いずれがあやめ
父は私の名前をよく間違えていた。姉妹で年もそこまで離れていなかったし名前も花に関するものであったためか二人とも間違えられることはあったが私だけは少し勝手が違いそもそも姉妹にいない誰かと間違われることが多々あった。私の名前はあやめであったが父はよく私のことをしょうぶと呼んでいた。
父が危篤だと母から連絡を受けた私はすぐに父が入院している病院に駆けつけた。父のいる病室には母と妹が既におり私が最後に到着したようであった。母に促され父のもとに向かい手をとって声をかけた。父は私の顔をみると僅かに微笑んで「ありがとう、ごめんな」と言って息をひきとった。
一旦実家に戻りひといきついていると、父の部屋を片付けていた妹から声をかけられた。妹に連れられ父の部屋に行くとそこには小さな仏壇があった、そして妹に一緒に飾ってあったと写真を渡された。「小さい時のお姉ちゃんに似ているけどわかる?」と聞かれたが私の記憶にはこのような写真を撮った覚えはなかった、しかし何かが繋がったような気がして写真について母に聞いてみる事にした。
写真を見せると母は一瞬詰まったような顔をして話始めた。私が生まれるより数年ほど前に、写真に写っていた男の子である長男が生まれていた。しかし五歳になろうかという時に重い病気にかかってしまい、この写真を撮ったあとすぐに長男は亡くなってしまった。父と母は悲しみくれたが特に母の悲しみは深く子の遺影を見るたびに涙を流していたという。見かねた父はよくはないと思いながらも仏壇を自室に持ち込み母に見せないようにしたそうだ。しばらくすると徐々に母も落ち着いていって、もとの生活に戻っていったがやはり見てしまうとつらいと仏壇は父の部屋にそのまま置く事にした。私と妹が生まれて大きくなってもその事を言い出せず今にいたるということだった。
葬儀を終え納骨を行った、墓には父ともう一人分(勝負)と名前が刻まれていた。父が意地悪くあやめ(菖蒲)をしょうぶと言って私をからかっていたと思っていたが、実際には私に亡き兄の姿をみていたのだと、これまでの疑問がようやく解決した。二人の墓から去ろうと歩いていると妹が「お姉ちゃん、あれ」と言いながら後ろを見ていたので、振り返ると墓の前に薄く透けたふたつの人の形をした何かが立っていた。それを見て私は数秒動きが止まってしまった、ふと動こうと思った時にはその何かは消えてしまっていた。妹は信じられないといった顔をして冷や汗をかきながら震えていた。私は驚きはしたがそこまで怖いと思わなかった、なぜなら私が見たそのふたつの何かの顔は少し申し訳なさそうに微笑んでいたから。