2日目:口座、空っぽ。
生希はベッドの上で固まっている。
よくニュースなどで著名人が亡くなったときに「まだ現実を受け入れられません」というコメントを耳にするが、これがその感覚なのだろうか。
目の前の現実が受け入れられない。
いや、受け入れられないというよりも......
何が起こったのか呑み込めていないというほうが正しいかもしれない。
その証拠に。
スマホの画面を一度閉じて、もう一度アプリを起動しなおしてみる。
変わらない。
もう一度。更新。再起動。
変わらない。
「バグか?メンテナンスか?」
まだ現実を受け入れられずに、かすかな希望が口から洩れる。
部屋の温度とは無関係に、冷汗が首筋を流れる。
「おいおいおい......さすがに、嘘だろ???」
現実を受け入れられない言葉とともにアプリの画面を眺める。
指が震え、心臓が痛いほどの動悸がする。
現在残高:¥0
昨日、酔ってやったあの”いたずら”が脳裏をよぎる。
「まさか......え?取れるもんなら取ってみろって!?」
「ほ、ほんとに取られたのか????」
独り言が部屋の中でこだまする。
同様で、まるで誰かと話しているような声の大きさになる。
頭の中には、目の前で起きた現実と、明日からの生活の不安が交差する。
(こんなときは、一度深呼吸をして――)
そんなことを心の中で唱え実行するが、頭の中は何も落ち着かない。
(誰だ!”慌てたら深呼吸”とか言い出したやつは!)
まったく落ち着かない深呼吸に、そんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡る。
これが”頭が真っ白になる”というやつなのかもしれない。
とりあえず、そんなときの対策方法をネット検索する。
「フィッシング詐欺にあった時の対処方法」
「フィッシング詐欺 お金とられた」
「口座からお金を取られた場合」
いろんな検索ワードをかけてみるが、出てくるのは同じものばかり。
1、冷静な行動を
焦って行動することによって更なる被害を招きます。フィッシング詐欺にあってしまった場合には、冷静に行動しましょう。
2、金融機関に連絡を
フィッシング詐欺にあってしまった場合には、口座やキャッシュカードなどからの引き落としが考えられます。まずは、引き落とされないように連絡をしましょう。
3、警察に連絡を
フィッシング詐欺は犯罪です。落ち着いて警察に連絡をしましょう。
(・・・・・・。何にも役に立たねぇ。)
「と、とりあえず電話だな。」
そういいながら銀行のカスタマーセンターに電話をする。
――プルルルル。
「よし。これで、一安しn......」
「お電話ありがとうございます。○○銀行カスタマーセンターです。ただ今の時間はお電話対応外となっております。お電話をご希望の方は......」
軽快に話される声が、逆に神経を逆なでする。
「だあぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「なんで、こんな時に限って!!!!!」
「話させろおぉぉぉぉ!!!!」
生希はそういうと、頭を掻きむしりベッドに倒れこむ。
現在の時刻 7:36
なんだかんだ起きてから1時間程度が経過していたらしい。
カスタマーセンターの時間は9:00~
(こんな時は、何したらいい?)
(とりあえず、会社に電話か?)
(あ......会社は休みか......いや。待てよ。明日からの出勤どうする?)
(Suicaに残高ってあったっけ?)
(てか、明日からの生活どうする?)
(国産牛ステーキ弁当なんて食ってる場合じゃなかったんじゃないか?)
そんなことを考えて、部屋をうろうろしているといつの間にか時間は8:55になっている。
カスタマーセンターが始まる9:00ぴったりにかけてやろうと、電話の画面を表示して、ボタンを押すだけにする。
《8:59》
(あと、1分......)
(あと、30秒......)
(あと、15秒......)
(あと、5秒.....)
(4、3、2、1......)
(よし!!!!!!!)
満を持して電話のボタンを押す。
――プルルルル。
「ガチャ!」
「あ、あの。すみませ......」
「こちらはカスタマーセンターです。ただいま大変お電話が混みあっております。」
「なんでやあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「みんな、どんだけ待機してんねん!!!」
「こっちは、5分前行動してんねんぞ!!!!」
思わず声が漏れる。
5分、10分、15分......
