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 とぼとぼと廊下を歩いていると、クラスメイトの中堂(なかどう)裕翔(ひろと)と出くわした。

「おっ、響介! なにしてんの」

 裕翔はクラスのお調子者担当男子である。

 

「……今から帰るところ」

「あれ、今日彼女は? というかなんか暗くね?」

 きょろきょろとしながら、中堂が言う。

 

「今日は別々。友達と会う約束してるんだって」

 すると、中堂はにやっと笑いながら、楽しそうに尋ねてきた。

 

「へぇ。なに、もしかして別れた? ふられた?」 

「別れてないし、ふられてもない」

 

 そもそも付き合っているかどうかすら怪しいところだ。中堂には絶対、口が()けても言わないけれど。

 

「なんだ、つまんねー」

「なんだよ、つまんないって」

 

 僕は足を早めて階段に向かった。しかし、中堂はまだ話したいらしく、僕についてくる。

「そういえばお前ってさ、知ってんの? 彼女の(うわさ)

「噂?」

 

 足が止まった。振り向き、尋ねる。

 

「噂ってなんだよ?」

「俺も部活の後輩(こうはい)から聞いた話だから、詳しくは知らないけど」

「なんだよ、今さらもったいぶるなよ」

「彼女ってさ、魔法使(まほうつか)いなんだって」

「……は? 魔法使い?」

 

 思考(しこう)停止(ていし)する。けれどそれはほんの一瞬で、僕はすぐに我に返った。再び足を前に踏み出す。

 

「……真面目に聞いて損した。じゃ、また明日な中堂」 

「ちょちょ、待って! マジなんだって! 俺の後輩が彼女と同中だったらしいんだけどさ、中一のときは彼女、全然普通に喋ってたんだって」

 

 そういえば、僕は夏恋がどうして喋れないのか、理由を聞いたことがなかった。

 何度も聞こうと思った。

 でも、聞いたところで夏恋が喋れるようになるわけでもないし、夏恋が嫌がるかもしれないと思うと怖くて、聞けなかった。


「じゃあ、なんで」

 中堂は声をひそめた。

「それがさ、あるとき突然喋れなくなったんだって。その子と仲が良かった子に後輩が聞いたら、大切な人を助けた代償……って、言ってたらしいぜ」

「大切な人を助けた代償……?」

 

 眉を寄せる。

 意味がわからない。分からないけれど、それはとても恐ろしいことのような気がした。

 

「それからさ、今度は色がひとつずつ識別できなくなっていったんだって。最初は黄色、次は緑……って感じで。さすがに彼女の親が心配して、いろいろ病院に連れていったみたいだけど……(なお)見込(みこ)みはないんだってさ。可哀想(かわいそう)だよな。あんなに可愛いのに」

「…………」

 

 指先まで通っていた血がすうっと冷えていく心地がした。

 

「でもさ、彼女、好きな人が染めてくれたから寂しくないんだって、笑ってたらしいぜ」

「好きな人……?」

「そう。好きな人」


 僕はもやもやとした嫌な気分のまま階段を降りて、昇降口の傘立てに差しておいた赤い傘を掴んだ。

 そのときだった。

 

 脳内にビジョンが弾けた。

 灰色の雨空。大きなトラックと、響くクラクション。歩行者用の青信号、透明のビニール傘と、舞う血飛沫(ちしぶき)……。

 

 ハッとして、赤い傘から手を離す。

 

 ビジョンが消えたあとも、心臓は激しく打っていた。手が震えている。

 

 なんだ、今のは。

 いや。なんだ、じゃない。

 これは、これから起こるであろう未来。これから起こる悲劇(ひげき)前兆(ぜんちょう)だ。

 

「……夏恋」

 舌が(しび)れて、うまく言葉が出てこない。

 

 しかし、次の瞬間。

 ぼくは弾かれたように、タイルの地面を蹴って走り出した。


 校門を出て、長い坂を下る。はるか前方に夏恋の姿が見えた。

 

「夏恋っ!」

 

 しかし、雨と脇を通り過ぎていく車のせいで、僕の声は夏恋には届かない。

 

 僕は必死に走った。走るたび、振動(しんどう)が脳に伝わる。

 

 あぁ、僕はまた記憶を失うのか。きっと失うのは夏恋の記憶だ。でも、今回ばかりは心から未来を視られてよかったと思う。

 

 夏恋を助けられるなら、記憶くらいいくらでも差し出してやる。

 

「夏恋っ! 止まれ!」

 しかし、夏恋は僕に気付かない。

 夏恋の前には大きな交差点の横断歩道。歩行者用の信号は、赤だ。

 

 景色が加速する。

 信号が、パッと切り替わった。灰色の街の中に、鮮やかな青が咲く。

 信号機から赤が消えたことを確認した夏恋が、足を踏み出す。

 

「夏恋っ!!」

 上がる息の中で必死に叫ぶと、ふと夏恋が立ち止まり、振り返った。

 

 きらり、と夏恋の顔半分を、車のライトらしきものが照らす。

 僕は力の限り地面を蹴り、夏恋を押し倒した。

 次の瞬間。

 

 大きなクラクションが夕方の街中に響き、数羽の(カラス)が空に舞い上がった――。


 遠くで雨の音がした。

 全身が水に浸かっている。海の上に浮いているような感覚ではなく、水溜まりの中に寝そべっているような感覚だった。

 

『――先輩!』 


 知らない声がする。明るく弾む、可愛らしい声だ。まるで、花がそよぐような……。

 知らないはずなのに、どうしてか懐かしい。すごく、耳触りのいい声だった。


 夏恋がもし話せたら、きっとこんな声をしてるのかな、なんて場違いなことを考えた。

 

『――響介くん』


 今度は悲しそうな声だ。今にも泣きそうで、放っておけない。ずきん、と直接脳を突き刺すような痛みが、突然僕を襲った。

 

(この声は、誰……?)



 * * *


 

 ジリリリ、と無機質(むきしつ)な目覚ましの音が耳朶(じだ)を叩く。重い(まぶた)を開けると、見慣れた天井(てんじょう)がぼやけた視界に映った。家だ。


(あれ……僕ってば、いつの間に帰ってきたんだろう……)


 目覚ましを止めたとき、ふと、昨日の記憶が蘇った。

 青信号の横断歩道。猛スピードで向かってくるトラック。

 けたたましいクラクションの音に重なって響く、急ブレーキの音。驚いて飛び立つ鴉の群れ――。

 

「夏恋っ……!!」

 

 弾かれたように飛び起きる。

 行かなくちゃ。

 急いで制服に着替え、玄関に置いてあった赤い傘を手に、家を飛び出した。


 青紫色の雨が降る早朝の街を傘も差さずに駆け抜け、電車に飛び込む。


 ぽろぽろと、指の隙間からなにかがこぼれ落ちていく。けれど、なにが(こぼ)れていったのか、分からない。


 学校の最寄り駅で下車(げしゃ)すると、空は(かす)んでいた。土砂降(どしゃぶ)りだ。


 傘はない。けれど僕はなぜか、迷うことなく走った。そして、交差点の前で立ち止まる。制服が水を吸って体が重い。

 

 瞬きをした。

 視界は白く(けぶ)っている。雨に打たれながら、僕はあれ、と首を(かし)げる。

 スマホのロック画面には、六時三十二分とある。

 

「……コンビニで傘買えばよかったかな」

 

 こんなにびしょ濡れになって学校に来る必要なんて、なかったのに。

 とはいえ今さら傘なんて買ってもしょうがないから、僕は小走りで長い長い坂を昇った。

 

 二○三一年、九月十七日のことである。 


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