婚約者
過去を思い出した数日後。体調が治ったフィーリアは家族と共に食事を摂っていた。
彼女の父であるトール、母であるローゼリア、兄であるヴィセリオ、そしてフィーリアの四人が机を囲んで家族だんらんを楽しんでいた。
フィーリアは皆の会話を聞きながら黙々と食事を口に運ぶ。そしてふと聞きたいことがあることを思い出し、彼女は口を開く。
「わたし、聞きたいことがあるのです」
「何だい?」
ヴィセリオが優しく微笑んでフィーリアを見る。トールとローゼリアも優しい顔でフィーリアを見て、彼女の話を待った。フィーリアは心が軽くなり、食器を机に置いて彼らの顔を見た。
「わたしに婚約者はいるのですか?」
皆の手が止まった。顔に笑みを浮かべたまま、フィーリアの家族は固まった。まるで時間が止まったと錯覚してしまう程の動きの止まり方だった。カラン、とヴィセリオの手からナイフが落ちる。その音でフィーリアは世界が変わらず動いていることを確認することができた。
「お兄様、大丈夫ですか?」
ヴィセリオが落としたナイフが彼を傷つけていないかが心配になり、フィーリアは隣に座る兄の顔を覗き込んだ。彼はぐぐぐ……と錆び付いた窓のような動きで彼女と目を合わせ、曖昧に口角を上げた。
「大丈夫だよ」
半ば反射のように彼はそう告げ、ナイフを拾い上げて食べかけのパンに突き刺した。その勢いある音に、父と母も食事を再開した。
「フィアには婚約者はいないわ。わたくし達は、勝手に貴女の婚約者を決めたくはなかったの」
「婚約の打診は何度か来ているが、それは全て棄却した」
ローゼリアは淑女らしく口元に手を添えながら微笑み、トールはローゼリアを見て頷きながら圧を感じる笑みを浮かべた。
「……さぬ」
ヴィセリオはナイフを握りしめながら、何やら小さく呟いた。彼の周りの空気がバチバチと音を立てている気がする。
「フィアと婚約することは私が許さん!」
ヴィセリオはそう言って立ち上がった。空色の瞳は魔力により淡く輝いている。彼の髪は室内にも関わらず風により揺れている。フィーリアも僅かに風を感じた。
ヴィセリオは怪しく笑みを浮かべ、ふふ……と笑い声を零す。
「フィアと結婚するのであれば、私を打倒してからだ。私より強い奴しか認めぬ」
フィーリアは思わずヴィセリオを見た。彼はフィーリアが見ていることに気が付いたのか、彼女に微笑みかける。しかしその瞳は変わらず淡く光っていた。
ヴィセリオ・ユリースは、フィーリアより二つ年が上である。齢八歳でありながらも、剣や魔法を極めた騎士等、大人が参加する大魔法大会に出席し、初出場で最年少でありながらも優勝した。千年に一度の魔法の天才と言われ、既に近衛騎士から声がかかっている。
そんな彼より強い人なんて、世界中を探してもいないのではないか、とフィーリアは内心で考えた。
「……一般に、そういう言葉を言うのは父様ではないのかい?」
「ヴィオは相変わらずフィアのことが大好きよねぇ」
トールとローゼリアは、この姿のヴィセリオに慣れているため、二人顔を見合わせて微笑んだ。フィーリアの髪も風により揺られており、風が目に入ってきて思わず目を細めた。
「ヴィセリオ。魔力を抑えなさい」
そんなフィーリアを見たトールに注意され、ヴィセリオははっと彼女を見て魔力を抑えた。彼の髪は静まり、瞳も元に戻る。そして頬をかきながら、椅子に座った。
「……すみません、動揺しました。ごめんねフィア」
ヴィセリオは父と母に頭を下げ、フィーリアを見て眉を下げた。フィーリアは手を振って問題がないことを示す。
彼女は落ち込んだ様子のヴィセリオを眺めながら、思考を働かせた。
婚約者はいない。それが分かっただけでもかなりの収穫だ。過去四度は、始めから彼と婚約者という関係であった。しかし今世は違う。彼との関係がなくなってしまったような気がして、フィーリアは胸に鋭い痛みを感じて目を伏せた。
「……フィアは、どうして急に婚約者の事を聞こうと思ったの?」
ローゼリアはフィーリアに優しく問いかけ、フィーリアは母と目を合わせる。優しく微笑みかけられ、彼女も口に笑みを浮かべた。
「気になってしまったのです。わたし程の年になると、婚約者がいる方も多いので、もしかしたらわたしにもいるのかも、と思ったのです」
「フィアには気になる人がいるの?」
ローゼリアの問いかけにヴィセリオは弾かれたように顔を上げた。そして驚愕の表情でフィーリアを見る。彼女はそんな彼に気づいていないふりをして、ローゼリアを見る。心の痛みにも気づかないようにして、彼女の決意を表するように、母の瞳をまっすぐと見つめる。
「いいえ。いません」
フィーリアは微笑んで、料理に目を戻した。悲しみがにじみ出ている、年齢に見合わないその笑みを見て、三人は顔を見合わせる。
その後はフィーリアを明るい笑顔にするために、三人は楽しい話題で彼女を笑わせようとした。フィーリアはその優しさを感じながら、自然と笑みを浮かべた。