13 とある女官視点
※今回はシリアス成分大目です
目の前には酒で満たされた2つの杯。
「さぁどうぞ、お好きな方をお選びください」
口元を隠し嫋やかに笑う女達に囲まれ、私は湧き上がる感情を押さえつけるように膝の上に置いてある手を強く握りしめた。
結果的に何も起きなかったとはいえ、自分がどれだけ愚かな事をしたかわかっている。
そして、愚かだとわかっていても止められなかった結末がこれだというのなら甘んじて受け入れよう。
「ありがとうございます。では、私は左の杯をいただきます」
何も気ずいていないふりをして手を伸ばす。
杯を傾けた時、一層深くなった女たちの笑みに自分が選んだ方が“正解”なのだと悟った。
喉が焼けるような熱さに、頭がぐらぐらとするが一気に飲み干した。
カチャンと何かがわれる音が遠くに響く。
視界がだんだんかすがかってきた。
『また、明日』
遠くなる意識の中、別れ際雪鈴にかけられた言葉を最後に私の意識は途絶えた。
*
床に倒れ伏した少女を見て、あたしは隣に立っていた女官に恐る恐る確認した。
「死んで、無いですよね?」
「あらぁ、大丈夫よ。遅効性の毒だから今はまだ生きてるわ」
「そうそう、流石に献華祭りが終わるまでは死なせるわけにもいかないもの」
折角の今まで順調に行っているのに、後宮で人が死んだなんて不吉なことおこすわけにいかないでしょう?だからじわじわと毒が回るようにしたのよ。とおかしそうに笑う口元を袖で隠す。きれいな衣装を着飾った身分の高い美しい女達。この時代にあって、苦労も知らないで守られて育てられたご令嬢のはずなのに、その白い手は無知な残酷さでたやすく人の命を摘み取る。まるでじわじわと相手をいたぶるかのが楽しいとでもいうような様子に体がぶるりと震えるのを感じた。
(ほんっと、後宮ってこわっ・・・。こんな事なら石にかじりついてでも故郷から離れたくないってねばればよかった)
国境近くにある激戦区に居を構える豪商の3人兄弟の真ん中に生まれ、男兄弟に囲まれて育ったせいか、家でおとなしくしているよりも外で体を動いている方が性に合っていた。戦に兵としたことは出た事こそないが、血と泥にまみれて治療の手伝いをしたり、剣をふるって用心棒の真似事をしていた。しかし、名家出身の母はそんな娘を見て、もっと女の子らしくしてほしいと、親戚筋を頼って後宮に娘を送り込んだのだが、まさかその先で戦場以上に駆け引きと陰謀渦巻くどろどろな後宮事情に巻き込まれているとは思ってもいないにちがいない。
「では、わたくしはお茶会の途中で体調を崩した彼女は私が医官の所までつれていきますね」
いざという時の為の力仕事要員として呼ばれた自分の立場を利用し、早くここから立ち去りたい気持ちが顔にでないように気を付けながら女たちに声をかける。
「そうね、よろしく頼むわ。彼女当分動けないだろうから」
その言葉を聞き終わる前に、あたしは蓮の横に膝をついて脇に手を入れ持ち上げ室をでた。
あたしは暗澹たる気持ちのまま尚医宮へ足を進める。
いくら鍛えているとはいえ、体格のそう変わらない相手を持ち上げるのはさすがにきつい。ずしりと腕にかかる重みは命の重さと同じだ。
腕の中でぐったりとしている蓮を見ると、何度も戦場で見送った命を思い出す。なのに、自分は助ける側ではなくあの女官達と同じ側にいるのだ。
(でも、下手に彼女たちの不興を買って家に害が及ぶと困るし)
大切なものを天秤にかければ、どうしたって家族の方が大切だ。だからと言って、心が痛まないわけではない。なぜならば、あたしは彼女がこんな馬鹿な事をしでかした理由の一因を知っているからだ。
まず、婚約破棄になった経緯として、蓮という少女は何も悪い事はしていない。
