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7日目の朝、いつものように洗濯をしている雪鈴の元に、燈蛍がやってきた。
「雪。今日の中午に王妃様が主催で三華姫をお茶に招いてくださるそうなの。だから、悪いのだけれどその時に着てゆく服に合わせた赤い花を2、3取りに行ってもらえないかしら?」
後宮に来てから必要な時以外、話しかけてこず、また頼るようなことなどしなかった燈蛍からの初めてお願いに雪鈴は快く了承した。
一通り洗濯ものを干し終えると後宮で花を探しに、桃園へ向かう。
桃園では桃の花はまだつぼみの気配すら見えないが、季節に合わせて色とりどりの花が見れるように配置された庭づくりをしているのか、さまざまな種類の花が植えられている。
雪鈴はその一角に咲く椿の木の元へ向かう。
鮮やかな赤い花からただよう優しい匂いに目を細めると、一つ、二つと手折ってゆく。
少し多めの4つほど手にしてから戻ろうとした際に、すこし離れた場所で女官達が茶器を準備をしているのが目に入る。
(お茶会は王妃様の宮でやると思っていたのだけれど、ここで行うのかしら?)
叔貴宮から近い場所にしようと気を使ったのだろうと思い、その様子を眺めていると、準備している女官のうちの一人、宴の際に会った蓮の姿を見止めた。はじめ出会った時のしゃんとした様子とは違い、どこか不安げな眼差しをしており、寒いのか茶筒をもっている手がすこし震えている。
視線をさまよわせた李蓮は、椿の木のそばにいた雪鈴と目が合う。
驚きに見開かれた目に、なんとなく見てはいけないものを見てしまった気がして思わず姿をかくそうと足を一歩後ろに動かしたとたん、地面に左足がめりこみ視界がぶれた。
受け身を取る間もなく、背中から無様に倒れこんだ雪鈴の耳に、がちゃんと物が落ちる音が聞こえた。
「ちょっと、大丈夫!!」
蓮の大きな声がその場に響く。手に持っていた椿の無事を確認してから、痛む背中を抑えて上半身だけ起き上る。音のしたの方を見たら、蓮が落としたであろうお茶の葉が地面に散乱していたが、彼女はそれには目もくれずに雪鈴の元に駆け寄ってきた。
「大丈夫です。ちょっと、地面に足を取られたらしくて」
足元を見ると、動物が堀った様な1尺ほどの穴があった。
「王妃様の飼ってる犬の『正拳』の仕業ね。怪我は?」
起き上って無事を伝えようとしたら、左足首に鋭い痛みが走った。少し顔をしかめると、その様子に気づいた蓮に足を見せるように言われる。そうしている内に、準備をしていた他の女官達も集まってきた。
「腫れてるわね。李蓮、彼女を医官の所までつれていてって貰えないかしら」
女官達の中でも年嵩の50過ぎの貫録ある女性が、雪鈴の足の様子に一番先にいた李蓮に指示を出した。
「私が・・・ですか?ですが、あれの始末を・・・」
指名されたことに対する驚きというよりも、なにか気にかかることがあるかのように言いよどむ蓮。散乱したお茶の方と雪鈴を交互に見て視線をさまよわせる。
「あれは、私たちの方で処分して新しいお茶の手配をするから、彼女・・・たしか月家の姫君についていた方で木雪といったわよね?彼女について行ってあげなさい」
名前と顔を覚えられていることに、どこかであったのだろうかと雪鈴は年嵩の女官の顔を見る。女官はその視線に気づかず、集まった他の女官達に戻るように指示を飛ばす。
残された蓮は片づけ始めた女官達から視線を外すと、手を伸ばして雪鈴を立ち上らせた。
一通りの手当てを受け終わると、二人は医官達のいる尚医宮を後にした。
「雪、月家の侍女だったのね」
「はい。一応・・・」
「じゃあ、どうして最初あった時にちゃんと言わないのよ」
「言いそびれて・・・・」
どこか責めるような口調に、自分のせいで仕事の邪魔をしてしまったためだと申し訳ない気持ちになる。
気まずい雰囲気の中、叔貴宮の入り口の門まで着くと雪鈴は蓮に頭を下げた。
「私のせいでお茶を台無しにしてしまって、すみません」
「・・・・」
返答がなかったので、頭を上げると何かをこらえるような表情をした蓮の姿があった。
「ううん。いいの・・・そう、これで・・・よかったのよ」
瞳に複雑な色を宿しながらも、どこかほっとしたような声で一人ごとのように呟いた。
そして、じっとその様子をみていた雪鈴の視線から逃れるように、ふいと顔をそらされる。
「べつに、落としたのは私が勝手に驚いただけなんだから、あんたのせいじゃないわ」
つんと顎をそらして言われた台詞だが、言葉の裏にある「だから気にするな」という気持ちに、雪鈴は手に持っていた椿の花の一つを蓮に渡した。
「ありがとうございます。多くとってあるので、一つどうぞ」
感謝の気持ちを込めて手渡す。蓮はいきなり渡された椿の花と雪鈴を見やると、顔をくしゃりと歪めた。
「こちらこそ、ありがとう」
逆にお礼を言われ、再度雪鈴はお礼の言葉を言い返す。
そうして、蓮もまたお礼を返す。
先ほどまでの気まずさがなくなり、なんとなく暖かくなった気持ちに、雪鈴と連は惜しみつつもまた会う約束をしてからその場を別れ、お互いの仕事場に戻った。
残りの椿の花はというと、持って帰った頃には遅い雪鈴にしびれをきらした燈蛍が、すでに別のを用意しており、しばらくは雪鈴の部屋に飾られる事になった。




