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僕の世界①


 早朝、空は青紫色のグラデーションの中。僕は赤い傘を手に、足早に駅へ向かっていた。


 ホームで足を止め、少し早まった心臓を落ち着ける。電車のベルが鳴り止んだ頃、ようやくお目覚めの太陽の気配が背中を叩いた。


 電車で四駅。

 約、一時間。目的の駅に着くと、外は雨が降っていた。


 灰色の街に赤い傘を広げて、一歩を踏み出す。


 歩きながらちらちらと視界を染める(あか)を見て、ふと、あれ、と思った。

「……この傘、どうしたんだっけ」


 よく覚えていないけれど、とても大切なものだった気がする。誰かにもらったものだろうか。


 そういえば、今朝僕はどうしてあんなに急いでいたんだっけ。こんなに朝早く学校に行っても、特に用事なんてないはずなのに。


 いくら考えても答えは出ない。


 ふと思い付いた疑問について僕は、諦めるしか選択肢(せんたくし)を持たない。

 その理由を僕は知っていた。


 生まれ落ちた瞬間に立ち上がろうとするわけを知らず、それでも懸命に足を踏ん張る小鹿(こじか)のように、ただそういうものなのだと遺伝子(いでんし)に刻まれているのだ。


 ふと、サラリーマン風のスーツを着た男性とすれ違う。すれ違った一瞬見えたその男性の横顔は、少し焦っているようだった。

 そのとき、脳裏(のうり)にビジョンが弾けた。


 珈琲店(こーひーてん)のレジで、男性がバッグから財布を取り出す。財布を出すと同時に、なにかが落ちた。


 なにかのチケットだろうか。


 僕は振り向いた。「あの」と、男性に声をかけつつ、考える。

「なにか探し物ですか?」

「え? えぇ、まぁ」


 男性は目を泳がせながら(ほほ)()いた。


「……僕、さっきパン屋さんに寄ったんですけど、落し物を拾ったんです。店員さんに預けてあるので、確認してもらえるといいかもしれません。なにかのチケットのようなものだったと思います」


 そう言うと、男性の顔色が変わった。

「そうか、パン屋か……ありがとう、助かったよ」

 男性は安堵して来た道を戻って行った。


 ――僕は、人にはない別の力を持っている。

 過去(かこ)未来(みらい)残像(ざんぞう)として()ることができるのだ。


 過去を視た場合は僕の体に特に異常(いじょう)は起こらないが、未来を視てしまった場合はべつだ。


 未来を視ると、その代償(だいしょう)に脳に設置された思い出の(たな)(かぎ)がゆるくなる。つまり僕は未来を視たことと引き換えに、なにかひとつ大切な記憶を失うのだ。


 駅から歩くこと、約二十分。

 赤信号の向こう側。坂の上に、大きな校門と校舎が見えてきた。

 まだ閑散(かんさん)とした昇降口(しょうこうぐち)に入り、使っていた傘を傘入れに入れる。

 傘入れには既にひとつ、透明(とうめい)のビニール傘があった。


「早いな……」


 どうやら、先客が一人いるらしい。こんな朝早くから、自習か部活だろうか。ご苦労なことだ。


 下駄箱にスニーカーを突っ込み、サンダルに履き替えて階段を昇る。

 教室に入ると、たくさんの木机が整然と並んでいる。


 自分の席に鞄を置いて、中身を机の中に乱雑(らんざつ)に突っ込むと、とりあえずなにをしようかと悩んだ。


 教卓(きょうたく)の真上の壁に掛けられた時計は、六時十五分を指している。授業が始まるまでは、まだまだ時間があった。


 ため息をつく。

 本当に、僕はなんでこんなに朝早く学校に来たんだろう。


 昨日、僕はたぶん未来を視たのだろう。そして、未来を変えた。その代償に、今朝なにかの記憶を失った。


 失った記憶は、今日の予定か。予定が体に染み付いていて、こんな朝早くに来てしまったのか。


 だが、一体どんな予定だったのだろう。部活には入っていなかったはずだが。


 まぁ、考えたところで分からないものは分からないのだ。諦めよう。


 結局自習などする気はまったく起きなかったので、人気のない廊下に出た。


 頬を優しく撫でられたような感覚に窓の外を見ると、ちょうど雨が止んだらしく、雲の隙間(すきま)からはかすかな陽光が差し込んでいる。

 

 タイミングがいい。屋上でのんびり二度寝でもしてよう、と階段に足を向けるが、残念ながら屋上へ続く扉には(かたい)南京錠(なんきんじょう)がかかっていて、外へは出られなかった。


 ちぇっと思う。やはり現実はドラマのようにはいかない。

 

 仕方なく三階に降りる。

 図書室もまだ司書(ししょ)が来ていないためか、鍵がかけられている。

 困った。時間を潰せる場所が見当たらない。


 そう思ったとき、半開きの扉に気がついた。扉の上のアクリル表札には、『音楽室(おんがくしつ)』とある。

 

 その文字を見た瞬間、どくん、と心臓が大きく鳴ったような気がした。

 僕は導かれるように足を踏み出し、音楽室の扉に手をかけた。


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