③
ミルクティーとケーキを頬張りながら、あいが不意に「それで」と顔を寄せてきた。
「夏恋の好きな人って誰なの?」
視線を泳がせて苦笑いしていると、あいはぴっと私の鼻先を叩いた。
「たっ!」
叩かれた鼻を押さえる。痛くはないが、驚いた。
「親友は秘密禁止! ふってふられたってどういうことなのよ!」
「……今年の梅雨くらいに、三年生と知り合ったんだよ」
「先輩!?」
「その人は苦労知らずのボンボンで、正直嫌いなタイプだったんだけど」
でも、とても爽やかな人だった。
「なるほどね。それで、いやいや言いながらもうっかり好きになっちゃったのね!?」
あいは楽しそうに瞳を輝かせた。なんでそんなにテンションが高いのだろう。目立つからやめてほしいのだが。
「……まぁ……たぶん」と、私は引き気味に頷いた。
「で? それで告白されたのね!?」
「……されたけど、断った」
あいが目を丸くする。
「好きだったんでしょ!? どうして断ったのよ!」
声がでかい。
頬に熱が集まっていく。落ち着かなくて、手と手をもじもじとさせてしまう。
「……だって、告白なんて初めてだったし……なんか、怖かったんだもん。男の子の付き合うとか、経験ないし、私、可愛くないし」
ぼそぼそと呟くように言うと、あいは優しげな笑みを浮かべて、頬杖をついた。
「……まぁ、夏恋のその気持ちも分かるけどね。でもさ、夏恋はその人のこと好きなんでしょ?」
「……正直、分かんない」
惹かれている自覚はある。でも、彼がいなきゃ生きていけない、というほど焦がれてもいない。でもやっぱり、あの音楽室での日々が恋しいのは間違いなかった。
「……どんな人なの? その先輩って」
「……どんな」
黙り込んで考える。
どんな人だろう。言葉にするのは難しいけれど、パッと思いつく言葉がひとつだけあった。
「心根が澄んだ人かな。雨上がりの空みたいな」
私の言葉に、あいは静かに笑った。
「……へぇ。いいじゃん」
「……うん」
初めて、素直に頷けた気がする。
「じゃあ、ちゃんと気持ち伝えなよ。後悔しないように」
「あい……」
じわっと涙が滲んだ。
友だちなんていらないと言いながらも、私はずっと、あいのような子を求めていたのかもしれない。優しくてまっすぐで、温かい太陽のような子。
「……ありがとう」
「夏恋がもしふられたら、そのときは私がどこでも付き合ってあげるわ」
涙が引っ込んだ。
「……え、待って。私ふられる前提なの?」
あいが笑う。
「あは。冗談だよ」
「まったくもう」
私は少しの間、あいの言葉を咀嚼するように考え込んだ。
異性に告白をするだなんて、これまで考えたこともなかった。一生縁のないものだと思っていた。
考えただけでも、足元が震えるくらいに怖くなる。
(……白木先輩も、こんな気持ちだったのかな)
彼も同じように、勇気を出して告白してくれたのだろうか。悲しませただろうか。落ち込みやすい白木先輩のことだ。きっとかなりしょげただろう。
(申し訳ないことしたな……)
私がちゃんと素直になっていたら、もう少し早く、この気持ちに気付いていたら。また違った今があったかもしれないのに。
「……あい、ありがとう。私、頑張ってみる!」
「うん!」
私は、白木先輩にもう一度会うことを決めた。
翌日の放課後、私は三年生の教室がある第二校舎の三階にいた。
覚悟を決め、白木先輩に会いに来たのだ。
あんなにたくさん話していたのに、私は白木先輩が何組なのかすら知らず、一組から順番に探すことにした。
緊張しながら、おずおずと教室の扉近くの上級生に声をかける。白木先輩を探していることを伝えると、親切な女性の先輩に、五組だから一緒に行ってあげると言われ、甘えることにした。
しかし、五組に行ったものの、白木先輩は既に帰ったあとだった。
しょんぼりしていると、案内してくれた先輩が住所を教えてくれた。
白木先輩の家は思っていたより私の家のすぐ近くで、これならひとりでも迷わずに行けそうだ。
ローファーに履き替えて、校門を出る。
いつもと同じ通学路。白木先輩と歩いた思い出の道だった。今はあの日が、ずっと昔のことのように遠く感じる。
思い出をなぞるように歩く。彼の家が近づいてくればくるほど、どんどん心拍数が上がっていく。
そして、白い外壁の立派な洋館風の家の前で立ち止まった。
門には、『白木』とある。白木先輩の家だ。
インターホンを押そうと指を出して、惑う。
