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 私は赤くなった顔を見られないように俯いて、咄嗟に髪で顔を隠した。

「……ピアノが好き。甘いものも好き。勉強はそんな好きじゃないけど、音楽は好き。運動は嫌い。……あと、水族館と海は好き」

「お、おう……」

 思ったより喋ったと思ったのか、白木先輩は少し驚いた反応を返してきた。

 

「……あと」

 白木先輩の袖口をそっと摘んだ。

「もっと、白木先輩のことも知りたいと思ってます」

「え……」

 ちろっと見上げると、白木先輩は頬を染めながらも、困ったように目を泳がせていた。

 

「……教えてください」

 じっと見つめると、白木先輩は観念したように少し微笑んだ。

「……えっと、僕は勉強は、暇つぶしになるから結構好きかな。特に化学工学とか。親が医者だから、僕もいずれ医者になりたいと思ってる……けどどうだろう。未来のことはよく分かんないや」

 言いながら白木先輩は、恥ずかしそうに照れていた。可愛い人だな、と思った。胸の中に、じんわりとあたたかなものが広がっていく。

  

「じゃあ、好きな食べ物は?」

 白木先輩はぼんやりと空を見上げて考え始める。

「好きな食べ物……うーん、たこ焼き?」

 足が止まった。

「はぁ?」と言いかけた。

「意外過ぎるんですけど……ミルクティーは知らないのに、たこ焼きは知ってるんですか」

「ミルクティー?」

 白木先輩が怪訝な顔をする。

「……いや、なんでもないです」 


(……そっか。私のことを覚えてないんだから、私との会話も……)


 覚えていないのか、と目を逸らしたそのときだった。

 突然、ぐっ、と白木先輩が呻いた。体をくの字にして、苦しそうに頭を押さえている。

「えっ……ちょっと、白木先輩? どうしたんですか」

 驚き、駆け寄る私に、白木先輩は呻きながらも手のひらを私に向けた。

「う……ん、大丈夫……いつものことだから」

「いつものって……」

 

 ハッとする。

「もしかして……未来が視えましたか」

 息をついていた白木先輩の顔が、凍りついた。信じられないものでも見たかのような顔で私を見る。


「……どうして」

「……すみません。詩織ちゃんから聞いてます。事情も知ってます。過去や未来が視えること、未来を視た場合、記憶を失うこと」

「……君」

 

 私は白木先輩の言葉を遮って、尋ねた。

「視たのはどっちですか?」

「……たぶん、未来だ。ごめん、話してる暇ない」

 言いながら、白木先輩が駆け出す。

「あっ……先輩!」


 空から薄水色(うすみずいろ)(しずく)が落ちてきた。頬を濡らす。雨だ。とうとう降り出した。

 私は白木先輩の背中を慌てて追いかけた。 


 白木先輩が向かったのは、建設途中(けんせつとちゅう)工事現場(こうじげんば)だった。

 まだ未完成のようだが、ずいぶんと背の高い建物だ。ビルかなにかを建てる予定なのだろうか。

 敷地内には、クレーン車やら名前も知らない重機(じゅうき)やらがいくつも置いてある。


 おずおずと建物の中に入る。中は鉄骨(てっこつ)がむき出しの状態で、吹き抜けになっていた。見上げると、吹き抜け部分のクレーンから伸びたワイヤーに数本の鉄骨が括り付けられていた。風が吹き込み、鉄骨はゆらゆらと揺れている。


 建物の中に、雨が降り注いでいる。雨足はかなり強くなっているようだった。


 周囲を見回す。人気はないように思えたが――いや、いた。

 かすかに声が聞こえる。子供だろうか。楽しそうにはしゃいでいる。かくれんぼでもしているのだろうか。


 白木先輩は迷わず奥に入っていく。

「あっ! ちょっと、先輩!」

 様々な恐怖で足が(すく)む。けれど、白木先輩を守るためには、入るしかない。


 彼はきっと、これからここで起こる悲劇を回避するためにきているのだから。 

「白木先輩! ちょっと待って……」

 ここで一体、どんな未来を視たというのだろう――。


 考えながら上を見る。クレーンから吊るされたワイヤーに括り付けられた鉄骨が危うく揺れているのが見える。

 その真下に、子どもたちの影が見えた。

 

「……まさか」

 ひやりとする。

 金属の匂いがする。キィンキィンと、骨を削るような、不気味な音が響いている。

 

 非常用の階段を駆け上がるカンカンという無機質な音が、私の耳朶(じだ)を震わせていた。

 息が乱れる。それでも足を踏み出した。白木先輩を見失わないように。


「君たち!」と、白木先輩が叫ぶ。子どもたちが白木先輩に気付いた。

「わっ! 大人にバレた!」

「ヤバいヤバい! 逃げろ!」

 子どもたちの無邪気な声が聞こえる。そんな場合ではないのに。


 白木先輩がもう一度叫んだ。

「今すぐそこから離れるんだ!」

 私も続けて叫ぶ。

「みんな、早く逃げて! 鉄骨が落ちる!」

 その瞬間、ぐら、とひときわ大きな風が吹いて、鉄骨が揺れた。

 見上げると、鉄骨を括っていたワイヤーのうちの一本が、弾け飛ぶように切れた。

 びぃん、と鈍い音がした。


 息を呑んだ。

 傾いた鉄骨はさらにワイヤーに負荷をかけ、滑車がするりと滑った。ワイヤーから外れた錆びた鉄骨数本が、一気に子どもたちのところへ落下していく。

 それはまるでスローモーションのように、子どもたちの真上に、大きな影を作っていった。

  