ようやくオペレーターが出た。
オペレーター
「はい。○○銀行カスタマーセンターです。どうなされましたか?」
生希
「え、えっと、あの......口座から勝手にお金が無くなって......」
オペレーター
「お客様の口座からお金が無くなったと。何か心当たりはございますか?」
生希
「えっと、たぶんフィッシング詐欺にあったのかと.....」
オペレーター
「フィッシング詐欺にあったと。お客様の口座をお調べしますので、お手元に本人確認できるものと口座の通帳などはございますか?」
生希
「は、はい。」
生希
「口座番号は*****5912で、支店が○○○です!」
オペレーター
「わかりました。少々お待ちください。」
保留音とともに少し時間が経過したのち、再びオペレーターの声が変えってきた。
オペレーター
「口座のご確認が取れました。こちらは本日の3時48分ごろに”ご本人様”からの送金となっておりますが......」
生希
「い、いや。あのそれが、取られたんでして......」
オペレーター
「取られた?外部からのアクセスということですかね?」
生希
「たぶんそうだと思います.....。」
オペレーター
「何かに、暗証番号や、口座番号などを入力してしまったなどのご記憶はございますか?」
生希
「あ......。はい......。」
オペレーター
「どのようなご状況だったのでしょうか?」
生希
「あ、あの.....。酔った勢いで......」
オペレーター
「酔った勢いで、フィッシング詐欺だとわかりながら、口座番号と暗証番号を入力したということでよろしいでしょうか?」
生希
「......はい」
オペレーター
「そうなりますと、こちらのお電話ではご対応いたしかねますので、口座を作りました、○○支店のほうに行っていただく必要がございます。」
生希
「え.....でも、今日やってるんですか?」
オペレーター
「本日は日曜日ですので、もちろんやっておりません。」
生希
「もちろん!?」
オペレーター
「お客様には明日以降に、○○支店のほうに行っていただく必要がございます」
生希
「で、でもお金が......」
オペレーター
「はい。ですので、こちらでは対処いたしかねますので、明日口座開設を行われた○○支店のほうへ行っていただく必要がございまして」
生希
「そ、そしたら、お金って戻ってくるんですか?」
オペレーター
「はい。基本的に詐欺の被害に関するものは補償対象となっております」
生希
「ほ、ほんとですか!?!?」
オペレーター
「はい」
生希
「よっしゃぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
オペレーター
「ただし、お客様ご自身でフィッシング詐欺だと理解されながら、口座番号や暗証番号といったもの入力された場合には保障の対処外となります」
生希
「......。」
オペレーター
「保証は難しいかと思われます」
生希
「......。なんで2回言った??その、ワンテンポずらして攻撃してくるのやめてください。」
オペレーター
「失礼いたしました」
(電話の向こうから、笑いをこらえる声が聞こえてくる)
生希
「絶対楽しんでますよね?」
オペレーター
「い、いえ。くくく......。そんなことはございません」
生希
「.......。」
オペレーター
「も、申し訳ございません。つい......。」
生希
「ついって何ですか??」
オペレーター
「くくくっ......。失礼いたしました。ほ、ほかにご用件はございますか」
生希
「その、笑いこらえながら言ってくるのやめてください!!!」
オペレーター
「はい。すみません。仕切り直します。」
生希
「仕切り直します!?」
オペレーター
「い、いえ。失礼いたしました。ほかにご質問はございますか?」
生希
「い、いえ。特にないです......」
オペレーター
「かしこまりました。それでは失礼いたします。くくくっ......。本日のお電話は○○銀行カスタマーセンター○○がお受けいたしました。」
――ガチャ。
生希
「.........。絶対バカだと思われた......。途中、笑ってたし!」
お金が戻らない絶望感と、笑われた敗北感が胸をよぎる。
時間が止まり、部屋の中で膝から崩れ落ちる。
まさにorzの状態である。
(昨日の俺。ほんとに殴りたい......)
そう思いながら、出かける支度をする。
警察署へ行く準備を始める。
「くそっ。せっかくの日曜日が......」
「なんで俺だけ、こんなめに......」
そんなことをつぶやきながら、部屋を後にする。
警察署につくと、受付の窓口へ行く。
フィッシング詐欺の内容を話すと、刑事課に通される。
「では、こちらでお待ちください。」
受付のお姉さんが、ほがらかな笑顔で、机を示す。
しばらくすると、なんとも仏頂面の刑事が入ってきた。
刑事はゆっくりと腰掛け、手帳を開いて、ペンを取り出す。
(おぉ!あれが警察手帳か......)
刑事ドラマの見過ぎなのか、そんなことが頭をよぎる
警察
「では、聞き取りを始めます。まずは、お名前と年齢、ご職業を聞いてもよろしいですか?」
生希
「はい。日野生希。30歳。独身。職業はSEをやっています。」
警察
「婚活じゃないので、独身までは聞いていませんが、わかりました。メモだけしておきます」
そういうと、なぜか”独身”にだけ赤丸をつける。
(強調された???)
