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そろそろ日も暮れようとした頃、ようやく王族しか通行できない専用の検問所が見えてきた。
ところが、その手前で男性が倒れていた。
検問所は大きな壁があるため、警備員は死角で見えない。
私は急いで男性に近づいた。
着ている格好から考えると、ファルアーヌ子爵家よりも上流貴族だと思う。
「大丈夫ですか? 意識があれば返事をしてください」
何度も声をかけるが意識がない。
今までの私だったら警備兵に声をかけて応援を求めたと思う。
今の私には覚えたての治癒魔法がある。
さて、どうしたものか。
私の治癒魔法については、現状は公爵邸内の人たちだけの秘密となっている。
なにも準備しないまま噂が広まってしまうと、色々と心配だとグレス様は言う。
それは私を誘拐しようとしたり、または別の人を囮にして私を誘拐したりしようとする者が現れるかもしれないとのこと。
少しの間だけ待ってほしいということで、私は承諾した。
だが、この状況ではやむを得ないだろう。幸い、誰も見ていないしバレるリスクも少なさそう。
あとでこのことはグレス様に報告するとして、まずは人命救助が最優先。
『治癒したまえ、ヒール』
両手から光が男性の全身を覆う。
そして、何事もなかったかのように男性はムクリと起き上がった。
ちょっと待て。治癒魔法が効果があったようでひと安心だが、治癒の効果が早すぎる。
まずい、逃げ遅れた。
「……はて、持病が消えているような……。まさか、治った!?」
不思議そうな表情をしながら、私に顔を向けた。
「君は……?」
「で、では私はこれで〜!」
一目散に検問所へと走って逃げた。
魔法を使ったことがバレていないと良いのだけど……。
検問所では、警備兵が声をかけてくる前に大急ぎで通行証明書を提示した。
とにかく治癒魔法をかけた男性に声をかけられる前に逃げなくては!
「確認しました。どうぞお通りください」
「ありがとうございますっでは!」
大変失礼だとは思いつつ、素早くお辞儀をしながらお礼だけ告げて逃げた。
警備兵たち、絶対に怪しんでいるだろうな……。
グレス公爵の手書き通行許可証で私の名前も記載されているから、大丈夫だとは思うけれど。
♢
「「「「「「「「「「おかえりなさいませ奥様!」」」」」」」」」」
公爵邸に戻ると、大勢の使用人さんたちが出迎えてくれる。
「た、ただいま戻りました」
「お荷物は全て部屋に運んでおります」
「ありがとうございます。お世話になりますレイナ=ファルアーヌと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
使用人さんたちへの挨拶がまだだったため、深くお辞儀する。
その中にいた執事に屋敷内のことを教えてもらっていると、グレス様が慌てながらこちらに近づいてきた。
「失礼しました。事務作業をしていてお帰りになっていることに気がつきませんでした」
「いえいえ、お疲れ様です。あの……大事な報告がありまして」
「深刻な顔をされていますね……どうされましたか?」
とても心配そうな表情を向けてくれる。先ほどまでの両親からの冷酷だった視線が浄化されていくかのよう。
それとこれとは別。私は深く頭を下げた。
「大変申し訳ございません。治癒魔法を見知らぬ方に使ってしまいました」
「顔を上げてください」
グレス様の手が私の肩にそっと触れる。
まるで守られているような気持ちになってしまった。
「謝る必要はありません。ファルアーヌさんの魔法で人を救ったのでしょう?」
「しかし、約束を破ってしまい――」
「確かに、世間に広まってしまうのは危険です。しかし、使わざるを得ないほどの状況だったのでしょう? それに、すぐに報告してくれた。今後夫婦として生活する上で、最も大事なことです。教えてくれてありがとう!」
昔、ファルアーヌ家でのルールを止むを得ず破ってしまって報告したことがあった。あのときはどれだけ痛めつけられたことか。
しかしグレス様はむしろすぐに許してくれ、さらに結婚生活のことを大事に考えてくれていた。
こんなに優しい相手が婚約者で、嬉しい。
もっともっとグレス様のことを知りたい。
体勢を戻し、グレス様にお礼を伝えながら微笑む。
こんな気持ち、いつぶりだろう。
さらにグレス様は、私をこれから生活するための部屋へと案内してくれた。
「この部屋を私が全て使ってしまって良いのですか!?」
「お気に召さないようであれば、別の部屋でも構いませんよ」
「グレス様のお部屋なのでは……?」
「いえいえ、私の部屋は隣です。構造はほとんど同じです」
まだ仮婚約なのに、いきなりグレス様と同じ規模の部屋を用意されてしまった。
