二ノ三 祓う
武者の怪が地に足を付けると、同時に右手に持っている刀を床に突き刺す。すると照っていた日の光が紅に染まり、室内が赤く照らされる。誰のかも分からない返り血が部屋中を汚すように飛び散り、壁や天井、家具だけでなく三人の体や壁や天井から生えている手と足にも返り血が付着する。
生暖かい感触が肌を通して伝わり、二人の背筋を凍らせる。
「念のためもう一度言っておきます。指示があるまで絶対に目を開けないでください。何なら手を目の上にかけて絶対に周囲を見ないようにしてください。目を開ければ、死にますよ。」
彩人が真剣な表情で二人に呼びかける。表情は見えていないもののその気持ちは伝わったのか、目を瞑りながら、さらに両手で目を覆う。二人がそうしたのを確認して彩人は右手を軽く上げ、口を開く。
「出迎えてやれ」
彩人の指示を聞いた武者の怪は刀に何かを籠めるように両手に強く力を入れ、血の染みた柄を握り直す。
握ると同時に室内に飛び散った血が沸騰したかのようにブクブクと泡立っていく。すると壁や天井に生えていた手や足が酸に溶かされる様に血の付着した部分から煙を立てて溶けていく。
「ア ア ア゛ ア゛ア゛アアアアアアアア!!!」
抉れたかのように溶けてなくなった腕の部分を押さえるかのように腕が生えていき、痛みから生まれる痒みを掻き消すかのように指先で搔きむしり、傷を抉る様に開いていく。
「あー。あー。聞こえるか?今からもっと痛めつけてやるから嫌なら反撃して来い。」
彩人は声を一度出すと喉を手で押さえながら声色を変える。透き通っていたような声がノイズが混じったような曇った声へと変わり、その言葉を用い、化け物と会話しているようだった。
「ごちゃごちゃ言わなくても……!ブッ殺してやるよ!」
彩人の目線が向いている方向の壁からすり抜けてきたかのように本体と思われる化け物が現れる。その化け物が仮に廃ホテルに至化け物だというのなら、前よりも姿が大きく変わっている。大きく変わったのは顔面で、歯並びが歪になり、歯と歯の間の隙間が大きくなっている。歯の形も縦に長く変形している上、唇が無くなり、歯茎と顔の皮膚が一体化してしまっている。そのせいか、口の下には涎のような液体が絶え間なく垂れ続けているのだ。
眼球も飛び出し、顎の高さまで垂れている。元々眼球があったであろう位置は闇を映すかのように真っ暗になっており、その中心から肉がガムのように伸び、眼球を支えていた。
ぶよぶよの肉体にもいぼの様なものが形を成し、ところどころが膿んでいるのか、薄い黄色のような液が肌から漏れ出ている。増えた手足を使って彩人に襲い掛かる。
「斬れ。」
彩人の指示を聞いた武者の怪は刀を床から抜くと、刀を肩の高さ辺りまで移動させ、構える。そのまま化け物の攻撃を見切り、初撃として伸ばしてきた手を左に躱し、化け物の斜め前から袈裟斬りを繰り出す。刃先が細かく欠けたり、錆びている刃からは想像もできない程に素早く化け物に一太刀を浴びせる。
その直後に傷口から血が溢れ、膨らんでいく。
「な、何だっ!これは!?」
膨らんだ血に体が押されたのか、苦しそうに声を上げる。パニックになり動きが止まったその時、武者の怪は背後から刀を振り下ろし化け物の体へさらに傷をつけていく。
三回ほど傷を作り、傷口から溢れる血を膨らませる。
武者の怪が化け物を切るのをやめると、彩人の方へゆっくりと歩きながら刀を振って血を払った。その時、膨らんでいた血の塊が脈打ち、音を発しながら膨張し水風船が割れたかのように突然破裂し、勢いよく血を撒き散らすことで紅に染まった海を作りだす。化け物は大量の出血による影響なのかドンと音を立てて床に倒れると、突然、ボロボロと体から剝がれていった破片が宙を舞い、化け物の体が少しずつ消えていく。
「……血を拭いたら戻って来いよ。」
武者の怪は懐から和紙のような紙を取り出し、刃に付いた血を拭く。彩人の指示通り刀を拭き終え、鞘に収めると最初に漂っていた黒い砂粒へと形を変え消えていった。
彩人は制服の胸ポケットから煙草のような箱を取り出すとその箱から棒を一本だし、口に銜え、先を手で覆う。目をゆっくりと閉じ、いつもの糸目に戻る。
「終わりました。目を開けても大丈夫ですよ。怪は完全に消えていないのであれですが、少し経てば消えてくれます。」
「終わった……!」
「良かったね……!!って!何してるんですか!?」
「は?」
「あなた、詩喜と同い年なら未成年でしょ!?煙草なんか吸っちゃ
「これは!『ココアスティック』です!お・菓・子!!真似っこしてるだけですよ……」
「あ、そうですね。すみません……」
彩人はどうやら駄菓子が好きなようだ。それも大人の人間に憧れて真似までしているようだ。
……そんなことはさておき、彩人は咳払いをすると、二人を再度ダイニングの椅子に座らせ、説明を始める。
「とりあえず、消去までの執行猶予は十日。別に今決めてもらっても構いませんが、何日か現場を見てもらった方が本人の決断に多少は影響あるでしょうし、そちらの方を見学してから決めていただきたいですね。それと、今回の除霊についても規則上、消去されてしまう立場ですので、代金は無料ということにしておきます。入るという場合は、名刺の方まで連絡してください。現場に連れて行ったときに口頭で伝えてもらってもいいです。」