むしろ捕まった婚約者の孟天亮を助けだそうと後宮を抜け出した所を、牢の周りを巡回していたとある将軍と兵士に捕まって、秘密裏に保護され後宮の一室に軟禁されていたくらいだ。
後宮にいる女官が許可も無しに抜け出すことは、その場で切り捨てられてもおかしくない大罪だ。自分の命を顧みず助けようとしたことからも孟のことを大切に思っているのがわかろうというのに、王妃様により罪を晴らされ牢から出た孟そんなことも知らずに何もしてくれなかった婚約者と蓮のことを勝手に誤解し、婚約破棄と同時にひどい言葉を投げかけたらしい。
彼女を保護した時に居合わせた兵というのが、私の従兄でその時の詳細まで聞かされたあたしは孟のあまりのあまりの阿呆さ加減にむしろそんな男と婚約破棄になれて良かったんじゃないかと思ったほどだ。
生まれた時からの婚約者という話をきいていたが、それだけ長い間一緒にいて相手の事を信じられない男と結婚してもとうてい幸せな未来がきずけるとは思えない。
(馬鹿な男と別れられてよかったくらいに思っとけばよかったのに)
家柄もそこそこ良くて―確か中流貴族だったはず―若くて美人で頭も良くて、よく働く。婚約破棄の件で多少評判は落ちたかもしれないが、給仕として尚食宮と典麗宮を行き来して人一倍働く姿から、外朝警備の兵ひそかに人気があったりする。
だからこそ後宮を抜け出した際も彼女を保護した将軍も彼女を知っており、すぐに尚食長に連絡をつけて後宮にもどす事ができたのだ。
すこし気持ちを切り替えて前を向けばよりどりみどりなのに、何を血迷ったのか王妃様に害をなそうとした。結局は菖歌姫の侍女により阻止され、そのことを知った尚食長が女官長にお願いして、三華姫付きとして後宮の仕事から切り離した。そして、王妃様を擁護する者達の手から逃がしてもらったというのに、また何やらこそこそ動きだして、彼らに付け入る隙を与えてしまったのだ。
(もっと頭のいい子だとおもってたんだけど・・・)
丁度彼女が後宮を抜け出した時に出くわした兵士―あたしの従兄にあたる人物だったりする―に、話を聞いた時は驚いたものだ。好きな相手の為に、一生懸命になって、自分の感情に振り回されて馬鹿な真似をして、とても普段の様子からそんな真似をする子には思えなかったのというのに。
恋は盲目というが、そのせいで人生を棒にふるような真似をするなんて馬鹿げているとしか思えないあたしは、深くため息を吐いた。
*
「かなり強い酒を飲んだみたいですね~」
どこか間延びした声にはっとして、我に返る。
ぐるぐる考えている内に、すでに尚医宮についたらしい。蓮は尚医宮にある病人用の寝室で寝かされており、医官が彼女の様子を見ていた。どうやら酒の飲み過ぎと医官は判断を下したようだ。確かに女官達が彼女に勧めた毒入りの酒はかなりきつくて有名なやつだったから、飲んですぐに倒れた原因はそれなのだろう。
「だめですよ、上の人がいないからといって羽目をはずしすぎては。弱いものでも一気に飲むと下手すると死んじゃう場合もありますから」
当直の医官は70がらみの老婆で、孫にたいして諭すように言い、あたしはその言葉にあいまいにうなずいた。
「まぁ、一晩ここで寝かせとくけどあなたはどうする?少し顔色悪いみたいだけど」
「・・・いえ、私は大丈夫です。それより彼女が目覚めるまでそばに付き添っててもいいですか?」
医官はあっさりと許可を出し、他に仕事があるから何かあったら隣の部屋にいるから呼んでねと言葉を残し寝室から出ていった。残った私は眠っている蓮の顔をじっと見つめた。