ファルアーヌ家にいたときも私の部屋はあったが、読書をするためのテーブルがひとつだけ。あまりのスペースでごろんと床に寝たら、隙間がなくなるほどだった。
この部屋は、大の字にしてもスペースが余るほどのカーテン付きのベッドが設置されている上に、読書用のテーブルもある。しかも、本棚まで設置されているし、それでもまだまだ歩くスペースがある。
むしろ本当にこんな贅沢をして良いのか疑問だが大喜びだ。
「ははは……、こんなに気に入ってもらえるとは思いませんでしたよ」
「いえいえ、十分すぎるほどです」
グレス様がクスクスと笑う。
「なにか?」
「あ、いえ。思い出していたらおかしくなってしまいつい」
「聞きたいです」
単なるグレス様への好奇心だった。
「失礼ながら、アルミアさんの件です。彼女に用意した部屋もこの部屋と同規模のものでしたが、納得がいかなかったようで」
「え……? こんなに素晴らしい部屋でもですか?」
「公爵夫人になるのだから、今の公爵様と同じ規模の部屋じゃないと嫌です、と言われましたね……」
なんというワガママを……。
私は何度も頭を下げて謝罪した。
「気にしないでください。ただ……あなたと妹さんの性格があまりにも違うなと思ってしまいつい……」
やはりグレス様も、アルミアのワガママに対し不満は多かったようだ。
私もグレス様の優しさに甘えてしまう傾向があるし、気をつけよう。
ところが……だ。
――なんておいしい食事なのだろう
私の好みを集結させたかのような食事メニュー。その味はどれもおいしく、まるで口の中と胃がとろけてしまいそうなくらい優しかった。
おいしいですというアピールを顔一面に繰り広げてしまったのは、さぞ情けない表情だったことだろう。
それをずっと眺めていたグレス様はただただクスクスと笑っていた。
「申し訳ありません。あまりにもおいしくてつい……」
「良いのですよ。可愛らしい」
「か、可愛いって……」
あぁ、ダメだ。甘やかされすぎてアルミアがワガママになってしまった気持ちもわからなくもないと思ってしまう。
気をつけなければ! しっかりしなければ!
しかし……。
――なんて気持ちの良いお風呂なのだろう
当たり前だが、この大きな大浴場にグレス様はいない。
その代わりに、私の身体や頭を丁寧に磨いてくれる二人の使用人さんが甘やかしてくるのだ。
「まぁっ、奥様ったらなんと綺麗な金色の髪でしょう〜」
「奥様の髪はそうとう傷んでいますが、元の美しさに戻して見せますわよ」
「あの……奥様というのは」
「良いのです。私たちから見れば婚約中であっても奥様ですから」
「むしろ、絶対にこのままいなくならないでくださいね〜」
「ここにいられるのならば、もちろんです」
「きゃーっ! ならばしっかりと綺麗に仕上げますわよお姉様!」
「張り切っていきますよ〜」
使用人さんたち(姉妹で、姉がネネさん、妹がココさんというらしい)が丁寧に私の身体を洗ってくれた。そのあと二人の水魔法で、体温よりほんのりと熱いくらいのぬるま湯をかけてくれて気持ち良かった。
浴槽の水加減も最高で、ただただ癒されるに尽きた。
「こんなに気持ち良いお風呂、ネネさんとココさんは一緒に入らないのですか?」
「とんでもございません! 私たちは奥様のお世話係ですから〜」
「お姉様がそう仰っていますし、どうかお気になさらず。私たちには敬語もいりませんからね」
なんという至れり尽くせり……。
このままでは私がダメ人間になってしまいそうだ。
しかし、気持ち良すぎる湯船にとろけてしまい、ただただ堪能することしかできなかった。
あぁダメだ。本当にしっかりしなければ!
だが……。
――なんてふかふかなベッドなのだろう!
仮婚約中という理由で、グレス様とは別の部屋で寝ることになっている。
一人で大きな部屋を独占してしまって良いのだろうかとネネに尋ねた。
主従関係もあるから敬語は使わないようにと言われたが、どうも慣れない。
「当然のことですよ〜。奥様は謙遜しすぎですよ〜」
そう言いながらふかふかの布団をかぶせてくれた。
「魔法は偶然のことだし、ここまでしていただかなくとも」
「いえいえ。奥様の魔法が理由でこうしているわけではありませんよ〜」
治癒魔法が使えてしまったから大きな部屋を用意してもらったのだと思ってしまっていた。
しかし、他になにか思い当たる節は全くない。
そもそも、どうしてグレス様が私に婚約したいと思ってくれたのかもわからないまま。
「奥様がここへ来てくださったことで、私たち使用人、いえ、この公爵邸にいる全員が本当に救われたのですよ〜」
「アルミアのこと……ですよね?」
「さぁ〜私たちの口からはなにも〜」
きっとそうだ。
どんだけワガママを言ってきたのだか……。
こんなに手厚い待遇を受けているのに、この上なにを望むことができるだろうか。
そんなことを考えていたら、ふかふかのベッドとふかふかの布団の誘惑に負け、ゆっくりと眠りについていた。