「わぁぁ!!」

 子どもたちがてんでんばらばらに散っていく。その中にひとり、取り残されている子がいた。白木先輩が走った。

「白木先輩っ!!」

 直後、凄まじい音がビル内に響き渡った。



 * * *


 

 錆びた細長い鉄骨数本が、地面に落下した。

 私は土煙(つちけむり)に巻かれ、足を踏み出せないままでいた。

 雨が土煙をさらうと、目の前には、朱色の光景が広がっていた。鉄骨の錆び付いた鈍い色と、鮮血(せんけつ)

 ひとりの子どもを抱えて倒れている白木先輩がいた。

 

 数分かけて、よろよろと傍らに立つ。

「白木……先輩」

 呼びかけても、返事はない。

 

 代わりに動いたのは、子どもの方だった。私の声で我に返ったのか、白木先輩に抱えられていた子どもは泣き出した。

 おかっぱ頭の女の子。それくらいしか、情報が脳に入ってこない。

 

「……みんなを連れて、ここから今すぐに離れて」

 辛うじてそう言うと、子どもたちはその場から立ち去った。


 これが、悲劇。

 白木先輩が視たものは、自分が巻き込まれるものではなかったはずだ。あの子たちが巻き込まれて、死ぬ未来だったはずだ。

「白木先輩が巻き込まれてどうするの……」


 腰から下が鉄骨の下敷きになった白木先輩は、ぴくりとも動かない。鉄骨の下からは、赤黒い血が染み出している。

「いやだ……いやだ」

 白木先輩の肩を揺する。

「白木先輩、起きて。いやだよ、起きてよ、先輩……」

 涙で滲む視界の中で、懸命に手を動かす。

「先輩、先輩!」 


 頭からも、血が出ていた。顔は、すべての血を抜かれたように青白い。

 いやだ。

 息が詰まる。全身から汗が吹き出す。


 私は、強く願った。

 ――どうして。どうして、神様。私の好きな人を取らないで。なんでもするから。なんでもあげるから。

 白木先輩。君が変えた未来なのに、君がいないなんておかしいよ。

 

「お願いだから、先輩を返して……先輩を助けて」


 ――私を、ひとりにしないで。


 震える声で、いるかも分からない神様に願ったその瞬間、雨が止んだ。


 いや、止んだのではない。

 時が止まったのだ。顔を上げると、ビルの向こうの街並みが見えた。


 交差点に侵入していた車も、傘を差して歩いていた人たちも、空から落ちてくる雨粒も。すべてが止まっている。


 目を(みは)る。

 カチリ、と音がして、時と同じく私の思考も停止した。

 どうなっているのかと冷静に頭を回そうとした途端、鉄骨がすうっと空中に浮かび上がった。

 切れたワイヤーが時が戻るように繋がり、するすると鉄骨に巻き付いてクレーンに繋がれる。

 

 呆然と見上げていると、視界にかすかな光が映った。

 見ると、白木先輩が光に包まれている。地面にこびりついていた血がぷくっと浮かび上がり、傷口から白木先輩の体に戻っていく。青白かった白木先輩の顔に血色が戻っていく。

 

 肺の辺りがきりきりと痛み、全身が震えた。涙が滲んだ瞳で、白木先輩を見守る。

 ものの数分で、白木先輩の傷はすべて綺麗になくなっていた。

 ホッとしたからか、足の力が抜けてしまった。膝から崩れ落ちる。両手を見つめた。

 

 今のは、なんだったのだろう。

(……幻? ううん……違う。手がなんか、熱かった)

「私の……力……?」


 もしかしたら、私も白木先輩と同じようになにかを失うのだろうか。恐怖で震える。

 ――と、ポケットの中のスマホが振動した。


(……そうだ、詩織ちゃんに連絡……)


 返信を打とうとするが、指を滑らせた途端ずぅんとさらに瞼が重くなる。

 ダメだ、目を開けていられない。


 白木先輩を包んでいた光が消えると同時に、私の意識はそこで糸がぷつっと切れるように途切れた。


 ふと、全身が凍えるほどの寒さを覚えて目を覚ます。重い頭を持ち上げて、眉を寄せた。見知らぬ殺風景な場所で、水溜まりの上に寝転がっていた。制服はびちょ濡れだ。

 空を見上げると、吹き抜けの先には藍色の空がある。手前にはクレーンから吊り下げられた鉄骨があった。

 

 まるで、建設中のような――ぼんやりと考えて、ハッとする。

 そうだ。工事現場だ。

 視線を動かすと、白木先輩が倒れているのが見えた。弾かれたように立ち上がり、白木先輩の傍らへ駆け寄る。

 

 声をかけようとしたとき、喉が焼けるように熱くなった。思わずぐっ、と息を詰めた。


(なに……?)


 喉に違和感を感じる。声が、出ない。いくら力を入れても、唇からはくぐもった吐息のような音しか漏れない。

 

(……嘘。声が……出ない)

 

 両手を喉元に添え、困惑した。私は、声を失っているらしかった。

 手の甲に、雨粒が落ちた。熱い。燃えているみたいに、喉が熱い。

 混乱しながらも、心のどこかでそれを受け入れている自分がいる。

 これはきっと、代償だ。白木先輩の体を治した代わりに受けた罰なのだと直感する。

 

 でも、今はそんなことはどうでもいい。

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