一ノ二 肝試し
「何でよ!?開いてよ!ねぇ!ねぇ!!」
女性はひたすらにドアを押し引きし、激しく音を立てている。後ろにそれがいるというのに。
ガチャンガチャンという金属の鈍い音が異様に広い空間に響き渡る。女性は一心不乱にドアを動かすあまり周りが見えていないどころか、音も聞えていない。他の三人は女性の背後でぬちゃり、ぬちゃりと音を立てて近づく肉塊が今、女性を食おうと手を伸ばし口をあんぐり開けている姿が見える。
女性の後ろ姿に肉の塊が覆い被さることで三人から見えなくなった時、女性は懐中電灯の明かりがドアを照らしておらず、手元が暗くなっていることを認識する。
「あれ?みん……な……」
焦りが消えたかのようにゆっくりと後ろを振り向いたその時。女性の視界には部屋に入った時と同じような化け物が手を伸ばしてこちらを迎えるかのように体を前に倒している。大きく開けた口は涎で出来た糸が引いており、最初に食っていたであろう人間の体の肉片が口内に散らばっている。黄ばんだ歯も血で染まっているのか、所々紅色に変化している。その化け物が息を吐く度、血特有の錆びた鉄のような臭いが目の前の女性の鼻を刺激する。
暗い中でもはっきりと見えるほどの光沢のある目がぎょろりと動き、その瞳孔が女性の体を視界に捉えた。小さく悲鳴を上げた女性に反応するかのようにその肉塊はゆっくりと動き始める。
その場からドアまで続く人二人分が通れる幅の短い通路で数本の手をべた、べたと音を立てながら体を支えるようにして壁に叩きつけながら前へと進む。
追い詰められていることを理解した女性は残っている空間にうずくまる様に姿勢を低くして一秒でも生き永らえようと必死になる。だが、その行動を許さないかのようにその化け物は手を伸ばして四肢を掴む。
「嫌!!いや!いやだいやだ!まだ、死にたくない!!」
四肢を掴まれ、宙へ浮いたタイミングで彼女は狂ったように叫び始める。無論、その悲痛な叫びは遠くにいる三人にも聞こえていた。化け物は、腕を不格好に動かし、口の前まで女性を運ぶ。
言葉にならない叫びを上げ続け、必死に体を動かしているが、ぶよぶよな皮膚からは想像できない程の力があり、抵抗すればするほど四肢を握る力が強くなっていく。それでも必死に叫び藻掻き続けるが、それに対抗するように握る力が上がり続け、ついに「バキバキッ」と竹を折るかのような音が一瞬響く。
「っああああああああっっ!!!!!!」
その音が響き、一瞬の間を開けて女性が叫ぶ。彼女の掠れた叫び声が三人の耳を刺すかのように響き渡る。その後も続くかのように「バキッ」と何かが折れたような音が三回響いた。化け物は女性の動きが鈍くなったのを確認するとにちゃりと口角を上げて振り向き、空間の中心へと戻っていく。移動しながら大きく口を開け、女性を掴んでいる腕を口より高い位置へと動かす。
「いや……やめて……お願い!死にたくないの!」
叫びすぎで喉が潰れたのか、辛うじて聞き取れるほどにまで掠れた声を必死にあげて抵抗をするが、口の中へ、足から膝、太腿、腰へと順に入っていく。足に残っている感覚には、生暖かい呼気とべとっとした唾液の感覚を広げ、女性の体に寒気が走る。
化け物は口を閉じ、女性のへそから下を抉る。女性はまだ生きているため、最後の力を振り絞るかのように体を必死に動かしたが、ボロボロになっている体で振った歪な形をした腕では力を振り絞ることもできず、叩いたところで自身の腕に痛みが走るだけだった。
諦めるかのように女性の動きが止まり、全身がだらんとなる。化け物は、下半身と上半身を分けるかのように口を右方向に捻り、手を口から離すように伸ばす。下半身に体内の肉塊が引っ張られ、管状の何かが飛び出る。化け物は麺をすするような音を立てて管状の何かを呑み込む。
「ごしゃ」、「べちゃ」という砕けたり潰れたりする音が空間中に響き渡る。三人は咄嗟に懐中電灯の明かりをその光景から逸らし、直視しないようにする。だが、明かりを逸らした先まで血飛沫が飛び散り、三人の顔にまで生暖かい血液が飛び散ってくる。
「あと……さん……人……」
その肉塊は、鼻をスンスンと鳴らすように、荒く鼻呼吸を行い、周囲に残った三人がいないかを探す。化け物は臭いを探るだけでなく、空間の中心から動き始めて目視するつもりのようだ。
足元に広がる血飛沫を大きな体で伸ばしながら空間中を動き回る。
