貴方への制裁を決めるのは私ではありませんわ
「リーシェ! 紹介させてくれ。新しい婚約者のマリアだ」
「新しい婚約者? はて。そちらの可愛らしいお嬢さんがですか」
「そうだ。つきましては、君との婚約を破棄させて頂きたく――」
「承知いたしました。後ほど正式に契約を破棄いたしましょう」
「え、いいの?」
夜会の席、エスコートをドタキャンしたカイルが連れていたのは最近学園に入学した男爵家の庶子、マリアだった。
カイルは色事が好きな性格だから、まんまと騙されたのだなあ。リーシェはのほほんと婚約破棄を受諾した。
学園の噂の登場人物はマリアが大半を占めているから、リーシェだって顔くらい知っている。だが、ここで知らない風を装う方が、マリアのプライドに打撃を与えられるはずだ。冷静さを欠いた相手は扱いやすい。そう判断してのことだった。
事実、マリアは耳まで赤く染まって、カイルをぎゅっと握りしめ、体をわなわなと震わせていた。
わかりやすいのは大歓迎だが、貴族としての資質は欠けていると言わざるを得ない。そういうわかりやすいところが学園の令息たちにウケているのかもしれないが。
「『いいの?』も何も、この状況下で復縁にもっていく方がおかしいでしょう。そちらの貴方もそう思いますよね? ええと」
「マリアよ! ザミール男爵家のマリア!」
「そうそう、マリア嬢。ですから、私はこの婚約破棄を受け入れますわ。それとも何か不満がおありで?」
カイルは別に不満の一つもないだろうが、マリアの方はそうでもないことを見抜いていた。
そんな都合よく取り乱したりしませんよ。もともと愛のある結婚じゃあるまいし。
リーシェは少し引いて物事を考えるところがあった。
「チイッ......こほん、わたしは全く不満などなくてよ! カイル様も災難でしたわ。婚約破棄をすぐ受け入れるなんて大切に思われていないみたい」
「ああマリア、哀れな僕のことはいいんだ。だって......君に出会えたんだから」
うっとりとした視線を送るカイル。
どちらかというと婚約破棄された私の方が哀れなのでは、とリーシェの脳内に疑問が浮かんだ。
お熱いことで。リーシェはさっさと帰り支度を始めた。父にこの事態を報告しなければならないからである。
自分など眼中にないかのようににこやかな歓談を続ける二人が流石に哀れなので、一応帰る前に通告だけはしておくことにした。
「ではカイル様、私はこれで失礼いたします」
「うん。迷惑をかけたね」
たった今一方的に婚約破棄をしたとは思えないほどにこにことした面だ。
「カイル様」
「まだ何かあるのかい?」
不思議そうな顔をする。
「カイル様の今後について少しお話しておこうかと。貴方が受ける制裁の話です」
「制裁? 僕が? だって今、君が破棄を受け入れたじゃないか」
「ええ。ですから、私個人として貴方に慰謝料を請求するわけではございません」
「じゃあ誰が」
リーシェは二本指を立てた。
「ひとつは我が侯爵家。体面をつぶされたのですから、持参金の引き上げおよび通商の断絶くらいは平気でするでしょうね」
「だ、断絶......」
リーシェは数を数えるように一本指を折った。
「それから――」
「待ってくれ! 実は僕の家にはあまりお金がないんだ。持参金の引き上げに加えて通商の断絶なんて......どうにか、とりなしてくれないか?」
ようやく自分の行動の結果に気付いたのか、マリアの頭を掴んで一緒に下げた。「ちょっと!」という抗議が虚しく響く。
二人を冷たく見下ろしながら、リーシェは言った。
「これは契約ですよ? ああ、でもわたしから父上に言えば奇跡が起こるかもしれませんね」
「頼む!!!」
藁にもすがる思いでカイルは叫んだ。一筋の光明が差した。リーシェが女神に見えた。
「ですが」
リーシェはサディスティックな笑みを浮かべて、もう一本の指を折った。
「この世界は私とカイル様のものではございません。無責任で自分勝手な婚約破棄をしたお方。貴方への制裁を決めるのは私ではありませんわ」
その場でくるり、と回転して、夜会の場全体を指し示す。
カイルは急に、自分の視野がいかに狭かったかを悟らせられた。
自分を見つめる、いくつもの冷ややかな双眸。この世界で生きてきた者たちの、獲物を見定める目。
今まで気づかなかった「貴族社会」というものが、現実味を帯びて立ち上がってきた。
額から脂汗がとめどなく流れ落ちる。リーシェはそんな彼に続けた。
「漸くお気づきになられたようですね。皆様の集まる夜会の場で、堂々と浮気による婚約破棄......随分と不興を買う行いであることに間違いございませんわ」
マリアの甘い囁きしか聞こえていなかったカイルの耳に、周囲のざわめきが少しずつ届いてきた。そしてそれは、自分への悪意に満ちていることは想像に難くなかった。
カイルはがっくりとひざを折り、その場にくずおれた。
「皆様、お騒がせいたしました。この騒動の謝罪は必ず後ほどに」
来客たちに完璧なカーテシーをして、リーシェはその場を後にした。
◇◇◇
夜会での一件で社会的信用を失ったカイルは、廃嫡され、静かな田舎にマリアとともに送られた。
二人でのつましい暮らしは長くは続かなかった。というのも、男爵家庶子たるマリアには後ろ盾がなかったからである。騒動の責任を取らされる形で、マリアは国外追放に処された。
その後、カイルは静かに田舎の家から姿を消した。発狂して森に身を投じたのか、はたまたどこかの貴族家で慰みものにされているのか。真相は誰も知らない。
リーシェは契約破棄に関する諸々の手続きを問題なく終わらせると、さっそく次の相手探しを――とは、ならなかった。
隣国への遊学を申し出たのである。
「この若い身で独り身となったのですから、まずは見聞を広めてまいります。そうすれば、貰い手がいなくても領地のために尽くせるでしょう」
聡明な彼女の意見は通り、国費での遊学が認可された。
今は新しい学友たちと、机を並べ日々切磋琢磨している。
リーシェの新しい挑戦は、始まったばかりである。




