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自分の知らない内に物事が進んでいるというのはよくある事だ。
雪鈴が菖歌姫の朝食を片づけて、戻ってきた時に蓮がなぜか菖歌姫の部屋にいた。
曰く、王妃様の犬せいで私が怪我をしたために後宮女官である蓮が数日間だけ派遣されたということならしい。
ひねった足首は腫れてこそいるものの、少し足を引きずる位で特に生活する上でさほど支障はないのに大げさではないのかと思いはしても、上の人間が決めて菖歌姫が了承したことに口をはさむことなどできるはずもない。
改めて簡単な自己紹介をした後、今日はあまり動かない方がいいと、雪鈴は献華祭で当日祭事を行う時に三華姫が持つ花につける布への刺繍を頼まれ出たので、自室で作業を行う事になった。
そうして次の日、同じように朝食の片づけをした後菖歌姫の部屋に行くと、燈蛍と蓮は菖歌姫の衣装について話し合っていた。
つい先日会ったばかりだというのに、蓮は菖歌姫や燈蛍の仲にすぐに溶け込んでいるようだった。
「菖歌姫の翡翠色に合わせてこの柳色の衣装にするなら、御髪のほうはこの様に全部結い上げて簪でひとまとめにした方が、全体的にすっきり見せられます」
「なら化粧は自然な感じにした方がいいわね」
「それでは、菖歌姫御髪の方を失礼いたします」
話がまとまると二人は、菖歌姫を挟む形でさくさくと作業を進めていく。長い黒髪をいくつにも分けて編みこんでから、頭頂近くで簪で軽く纏め上げる。紅筆で唇の輪郭をなぞった後に、それよりも少し濃いめの色で内側を塗りつぶす。
目じりに薄く色を付けると、燈歌に促され菖歌姫は閉じられた瞳を開く。化粧を施された美しい顔に、新緑色の瞳が彩りを添える。
鳴音に音読して聞かせてもらった物語の場面を切り取ったかのような光景の美しさと、そのあまりの手際の良さに、雪鈴は見惚れた。
「次はお召し物を・・・」
言いかけて視線を上げた燈蛍と目があった。その時、自分がただ何もせずにつったっていたことを気付いて、朝食を片づけた旨を伝え礼をすると室をでた。
足がもつれるが、この場所にいたくなくて自然と早足になる。
途中で幾人もの侍女を連れた花淋姫とすれ違い慌てて起礼するが向こうは雪鈴などまるでいないかのようにに通り過ぎる。
色とりどりの衣装を身にまとい、美しい侍女を従える姫君を尻目に、再び足を動かし、先ほどまで自分がいた洗濯場にたどり着くと、壁にもたれて座り込む。
干したばかりの洗濯物が、風になびく。
すべてが整えられた後宮の中でも日常的なその風景にひどく安堵した。
(どうしよう・・・)
一度立ち去った以上、また菖歌姫の部屋に用もないのにいくわけにもいかない。
かといって、今の気分のままではいつもの様に他の女官達に話しかけても逆に自分の方がうわの空になってしまうだろう。
(困ったなあ・・・)
結婚したばかりの頃は、神仙界で何人かの人と顔合わせをしたことがあるが、その内世話をしてくれる人以外誰とも会う事がなくなった。そのため、慣れない部分はあるが周りを意識せずにすんだので、木妃として与えられる環境にそこまでの違和感を感じる事はなくなった。
だが、同年代の華やかで若く美しい姫君と賢く優秀な女官達に囲まれたこの後宮にいると、元はただの孤児でしかない自分の存在が浮き彫りにされた気分になるのだ。
居たくないのではなく、居るべきでない自分を自覚してしまう。
自分がひどく場違いな場所にいることにいまさらながら気が付いてしまった。




