音楽クラブ
レティシアと共に、歌声が聞こえてくる部屋を覗く。中で指揮を振っていた、長い髪を一つにまとめた女子生徒が二人に気がついて、近くに寄ってきた。
「見学の方です、か……」
胸に黄色の校章を付けた彼女は、レティシアを見て固まった。レティシアは小首を傾げ、彼女を見る。
「どうされました?」
「あ、ああ……なんということでしょう! 今日という日に感謝を! 生きていることに感謝を! 女神様に感謝を! 聖女様にお会いすることができるなんて……感激の極みです」
上級生はレティシアの前で跪き、涙を流しながら両手を合わせて彼女を拝んだ。驚いて、フィーリアは思わず一歩後ろに動いてしまう。レティシアは慣れた様子で彼女に声をかけた。
「女神様に感謝することは、良いことですね」
どことなくずれている突っ込みだ、とフィーリアは感じた。レティシアはにこにこと邪気のない笑みで跪いている生徒を見ている。
「今の歌は、女神賛歌第九章ですか? わたくしが一番好きな章です」
「はい、その通りです! 我々は只今『女神讃歌第九章』を歌わせていただいていました! 聖女様にお聞きいただけたこと、大変光栄です!」
……ここは、音楽クラブで合っていますよね? フィーリアは疑問に思い、部屋の中を一周見渡す。
今レティシアの前で跪く生徒が先程まで立っていた式台の先には、歌を歌っていた生徒達が数名、階段状の台の上に立っている。彼らは驚愕の表情を浮かべ、レティシアの顔を見つめていた。部屋の奥には、仰々しく女神像が祀られている。
……ここは、音楽クラブではなく、女神信仰クラブなのかもしれません。フィーリアはそう判断して、未だ首を垂れる上級生に目を移した。そして、レティシアを見る。
「あの、レティシア様。この方達は、女神様を強く信仰していらっしゃるようですね」
「女神様を信仰することは、素晴らしいことです! わたくしも一緒にお祈りしたいですわ」
レティシアは目を輝かせ、祀られている女神像に駆け寄った。そして、先日彼女と出会った時と同じように、祈りを捧げ始める。聖女であるレティシアは、女神に対する信仰が誰よりも強いと理解した瞬間だった。
祈りを捧げ始めたレティシアを見て、部屋の中の生徒達は皆涙を流して膝をつく。フィーリアはただ一人、彼らに付いて行くことができず、呆然とその場に立っていた。
しばらく経った後。明らかに様子がおかしかった上級生は、理性を取り戻したかのような顔で、フィーリア達の前に立った。
「先程は見苦しいところをお見せしてしまいました。大変失礼しました」
彼女は頬を赤く染めながら頭を下げた。
「私は、その、聖女様の大ファンなもので。お会いできて大変光栄です」
聖女であるレティシアを崇拝する人は多いと聞いていたが、実際に目にするのは初めてだった。といっても、レティシアと知り合ったのが昨日なので、当然なのかもしれない。
「どうぞ、音楽クラブの見学を楽しんでください。私はオリビア・ナッツ、第四学年で、音楽クラブのクラブ長を務めております」
オリビアは紫色の瞳を細め、穏やかに微笑む。上級生としての風格が見えて取れ、先程涙を流して跪いていた人と同じと思えない変わり身だ。
「音楽クラブでは、歌だけでなく、勿論楽器も扱うことができます。王道なものから、異国の楽器まで揃っています。演奏したことの無い人でも大歓迎、顧問が全ての楽器を網羅しているので、何でも教えてもらえますよ」
オリビアは説明しながら部屋の中を案内する。部屋は二つに分かれており、フィーリア達が最初に入った部屋が歌の練習所、隣が楽器練習所らしい。
確かに、よく目にする楽器や、見たことの無い形の楽器が沢山置かれている。複数の生徒がそれらの楽器で練習を行っていた。
「フィーリア様は楽器を演奏なさったことはあるのですか?」
レティシアが問いかけてきたので、フィーリアは近くに置かれているピアノの弦に触れながら、小さく頷く。
「ピアノだけなら、少しだけ。他の楽器は触ったことはあっても、演奏したことはありません」
「そうなのですね。わたくしも同じです」
レティシアは隣に並んで、フィーリアと同じようにピアノに触れた。
「わたくしはどちらかと言うと、歌う方が得意です」
レティシアは、毎日のように教会で女神讃歌を歌っているのだろう。聖女である彼女の歌を聞いてみたい、とフィーリアは思った。オリビアもフィーリアと同じ気持ちを抱いたのか、目を輝かせてレティシアを見る。
「あの。失礼を承知でお尋ねしますが、もし私が伴奏を引いたら、貴女様に歌っていただけることは可能でしょうか」
「……わたくしが、ですか?」
レティシアはルビーサファイアの瞳を丸くして、頬に手を当てる。そしてフィーリアの顔を見た。
「どうしましょう。歌うことはよろしいのですが、フィーリア様の前なので少し恥ずかしいわ」
「わたしもレティシア様の歌声をお聞きしたいです」
フィーリアは微笑みを浮かべ、レティシアを見返す。レティシアはしばらく逡巡する様子を見せたが、大きく頷いてオリビアに視線を移した。
「分かりました。それでは、先程の『女神讃歌第九章』の伴奏をお願いできますか?」
「はい!」
オリビアはささっとピアノの前の椅子に腰掛け、弦に手を置いた。それを確認したレティシアは、目を瞑って両手を体の前で重ねる。
高音のメロディーから伴奏が始まり、その音に生徒達がピアノの周りに集まってくる。滑らかな音が部屋に響き渡り、レティシアが口を開いた。
――天使が歌っている。
フィーリアは自らの耳を疑ったが、何の抵抗もなく耳に入ってくる旋律により、余計な思考はなくなった。言葉で言い表せないような感動が湧き上がる。
レティシアは気持ち良さそうに歌に心を乗せて歌う。その姿に太陽の光が降り注ぎ、天界からやってきた神の化身のように見紛う美しさであった。
周りの生徒達から嗚咽が聞こえてくる。フィーリアも目頭が熱くなり、ただ彼女の歌声に聴き入っていた。
レティシアが伴奏と共に歌い終わると、部屋には静寂が訪れた。誰も言葉を発すことができない。
「……フィーリア様。いかがでしたか?」
レティシアは沈黙に耐えかねたのか、恥ずかしそうに上目遣いでフィーリアを見た。フィーリアは目を瞬き、口に手を添える。
「……素晴らしい歌声でした。心に響き、感情が揺さぶられるような、……あまり上手に説明できないのですが、本当に感動しました」
その言葉に、周りの生徒達も涙を拭いながら何度も頷く。フィーリアが微笑みを見せると、レティシアも顔を綻ばせて微笑んだ。あまりの可愛らしさに魅入っていたら、隣の男子生徒が呻き声を上げて座り込んでしまった。
オリビアを見ると、彼女はただただ宙を見つめている。頭から魂が抜けていると言われても違和感がない。
「やはり、わたくしは歌うのが好きです! 実はわたくし、自分で演奏しながら歌う、弾き語りというものをやってみたい、と思っていたのです」
「レティシア様ならできますよ。懸念すべき点は、貴女様の歌を聞きたいが為にクラブに入りたい人が増えすぎてしまうことでしょう」
レティシアはフィーリアの言葉に頷き、興味津々な様子で近くの楽器を見ている。上級生の意見が欲しいとオリビアを見たが、彼女は頼りにならなそうだった。