酒を飲んでいたせいか頬が赤みをさしているが、それ以外はどこも変化はなくただ寝ているようにしか見えない。だが、毒を飲んだ以上彼女の体は後は確実に死に向かっていくのだろう。女官達が彼女に盛った毒は、特殊な伝手を頼って後宮に持ち込んだもので、解毒薬はないに等しいと言っていたのを思い出す。
後宮の女達は危険な芽は早いうちに摘み取った方がいいという。
実際、彼女には未遂とはいえ前科があり、王妃様に対して危険な存在なのもわかっている。
でも、だからといってそこまでする必要はあるのかと思ってしまう。
すでに女官達に加担して黙視している立場のくせに、そんなことを考えてしまう自分の偽善さ加減に嫌気がさす。
断る勇気も、切り替える強さも、かばう優しさも、立ち回る要領のよさもない流されるだけのあたし。 そのくせ、がりがりと削られていく人としての良心とか思いやりを見て見ぬ振りもできずに勝手に傷ついているのだ。
(胃が痛いなぁ・・・)
*
次に気が付くと朝になっていた。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。朝日が部屋の中に差し込んでおり、鳥のさえずりが聞こえてきた。
「他に何か薬は飲んで------?」
「----です」
「もしかして―――にも食べさせたことが?」
「はい。昨日---」
「今度私も------りを見せて頂戴」
隣の部屋は新しく来客がきているらしく医官となにやら話していた。なんとなくその会話に耳を傾けていると、何やら椅子を引く音がして医官と客が立ち上げる気配がした。
(他の部屋に案内するのかな・・・?)
外の回廊を足音と杖のようなものをつく音がして、あたしたちのいる部屋をそのまま通り過ぎるかと思っていたら、医官は部屋の前でぴたりと止まり声を掛ける。
「入っても、よろしいかしら?」
「はい」
反射的に答えた返事に医官はゆっくりとした足取りで部屋の中に入り、そのあとに一人の少女が続いた。
あたしはその顔に見覚えがあった。確か菖歌姫付きの侍女-木雪-という名前の少女だ。
「どうやら昨日お酒を飲んで酔いつぶれたらしくてね。そこにいる彼女が付き添ってくれていたのよ」
紹介されてお互いに目が合うと、初対面の挨拶をかわす。その間に医官は寝台に向かい未だに寝ている蓮の顔を覗き込む。それから、木に声を掛けてなにやら話をしてからあたしの方に向き直った。
「まだ、目を覚ましていないみたいね」
「・・・え、ぇぇ」
思わずあたしは上ずった声で返事を返し、それに気づいていないのか医官は立ち上がり今度は私方に近づいてきた。
「仕方ないわ、あとは木殿の方が様子を見てくれるみたいだからあなたは帰った方がいいわ、ほとんど寝てないでしょう、女の子なのに隈ができているわよ」
「でも・・・」
逡巡するあたしの肩に手を置いて、医官はあたしにしか聞こえないくらいに声を潜めて言った。
「大丈夫。李女官は問題ないわ、彼女はどうやらかなりの運の持ち主みたいね」
え?と思い医官を見ると、彼女は手を離しにこりと笑った。
「さ、そうと決まれば早く行った方がいいわ」
さぁさぁと追い出されるように部屋の外に連れて行かれた。
「そういえば、ちょうどその今外朝で軍医をしてる私の弟が手伝いを募集しているの、もし行きたいという人がいるなら教えて頂戴」
かなり仕事が忙しいらしいからすぐに後宮から出て働くことになるけどね、と部屋から出る際に言われた台詞が意味することに気付き振り返えると、医官の姿はすでになかった。
仕方なくその日は尚医宮に背を向け、上司の元に蓮を無事送り届けた旨を報告しに歩きだした。
*
それから数日後、あたしは再び尚医宮の前に立ち扉を叩いた。
「すみません。先日伺った軍医のお手伝いの件ですが・・・・」




