がこちらに向かう音が聞こえ、雪鈴が入室の声をかけてきたので半身を起して出迎えた。雪鈴は目が合うと柔らかい表情を浮かべ寝台の横にある置台まで台車を運ぶと、急須にお湯を注ぎ、杯に生姜を入れる。怪我をしているとは思えぬほどその手つきにはよどみがない。

 

「ねぇ、雪。さっき外で話していたのは誰?」


 茶が浸出するのを待つ間、蓮は何気ない風を装い問いかけた。


「禄女官と黄女官です。私の具合が悪いのを心配してくれて……」


「禄様が?」


 この後宮内で雪鈴が関わっている人間は少ない。そのため、蓮は菖歌姫も交えた他愛ない雑談でその名前を聞いたことは何度かあった。碧玉が落とした髪留めを拾ったのをきっかけに知り合ったらしく、お茶に誘われたこともあるらしい。

 別に雪鈴がどんな相手と関わろうと自由だとは分かってはいるが、最初に聞いた時はよりにもよって、と思わず口に出そうになった。

 碧玉の母は現王玄武のいとこ違いにあたり、父は王家に古くから仕え、優秀な文官を排出している名門の家柄の出である。また、王太后が幼くして父母を失った碧玉の母を養女として迎えて育てた経緯もあり、王家との縁は深い。

 家柄、血筋に不足はなく、父親も我欲がなく控えめな人物なため、外戚になったとしても害は少ないだろうと側室候補として奏上される名前によく上がっている。そのせいか、王妃派の者達からはあまりよく思われていない。人となりはともかくとしてその背景だけでも思わず関わり合いを避けたくなるような人物なのだ。


「あの、なるべくうるさくしないようにしますから……」


 表情を曇らせた蓮をどう受け取ったのか、雪鈴は見当違いなことを口にした。

  

「そうしてもらえるとありがたいわ」


 雪鈴の付き合いに対し、主である菖歌姫が何も言わないなら自分が口を出すこともないだろうと当たり障りのない言葉を返す。それに対し、小さく頭を下げた雪鈴は、ふと何かに気付いたかのように机の上に視線をやると「そういえば」と口を開いた。


「昨夜に蓮の部屋を伺った時に蓮の書いた文が落ちていたので机の上に戻しておいたのですが、風で飛ばされたのか朝見たら見あたらなくなってて、よろしければ少し机周りを見させていただいてもいいですか?」


「文?私はそんなもの書いてないのだけど」


「でも、蓮の署名が……あ、たまたま拾う時にその部分が目に入っただけで、内容は見てません……」


(署名?)


 申し訳なさそうに言う雪鈴には悪いが、蓮には全くその文に心当たりがなかった。

 よその国は知らないが、この国では元々女の役目は家を守ることで、下手に学をつける必要はないという風潮がある。そのせいか貴族の娘でもせいぜい芸事や詩、日常でよく使う言葉しか分からないものが大半である中、蓮は一時期家に招かれていた父の知り合いの学者から小難しい本でも読めるくらいには字を習っており、尚食宮で幾度か代筆を行っていた事がある。


 しかし、少なくとも蓮は淑貴宮に来てから、字を書いたことなどなかったし、ましてや署名入りとなるともっと心当りがなかった。そしてそれが昨日の今日で無くなったということに何者かの作為を感じずにはいられないが、重い頭に考える事すら億劫になり投げやりな気分になる。


「いいわ。風で飛んだのならどこか部屋のなかにあるのだろうし、あとで自分で探すから気にしないでちょうだい」


 頃合いになったのか湯呑に茶を注ぐ雪鈴にそう告げると、見計らったかのように黄女官が雪を迎えに部屋の前に姿を見せた。ありがとうと礼を告げ、部屋に戻るように促すとすこし逡巡したものの雪鈴はそのまま蓮の部屋を去った。


 一人になった蓮は一口だけ口を付けると、湯呑を置台の上に戻した。

 隣室からはこちらを気遣ってか、小声でなにか会話をしている。内容は聞き取れないが、和やかな雰囲気なのは感じ取れる。

 壁一枚へだてただけだというのに、誰も来ずに一人だけの自分とは随分な違いである。

 誰とも深く付き合おうとはしないのは、後宮における賢い選択の一つである。上の者達からの不興を買えば、自分だけではなく下手すれば家族も巻き添えになる。

 だからこそ自分の行動には気を付けなければならなかったのに、婚約者がかかわるとどうしてもうまくいかなかった。


 蓮と孟天亮の婚約は彼の祖父が占いで決めたものだ。

 彼の祖父は蓮をとても可愛がってくれて、会うたびに孫の事をよろしく頼むと何度も何度もまるで何かに祈る様に同じ言葉を口にしていた。

 あまりに聞かされ続けていたせいで、彼は自分が幸せにするべき人で、どんな時でも支えてあげなければならない人なのだとただただ信じていたのだ。


 そう、思い込んでいたのだ。


 彼が蓮に心からの笑顔を向けたことなど、一度たりとも無かったというのに。

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