三人は捕まらないようにと、足音をなるべく立てないように中腰の姿勢で歩く。さらに、懐中電灯の灯りを頼りに追われないよう、持っていたハンカチで懐中電灯を覆い、光量を弱める。だが、その行動はあまり意味がなかったようで、化け物の動き方が変わったわけでもなかった。むしろ音を立てないように歩いているせいでさっきよりも移動速度が落ち、ほんの少し、本当に少しだけなのだがじわじわと3人との距離が縮まっているのが感じられる。
少しずつ距離が縮まっていくのを三人も感じているのか、気付けば足音が聞こえるほどに小走りで移動していた。それに加え、走り回って逃げていたところで何も変わらないということも感じているのか、周囲を確認するため、首を動かしきょろきょろと何か使える物がないかと必死に探しているようだ。
そんな中、グループを引率する男の一人が行動に出る。男は二人の肩を掴み自身の体の近くに引き寄せると、流れるように後ろを向き、腕を伸ばし、二人を押す。
「お前らが時間を稼いでくれよ!」
「ぐあっ!」
「痛っ!」
体勢が崩れてしまい、二人は声を上げながら床に転げ落ちてしまう。それを確認した引率の男は「へ、ヘヘッ」と不格好に声を上げドアの方へと走っていく。
「待っ……!」
女性が男の足を止めようと声を上げたが、後ろに化け物がいることを思い出し咄嗟に両手で口を塞ぐ。自分が見つかっていませんようにと願いながらゆっくりと振り向く。幸い、化け物は彼女を見ていなかった。別の意味で言えばそれは他の何かを見ていたということだ。
「ガア゛アアッ!!!」
彼女は振り向いたすぐ後に化け物のいる方向から響いた叫び声に驚き、ビクッと反応し、同時にその化け物を凝視する。
懐中電灯は逃げて行った男が持っているため、叫び声のする方向を詳しく確認できない。
壁に反射したことで広がっている僅かな光りを頼りにその方向を見ていると、ぶよぶよしたピンク色のような肉塊とは違う、灼けたことで小麦色に近くなったであろう肌が暗闇の中で激しく動いているのが見えたのだ。
「助けてッ!助けてくれよ───
一緒に転げ落ちた男が化け物に捕まり、必死に助けを求めるために叫んでいたが、その声は「ゴキッ」という音と共に止まる。
「……いらない」
鈍い音が響いた場所から再度響いた不気味な声。その時、男性の頭部が素早く女性を横切り、ドアにぶつかる。ドアを勢いよく叩いたような、今よりも鈍い金属音が響き渡り、逃げていた男性の目の前で水風船が割れるかのように血飛沫が飛ぶ。
女性の目にはその頭の目の部分から一閃の涙が溢れているようにも見えた。
「逃げ……るな……」
近くに女性が突っ伏しているというのに、その化け物はドアの近くにいる男性を先に狙い始めた。女性は化け物が未だに気付いていないという希望を持ちつつ、口を手で押さえながら化け物の体に当たらないよう、化け物の近くにあった自身の足を持ち上げずに地面を擦りながらゆっくりと自身の体の近くに寄せる。
肉塊はべちゃり、べちゃりと音を立て、先程体にべったりと張り付いた返り血をポタポタと地面に垂らしながら男の元に向かう。
「来るな……来るな!来るな来るな来るな来るな!!」
男は必死に叫び声を上げてドアをガチャガチャと鳴らすが、やはり押しても引いてもビクともしない。化け物は男の元へ距離を詰めると、大きな身体を利用するかのようにドアに勢いよく当たり、鈍く、激しい音を立てながら男を潰す。
だが、それでもドアが開くことは無いようだ。
「あと……一人……?」
誰も声を発することない時間が数秒続くと肉塊はただれた皮膚をゆっくりと動かし頭を傾けて首を傾げるような動作をし、そう声を上げる。
女性は今すぐにでもこの場から逃げたかったが、焦れば肉塊が反応することが分かっているのか、その場に立ち止まり、静寂を貫く。
そんな時、ふと父親に教えてもらった「怖いことがあった時に助かる方法」があったことを思い出す。鞄からペンと入ったままのチラシを取り出し、裏面の真っ白な部分にペンで文字を書き始める。
漢字を書き終え、ペンに蓋をし、紙を床に投げる。
十数年前の朧気な記憶を頼りに簡易的な札を作ったのだ。女性は本当に効果があるのかは知っておらず、一縷の望みに賭けてみたのだ。
「お願い……お父さん!」
口からその声が漏れ出したその時。その紙を中心に淡く光り始める。もしかしてという嬉しさから思わず立ち上がりかけたが、その光は一瞬にして消えてしまった。希望が崩れ落ち、絶望してしまったタイミングで拍車をかけるようにその化け物も、その光に気付き、その奥にいた女性の存在にも気づいてしまう。
「見つ……けた!!!」