警察
「では、被害の状況を教えてください」
生希
「あ、はい。えっと、口座のお金を全部取られました」
警察
「フィッシング詐欺ですからね。最近多いんですよね。何時ごろですか?」
生希
「スマホの通知だと3時48分に引き落としがされています」
警察
「なるほど。その様子だと、口座番号や暗証番号などが流出している可能性が考えられるんですが、何か心当たりはありますか?」
生希
「えっと、酔った勢いで入力しました。」
警察
「......何をですか?」
生希
「暗証番号と、口座番号です......」
(改めて、口に出すと、恥ずかしさで顔から火が出そうだった)
警察
「......。お仕事SEなんですよね?入力したらどうなるかくらいはわかりますよね?バカなんですか?」
生希
「恥ずかしいんで、言わないでください!」
警察
「ネットに疎い、おじいちゃんやおばあちゃんならわかりますけど。若い人で、こんな人いないですけどね」
生希
「わかってるんで、事実を突きつけないでください」
警察
「なんで入力しようと思ったんですか?」
生希
「えっと......取られないと思ったので......」
警察
「そしたら、取られたと。やっぱりバカなんですね。」
生希
「何回も言わないでください!!!」
警察
「とりあえず、事情は分かりましたので、被害届を書いて出していただいて、捜査という形にはなります。」
生希
「......はい」
生希
「ちなみに、そういうのってお金とかは戻ってくるんですか?」
警察
「犯人が逮捕され、裁判が終わった後になりますので、すぐには戻ってきません。銀行ではなんと?」
生希
「原則、自分で入力したものは戻らないと......」
警察
「でしょうね。そういうことです」
生希
「慰めの一言とかないんですか?」
警察
「お気の毒です......。」
生希
「そんな、教科書に書いてありそうなテンプレート」
やがて、被害届けも書き終わり、警察署を後にする。
ちょうどお昼時であり、空がやけにまぶしく感じる。
人は心にダメージを負ったとき、なぜ上を見上げてしまうのであろう。
普段なら、昨日の余韻に浸りながら、夕方までひたすらグダグダし、何の生産性もないことに費やす日曜日も......
もはやそんな気分ではない。
「はぁ......。」
ため息をつくと、念のため財布の中を確認する。
ピッタリ7000円。
「マジで、今月これで生活するのか......」
思わず言葉が口から洩れる。
帰りにコンビニによってみる。
コンビニの中はひんやりとしていた、まるで外とは別の世界である。
棚に並んだお総菜や弁当が誘惑するかのようにこちらを見つめている。
しかし、その値段に思わず手が止まる。
コンビニスイーツなんてもってのほか......。
しかし、そう思うほどに食べたくなる。
プリンと目が合った。「ほら、お前、私をたべたいんだろう?」と言わんばかりに。
生希の横を女性客がサッとカゴにスイーツを入れる。
妙な敗北感が胸に走り、崩れ落ちる。
(......くそ!昨日までの俺なら躊躇なく買えたのに!)
(これが、敗者の気持ちか......!)
一社会人がコンビニスイーツ一つ買えない敗北感に、スイーツコーナーの前でorzになっていると、後ろの子供が指をさす。
「ママ、あれなに?」
「シッ!見ちゃいけません!!!」
コンビニスイーツをあきらめて、カップラーメンコーナーへ移動する。
おいしそうなカップラーメンはどれも200円を超えている。
ごくり、とつばを飲み込むが、残金を考えると簡単に手を出すわけにはいかない。
隣の若いカップルが何やら楽しげに話しながら、新作のカップラーメンをかごに入れていく。
金もなければ、パートナーもいない。
それが余計に生希のむなしさをくすぐる。
葛藤に打ち勝ち、簡素なパッケージの98円のカップ麺を手にレジに向かう。
レジのわきでは、ホットスナックが再び誘惑をかけてくる。
肉まん、チキン、から揚げ、フライ......
必死に目をそらした。
しかし、目の前の店員が再び追い打ちをかける。
「ただいま、ホットスナック全品50円引きとなっています。いかがですか?」
もはや、世の中には金を使わせようとする敵しかいない。
「い、いりません......」
なんとか持ちこたえた。
危なく「ひとつ」という単語がのどをつきかけた。
店を出ると再び、夏の直射日光が生希を迎える。
もはや、世の中には敵しかいない。
そんなことを思いながら、住宅街を歩く30歳独身。
(現在残高:6902円)