押しかけては、さっと指を引っ込めた。今さら怖くなる。
白木先輩に会うことが、また、彼を傷付けてしまうかもしれないことが。
白木先輩はもう、私の顔なんて見たくないかもしれない。だから音楽室にも会いに来ないのかもしれない。またあの悲しげな、泣きそうな顔をされたらどうしよう。
(……やっぱり……やめようかな)
怖気付いて踵を返したときだった。
「うちになにか用ですか?」
赤いランドセルを背負った可愛らしい少女が、私を見上げていた。
大きな二重の瞳と、色素の薄いお下げの髪。瞳は飴色で、きょとんとした顔が誰かに似ている。
「その制服、お兄ちゃんの学校の人? もしかして、お見舞いに来てくれたの?」
「……え?」
お兄ちゃん? お見舞い? 私は眉を寄せた。
お見舞いということは、風邪でも引いているのだろうか。しかし、今日も学校には来ていたようだったし……。
「どうぞ、入ってください」
少女は私をちらりと見て、門を開けた。
「あ……えっと、お邪魔します」
私は戸惑いながらも帰るわけにいかず、少女のあとに続いた。
少女の名前は、白木詩織ちゃんと言った。白木先輩の妹らしく、現在小学校六年生。私のひとつ下だった。
私の方も自己紹介をして手土産のクッキーを渡すと、詩織ちゃんは嬉しそうに笑った。どうやら、白木先輩から私のことは聞いていたみたいだ。
「お兄ちゃんならもう帰ってきてると思うよ。中どうぞ」
と、詩織ちゃんは私の手を引いて家の中に入った。
いよいよ、白木先輩の家に足を踏み入れてしまった。
外観もすごかったが、白木先輩の家は中もやはり豪華だった。
全体的に白を基調とした家具で統一され、高そうな皿やらティーカップが棚に綺麗に飾られている。母親の趣味だろうか。
他にもオルゴールや高そうな骨董品がそこら中にあった。
リビングの壁はすべて本棚になっていて、難しそうな医学書や小説、図鑑やらがずらりと並んでいた。まるで図書館のようだ。
さすが、本物のお金持ちは違う。
詩織ちゃんはランドセルをリビングのソファに乱雑に投げ捨てると、ぱたぱたとスリッパの音を立てて螺旋階段の下にいる私の元へ戻ってきた。
「パパもママも仕事でいないから、緊張しなくていいよ」
「……そうなんだ」
ご両親に会う勇気がまだなかった私は、詩織ちゃんの言葉に少し緊張が解れた。
「お兄ちゃんの部屋、こっち」
「えっ、へっ、部屋!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「い、いいいいっ! 部屋はいいよ! さすがに悪いし」
腰を引いて慌てたように言うと、詩織ちゃんはきょとんとした。
「なんで? お兄ちゃんに会いに来たんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「ほら、こっちこっち」
「えっ! えっ!?」
詩織ちゃんに容赦なく手を引かれ、私はひとつの扉の前に立った。
「お兄ちゃーん! いる? ちょっと出てきてー」
詩織ちゃんが高い声で呼びかけると、扉の向こうからかすかに物音がした。
心臓が最高潮に大きな音を立てる。
「なんだよ、詩織……帰ってきたからって兄ちゃん遊びに付き合うのは……」
ガチャ、と扉が開き、白木先輩が顔を出した。私を見て、かちりと固まる。ぱちぱちと瞳を瞬かせていた。
白色のトレーナーに緩めのスラックス姿の白木先輩は制服でないからか、いつもより幼く見える。
(……どうしよう、なにか言わないと)
「あっ、あの、私……」
ごめんなさい、と勢いよく頭を下げた。早口で続ける。
「いきなり家まで押しかけて……でも、どうしてもあの日のことをちゃんと伝えたかったんです」
白木先輩は反応に困っているのか、黙っていた。
「あの」と、私は口を開くけれど、言葉がその先に続かない。
ここに来るまでに言いたいことはきちんと整理しておいたはずなのに、いざとなると舌が痺れたように言うことを聞いてくれなかった。
おずおずと顔を上げる。
見上げた先の白木先輩は、困ったような顔をしていた。やっぱり、迷惑だったのだろうか。
急に自信がなくなり、心細くて泣きそうになった。
でも、と、なんとか踏ん張って、口を開く。
「あの、私……この前の音楽室でのこと、ちゃんと撤回したくて。白木先輩、私――」
しかし、だった。
白木先輩は私の言葉を遮って、信じられないことを言った。
「あのさ、その前に君、誰?」
「……え……?」