「はい……」
そうして詩喜は廃ホテルからの化け物による恐怖は消えたようだが、ほんの少し、不安感を残したまま椅子に深く腰掛け、天井を眺めるのだった。
「ねぇ、あの人、時間が経てば消えるって言ってたけども、少しだけ残ってない?」
「え……嘘……」
だが、母の言葉に驚き、左下を向く。ほんの少しだけ、サッカーボールほどの大きさの肉塊が残っていたのだった。
素早く立ち上がり、肉塊から距離をとる。変に刺激しないようゆっくりと離れるが、特に何も起こらず、また消え始めていった。
肉塊は完全に消えたのだが、ほんの少しだけ何かが残っていた。
「何これ……?」
それは渦を描いた模様に無数に生えるヒゲのような、削って人工的に創られたかのような出っ張りのある苔むした石が転がっていた。
所々欠けているものの、その見た目は化石であるアンモナイトに似ているようだ。それでも、その模様は抽象的な形であるため、その石がアンモナイトを指しているとは考えにくいものだった。
詩喜は気になってゆっくりと手を伸ばし、その石に触れようとする。
「触っちゃダメよ!」
母が慌てるように叫び、静止させることを試みたが、詩喜はその石に誘われるのかのように、目線を逸らすこともなく、それに気付いて体を引っ張っている母を気にも留めず石へと手を伸ばす。
だが、詩喜がその石に触れた瞬間、詩喜の掌から稲妻のようなものが溢れその光が石に当たると、放電したかのようにバチッと音が鳴る。
「痛ッ!?」
ふと我に返ったように声を上げて手を引っ込める。ふと石の方に目を向けると、カタカタと、不自然に動き音を発する。だがヒビが入り、削れた跡が床に散らばり始めるとその動きも鈍くなっていき、最終的に真っ二つに割れてしまった。
「お母さん、私、今何してた?」
「石に操られたのかしら……とにかく詩喜は自我を失って石に触ろうとしていた。まぁ、憑りつかれるみたいなことは無くてよかった。」
詩喜の母は胸に手をそっと置きホッと息を吐く。だが、そのため息には”安心”という気持ちの裏に”不安”が隠れていたのだ。その時、詩喜が母に向かって質問を投げかける。
「どうして石に触って手が痛くなったの?」
「…………。……さっきの彩人くん?だっけ、その人の説明は聞いてた?」
「一応、私の身に関わる話だろうし、お母さんだって巻き込んじゃったんだから、聞かなきゃと思って。」
「そう。詩喜はいい子ね。」
そう言いながら母は彼女の頭を少しの間撫で続けた。
名で終わると頭の上に手を置いたまま話し始める。
「あなたの”気”がとても高いという話をしていたでしょ?」
「うん。その”気”っていうのに何か関係があるの?」
「そうよ。まず、”気”って言うのは簡単に言えば怪を祓うための力。高ければ高いほどその力も大きくなる。でもその力は使い方を知っている時の話。今の詩喜みたいに使い方を知っていなかったら今回みたいに化け物に憑りつかれることがあるの。」
「えっ、じゃあ今の石にも憑りつかれたんじゃないの?」
そう言いながら詩喜は「もしかしたら」と思い自分の顔を軽くつまんで引っ張り、石に憑りつかれていないかを確認する。意味はなかったようで「イテテ……」と小さく声を漏らし少し赤くなった頬をさすっただけだった。
「でも、今憑りつかれなかったっていうことは多少は使い方を知ったというわけ。どういう経緯かは分からないけども、彼が能力を近くで使っていることから影響を受けたのかもね。それで、詩喜はどうしたい?藤山除霊に入るの?」
「お母さんは死なせたくない。でも彼みたいなやつらの言いなりにはなりたくないし、どうせ私の多い”気”を狙っているだけなんでしょ……」
そう消極的な言葉を発し下を向いた詩喜の顔に母はそっと手を添え、振り向かせることで目線を合わせる。
「あなたがやりたくないと思うなら別に入らなくてもいいと思うわ。その選択は自分自身でするものよ。」
「でも!私のせいでお母さんが───」
反論するように叫びだした詩喜の口に人差し指を立てた状態で「しー」と言いながらくっつけ、彼女の口を閉じる。
「私は、自分自身がどうなろうと子供の選択を否定する親じゃない。でも、そんなに悩むなら、今抱え込んで決められないまま終わるんじゃなくって、出来る限りのことをして選べばいいじゃない。詩喜は、諦めなくって偉い子じゃないの?」
「……分かった。少しだけ考えてみる。でも、もし、私が『入りたくない』って言ったら、その時は一緒に逃げよう?」
「うん。分かったよ。」
詩喜は涙目になりながら母にそっと抱き着く。頭を母の体にうずめ、撫でてもらう。
しばらくして、母の服と目の周りを濡らし、少しだけ赤くなった顔をした詩喜が立ち上がる。
「私!頑張る!」
自身気に発したその声は威勢を張っているかのように弱弱しく、頑張っている姿を誇張するかのように手に強く力を籠め、腕を肩の前でぶんと振ったのだった。




