一ノ三 肝試し
化け物は女性を認識すると体から生えているいくつかの手を必死に動かすようにして距離を詰める。立ち止まって静かに耐えていても無駄だと悟った女性はすぐさま立ち上がり化け物から逃げようと必死に走る。
化け物は直線を移動する速さは女性の全力の走りに追いつくほどの勢いを持っているが、大きな身体とその重さ故に方向転換が苦手なのだろう。向きを変えるために一度壁にぶつかり、ゆっくりと回る必要があるのだ。だが、壁にぶつかることで化け物の突進の威力も分かるのだ。ヒビが入るほどの脆い壁ではないのだが、壁にぶつかるたびに、振動が地面を伝って女性の腹にまでジンジンと伝わっている。
女性は息を切らしながら時々背後を確認し、必死に逃げ回る。だが、化け物に追いつかれないよう、全力に近い状態で走り続けているのだから、走る速さは吐かれる息が増えてくるのに比例するかのように段々と落ちてくる。
ただ、それでも力を振り絞り、女性はひたすら走る。化け物も必死になって追いかけるが、あと少しのところでひょいと避けられてしまう。壁にぶつかり方向を変え追いかけ続け、女性に近づいたタイミングで一本の手を伸ばしてみたが届かない。
そんな時、女性はこの短時間で溜まった疲労のせいなのか、コンクリートの破片に足を躓かせて転んでしまう。
「痛っ!」
転んでしまい、両膝が擦りむけてしまい、頭部を地面にぶつけないよう咄嗟に出した手も擦りむけてしまい、じんわりと痛みが走る。手のひらには小さな砂利やコンクリートの破片と、滲んだ血の跡があった。
化け物は女性が転んだことに気付き、壁にぶつかったタイミングで走るのをやめ、手を地面に付けてペタペタと音を立てながらゆっくりと近づく。
女性が仰向けになった時、その化け物は彼女の足を軽く掴み、視線の上にゆっくりと顔を近づけた。
口角を目に近づけるかのように大きな笑みを浮かべ返り血がついている黄ばんだ歯をくっきりと女性の視界に映す。
「ごめんね。お父さん」
女性は叫んでも無駄だと悟ったのか、うっすらと声を上げる。彼女の目から涙が溢れ、頬の上を通っていき耳の上で止まる。化け物は口を大きく開けながらゆっくりと女性の顔に近づける。
吐いた息と化け物の涎が女性の顔にかかる。鼻を刺すような鉄の臭いが女性の顔のあたりで充満するが、女性は抵抗することなく、ただ訪れる死を待つだけだった。
せめて最期は思い出に浸り、悲しまずに死にたい。そう思いながら目を瞑った時。
ドォンという金属を叩く音が鈍く響く。女性と化け物は息を合わせるかのように素早く、音のする方に振り向いたが人影は全く見えなかった。代わりに視界に映ったのは、ドアへの視界を遮る壁の隣にうっすらと漏れている光だった。
「うっわ血だ。だいぶ被害が大きいんじゃないのこれ……」
少し低いながらも透き通った、それでいても暗そうな雰囲気を乗せて話す男の声が部屋中に響く。
うっすらと漏れている光を覆うように人影が現れるとドアがバタンと音を立ててわざとらしく閉まる。
暗い空間の中、男の姿を鮮明に捉えるのは難しい。
「一人生きてるのか。……二十二時三十六分、廃ホテルで発生した”頼気”の駆除及び生存者の救出を開始。人的被害による血痕が酷いので現場処理班の応援お願いします。」
男はトランシーバーに向かって現状の報告のようなものを終えるとゆっくりと女性と化け物に歩み寄る。床一面に張られているボロボロの畳を凹ませながらその距離を詰め、化け物の気を引いたその時。
「お前も!ごちそう!!!」
化け物はどたどたと体を乱暴に動かして男の方へと向かう。浮いている数本の手も必死に動かして空をかいている。
「アハッ゛!?」
化け物の動きが乱暴になった分、空をかいていた手が不意に女性の横腹に勢いよく当たる。女性は勢いのままゴロゴロと周り地面にうつ伏せになって倒れる。
「やっぱり、報告通り”頼気”で間違いなさそうだな。」
男は今の光景を見て、化け物についてを独り、ボソッと呟く。
そんな独り言も気にせず化け物は唯々距離を詰めるように走り続ける。男は手を伸ばすと化け物の動きが止められる。目を凝らして化け物を見ると、体から細い線のような光が壁や天井に向かって伸び、化け物を縛り付けている。
光は糸が僅かな光を反射していたもので、糸が結ばれより強固になることで、白い線が視界にくっきりと映るようになった。
化け物は糸を振りほどこうと必死に体を動かしているようだが糸は藻掻くことすら許さない。唯一縛られていない頭部だけが化け物の眼前にある男を貪り食おうと、歯を鳴らしながら激しく動くだけだった。
「早めに片付けたいし、いいよ、食べちゃって。」
突然独り言のように呟いたが、話す相手がいるかのように続けて言葉を発する。
「遠慮せずに食べていいよ。多分この怪は”頼気”だけじゃなくって”場縛”もあると思うから、迎えたとしてもここから動かないだけだし。」
「いやいや、”気”が高いって言っても、先週と全然違うよ?前までは現象も引き起こせても人には危害が加えられなかったし、寧ろ人に危害を加えてる時点でおかしいじゃん。最近起こってることとも関連性が高そうだし、回収よりも駆除を優先するから。お好きに食べて。」
