②
ハロウィンが間近に迫った街は、オレンジ色と紫色に彩られている。かぼちゃやコウモリのはりぼてが至るところに装飾として飾られていた。
鮮やかな街だ。
けれど、数人のクラスメイトたちと歩く通学路は、白木先輩と歩いたときよりも随分と色褪せて見える。少し肌寒い。
空を見上げる。太陽がない。太陽は分厚い雲で覆い隠されていた。
もう冬の足音が聞こえていた。白木先輩がいなくなる春が、近付いている。
クラスメイトたちのがやがやとした高い声の喧騒は、冷めた私にはやはり似合わない。
ぼんやりと歩いていると、突然隣に人の気配があった。表情を引き締める。
「ねぇ、音羽さんって彼氏いるの?」
話しかけてきたのは中西だった。すぐ近くにはあいもいるし、ほかのクラスメイトも周りにいるのに、答えると思うのだろうか。
「……はは」と、私は静かに笑い声を漏らした。
いつの間に、こんなに愛想笑いが下手になったのだろう。前はもっと上手く笑えたはずなのに。
「えー、答えてくれない感じ? 余計気になるじゃん!」
面倒なタイプだ。内心唾を吐きながら、顔では天使の笑顔を作る。この感覚、久しぶりだ。
「どっちどっち?」
苛立ちがピークを過ぎた私は、半ば無視する形で黙って歩いた。
少し前方にあいを見つけ、さりげなく逃げようとすると、後ろから中西に腕を捕まれ阻止された。
「ねぇねぇ音羽さん。いないならさ、俺彼氏に立候補したいんだけど。今度デートしない?」
「いや……私、そういうのは」
中西は慣れた様子で肩に触れてくる。気持ち悪い。思わず眉間に皺が寄った。
白木先輩のときは、こんな感じにはならなかったのに。あの人は絶対、私の嫌がるようなことはしなかった。
「つれないなぁ。努力くらいさせてよ」
ぐっと腰を引き寄せられ、さらに距離が近付く。
吐き気がする。もう我慢ならない。
「やめてって言ってるでしょ! 気持ち悪い」
手を振り払いながら真顔で言うと、中西は「はぁ?」と、眉を釣り上げた。どうやら、機嫌を損ねたようだ。
「なんなのお前。口悪過ぎんだけど、めっちゃ冷めたわ。音羽って顔だけなんだな。引くわ」
中西は機嫌を損ねたようで、舌打ちをして帰って行った。
私は、中西の背中を見送りながら額を押さえた。
やってしまった。距離感には気を付けていたのに。
まぁ、気持ち悪いのだからしょうがない。
「ちょっと、どうしたのよ。夏恋。大丈夫?」
「……あい、ごめん。私も帰る」
「え? え? ちょっと……夏恋!」
「せっかく誘ってくれたのにごめんね。またあとで」
私は逃げるように来た道を戻った。
* * *
十月の陽は、夏に比べて随分と短い。陽が落ちた街は肌寒いけれど、それでも家に帰る気にならなかった私はひとり海辺を歩いていた。
波音を聴きながら、六月の音楽室を思い出す。
まだ数ヶ月しか経ってないのにいないのに、もうこんなにもあの音楽室に焦がれている。
初めて白木先輩を見たときはなんだこの人、と思ったはずなのに不思議なものだ。
「……あんな人でも、いないと寂しいものなんだな……」
私のひとりごとは、波音と風に運ばれていく。
学年がふたつも違うと、校舎も違うし帰る時間も違う。私は、あれから白木先輩のことをほとんど一度も見ていない。
つくづく、彼が私に合わせてくれていたことを痛感する。
「……夏恋」
波音に耳をすませていると、ふと、波音に混じって名前を呼ばれた。
振り向くと、あいがいた。窺うように私を見つめるあいに、目を瞠る。
「あい……どうしたの。カラオケは?」
尋ねると、あいは眉を下げながら笑う。
「……ごめん、気になって着いてきちゃった。嫌だった?」
私こそ「カラオケ、ごめん」と謝る。すると、あいはぶんぶんと手を振った。
「いいよいいよ、むしろなんか無理させちゃったみたいでごめんね」と小さく笑った。
さらにあいは続けて、
「それよりさ、夏恋。もしかして、好きな人できた?」
驚いて顔を上げる。
見ると、あいはにっこりと微笑んでいた。
「……なんで」
「なんとなく。女の勘ってやつ?」
「……恋なんてしてない……と思う。ふったし」と、呟くように返す。しりすぼみになった。
「は? ちょっと待って。どゆこと?」
あいは私の言葉に眉を寄せた。私はふっと笑い、また前を見て歩き出す。あいは駆け寄って、私の隣に並んだ。
「ねぇ、これからふたりでカフェ行かない?」
「カフェ?」
「行こうよ! ほら!」
「えっ……ちょっと」
半ば無理やり、海が一望できるテラスが売りのカフェとやらに連れ込まれた。
入った店は小さなお菓子の家を模したような外観のカフェで、女の子が好きそうな雰囲気だった。
私たちは紅茶とケーキプレートを注文してテラス席に座った。
注文していたものが届くと、あいは静かに話し出した。
「私さ、正直最初は夏恋のこと、苦手だったんだ」
私はミルクティーが入ったティーカップをそっとソーサーに置き、あいを見た。
「どこか冷めてるっていうか、なんか、なに考えてるか分からなくて」と、小さく笑う。
「……ごめんね、今は夏恋のこと大好きなんだけど。最初のイメージの話だから、気を悪くしないでね」
私はゆるく首を振った。
「私ね、勝手に線を引いてたの」
「線?」と、あいが首を傾げる。
「私、小学生のときに両親亡くしてるんだ。うちは全然お金なんてなかったから、今はお母さんの妹の家に引き取られて……つまり叔母とふたり暮らしなんだけど。どうも顔色を窺っちゃうっていうか、気を遣うっていうか……だから、ひとりでいる方が楽だなって思ってた。友だちもいらない、適当でいいやって」
息を吐く。こんなこと、初めて話した。誰にも――いや、白木先輩以外には言ったことがなかったのに。
あいは私の話を静かに聞いてくれていた。
「ごめんなさい。私、猫被ってた。本当は全然いい子じゃないし、塩対応だし。あの……中西への態度みたいなのが、本当の私」
ふふっとあいが笑う。可愛らしい。あいがこんなふうに笑うことすら、私は今まで知らなかった。いや、知ろうともしていなかった。
「お互い様だね、夏恋」
「お互い様……?」
「ねぇ、夏恋。これからは親友になろ? 私たち、たぶんすごく仲良くなれると思う」
あいの言葉に、私は心から頬が緩んだ。
「うん」
顔を突き合わせながら、ふたりで笑い合った。