男がそう言うと、化け物の体がぶよぶよと動き始める。
「だぁ」 「ぶぶぅ……」 「きゃあはは」
「あうあう」 「えへへへ」 「えぅぅ」
空間内に無数の赤子の声が響く。その声が聞こえて数秒経つと、化け物の動きが激しくなる。
「あああああああ!!」
糸が小さく揺れ、縛られていない頭部の動きが激しくなり、耳をつんざくような叫び声が赤子の声を搔き消しながら辺りに響く。体をよく見ると至る所から血が噴き出し、白かった糸も血を吸って赤色が滲んでいく。
「何を……なにをしたああああ!?!?」
化け物は痛みに耐えるよう叫びながら男に問いかける。どうやらその光景は化け物の目には見えていないようだ。
「え、な、何!?」
「目、覚めたか?」
だが、女性には今何が起きているかが見えている。化け物が蜘蛛の糸に縛られ百を超えるほどに大勢の赤子に貪り食われているということ。そして、男の隣には蜘蛛というにはあまりにも大きすぎる、男の胸辺りまでの体格がある蜘蛛が化け物を静観していたということ。
赤子は僅かに生えている乳歯を化け物の体に突き立て肉を抉る。顔を紅く染め化け物の体の中へと潜り込むように体を突っ込み肉を食べ続ける。
「叫び声が五月蠅いけど、それは許して。……それじゃ、事情聴取を始めるね。まず、君の名前は?」
男はこんな光景を気にせずメモ帳とペンを胸ポケットから取り出し、女性の目の前でしゃがむ。
「日寺詩喜……です。」
「なるほど……ね。ここに来た理由は?」
女性は男に質問された内容すべてを話した。ここに来た理由、一緒に来た人、何人が犠牲になったか、どうして札を作れたのか。
「オッケー、とりあえず一通りの質問は終わり。あ、そうそう。これあげる。そして、今回の件は口外するなよ。」
男はメモ帳とペンをしまうと別のポケットから名刺を取り出す。名刺には「藤山除霊」という会社名と中心にある「逢魔彩人」という名前が振り仮名と共に書かれていた。
そのタイミングで化け物が声を上げる。
「せめて!せめてお前だけでも!」
食われ続け小さくなったボロボロの体で糸による拘束を抜け女性の元に襲い掛かる。赤子は一斉に化け物を追いかけたが、四つん這いでハイハイしているため、追いつくことが出来ない。大きな蜘蛛も糸を吐こうとしたが、男が遮蔽となってしまい巻き添えを避けるために吐くことをやめた。だが、その行動は男を信じ、託しているようにも見えた。
「邪魔。」
男が手を上に掲げると化け物よりも大きな化け物が床を突き破って向かってきた化け物に食らいつき、天井へと連れ去っていく。
「飲み込んでいいぞ。」
上を向いて話すと、突如として空間が塵を出し始め広かった空間がただの客室へと戻る。空間を埋めるように四つん這いになっていた赤子も、男の隣にいた大きな蜘蛛も気づけば消えていた。
「さ、外に出るぞ」
「あ、はい……」
男の呼び声に女性は驚きながら頷く。死を覚悟するほどの状況だったのに、たった一人が乱入するだけで一転し、化け物が消え、逃げることもできなかった不気味な空間から逃げることが出来た。
外では数人の警察と白い防護服に身を包んだ数人が立ち入り禁止の黄色いテープを廃ホテルの入り口に張り、灯りを点けて視界を確保した状態で待っていた。そして、その周りにはパトカーの音を聴いて集まったであろう市民が十数人ほど集まっていた。
そこで初めて女性は男の姿を確認する。
顎まで伸びた黒くて少しチリチリした髪の毛を生やし、瞳が確認できないくらい横に長い糸目というのは見えるが、前髪までもが、長いためそこまで鮮明に見えない。
「三階の三二五室、血痕は怪の駆除とともに消えたけど、念のためによろしく。それと軽く崩して。」
「はい!」
白い防護服に身を包んだ数人は彼の最後の一言に疑問を持つことなく、指示に従うように真っ直ぐ駆け足で廃ホテルへと向かった。
「一応事情聴取した内容のメモはこれ。彼女、怪我してるから治療した後早めに帰らせておいて。疲れているだろうし。それと、今回の件での死亡人数は最低でも四人。先週からの行方不明者が恐らく巻き込まれているかな?廃ホテルの崩落による事故死として処理してくれ。」
「え、ちょっと、あの人たちはあの化け物に食われて……」
「シッ!今日あったことは口外するなって言ったばっかだよな?絶対に言いふらすなよ?」
「あ、はい……」
女性が彼の言った「崩して」という意味を理解し意図的に事件を隠蔽していることに口出ししようと声を上げたタイミングで男がその言葉を遮る。言いふらさないよう、念を押すかのように女性を睨み続ける。
「まぁ、目の前であんなことがありゃ無理もあるか。辛いと思ったらさっき渡した名刺に電話番号が書いてるから連絡してくれよ?相談したいことがあったら何でも乗ってやるから。」
男は睨むのをやめその場を後にする。女性も、警察に保護され迅速な対応の元、家へと戻っていった。
本日8:00に次のエピソードを投稿します。ぜひ、そちらの方も見ていってください。




