ルサールカ②〜父と精霊の名の元に⑥
日曜の礼拝を欠かした事は、ほぼない。必ず右側の一番後ろの隅に、一人分のスペースを空けて座る。
祈りが始まり、私は顔の前で手を組み頭を垂れた。
途中、誰かが横に座った。
彼は同じように、ただ祈りを捧げる。
「神」は時より、こうして私の前に姿を現せられる。
言葉を交わす事はない。それはいつでも、「神」が私達を見守っていてくれる事を確認する為の時間だからだ。
だが……。
「……全て、ご存知だっんですね、貴方は……。」
私は長い間、破った事のない沈黙を破った。
彼は何も言わなかった。
それが答えなのだと思った。
祈りの言葉が続く。
私はもう何も言わず、いつものように祈った。
いや、いつもと違う事がある。
いつもは「助けて下さい」と祈っていた。
でも今日は、「どうかお守り下さい」と祈る。
誰を?
私を?
それとも……。
祈りの言葉が終わりに近づく。
「……パンケーキは美味しかったかい?」
「神」はそう言った。
私は黙って頷いた。
涙が溢れた。
背中に木の枝が当たったような感触。
それはとても大きく温かかった。
「神のご加護があらんことを」
その言葉に顔を上げた。
「アーメン。」
祈りが終わり、礼拝の参加者が口々にそう言って席を立った。
私の見つめる先には、いつも通り誰もいなかった。
「ロロさん!」
職場から出てきた彼にそう声をかけると、彼はこれでもかというほど間抜けな顔をして固まった。一緒にいた同僚らしき男に顔を覗き込まれる。
「ロロ?お前、いつからそんな可愛い愛称使ってんだよ?!」
そう言ってゲラゲラ笑われ、背中をバンバン叩かれた。そのショックで正気を取り戻した彼は、ツンケンと騒いだ。
「使ってねぇ!!んな愛称、妻にも言われたこたぁねぇ!!」
そしてズカズカとこちらに歩いてきて、ボカっと頭を叩かれる。
「変な愛称つけんな!!馬鹿野郎!!」
「すみません。どんな顔するかなと思って試してみました。」
「試すな。絞めるぞ?!」
「そんなに怒るなよ~。ロロ~。若者が可哀想だろ~?!」
「シム、テメェ……。次に言ったら、顎に風穴開けんぞ?!」
「はいはい。んで?」
彼の同僚が私の紹介を彼に促す。彼は見るからに言葉に詰まっていた。なので私が名刺を取り出し、差し出した。
「申し遅れました。私、私立探偵をしております。ライナス・フォードと申します。まだ駆け出しで、ベルさんにはたまに知恵をお借りしています。」
「サイモン・ダーウィンだ。」
「宜しくお願いします。」
彼の同僚は人が良く、屈託なく笑って握手した。そのやり取りを彼は目を白黒させて見ている。
「……何の用だよ?」
「実は今回受けた依頼で、ちょっと知恵をお借りできないかと思って……。駄目ですか?」
動揺を隠すように突慳貪とする彼に、私はピチピチの新米探偵のフリをして頼み込む。いつもと違う私の様子に、彼が気味悪がってぬぐぐっと口篭る。その様子を見た同僚のダーウィンさんは声を上げて笑った。
「うはは!人嫌いのお前が懐かれてるなんて!!傑作だ!!」
「うるさい!!」
「お願いします~!ベルさん~!また手伝って下さいよ~!!明日までに何とかしないとならないんです~!!」
「は?はぁ?!」
「あはは!行ってやれよ、ロロ?」
「シム!テメェ!!」
「午後、遅れても適当に言っといてやるからよ!じゃあな、ライナス。今度、三人でゆっくり飲みにでも行こう。」
「はい。ありがとうございます!!」
「おい?!シム?!昼飯は?!」
「俺は適当に済ませる。頑張れよ~。」
そう言って去っていくダーウィンさん。残された彼は私を怪訝そうに見つめてくる。
「……ライナス・フォードって誰だよ??」
「探偵はいくつもの顔を持っているものですよ。」
「……ジンは本名か?」
「さぁ?どうでしょう?」
私の言葉に、彼は物凄く嫌そうに顔を顰めた。
立ち話も何だからと、キッチンカーでテイクアウトして公園に向かった。ベンチは空いていなかったので、少し奥まで行って草の上に腰を下ろす。
「で?何の用だよ?」
「これを渡しておこうと思って。」
私は封筒を取り出して彼に渡した。中を取り出した彼が軽く目を通し、表情を強張らせる。
「……お前……。」
「個人的に調べているいくつかの案件です。知っている情報を渡しますので、補足やそちらでわかる事があったら教えて下さい。」
資料を封筒に戻した彼が、私の方をじっと見た。希にする、あの表現できない鋭い眼だった。
「……なんでこんな事を調べている。」
「個人的な事です。」
私はその目を見ても動揺しなかった。
しかし今回は、その答えでは彼の追求は終わらなかった。
「神の啓示か?これも?」
「いえ。ルサルカを調べているのは神の啓示です。ですがそれは、僕の個人的な……過去との決別の為です。」
「!!」
彼の目が見開かれる。そしてハッと何かを思い出したように目を反らせた。その理由を私は知っていた。
「僕の体にある傷は、そういう事です。」
「……すまない。」
「何で謝るんですか?言ってなかった事ですよ。」
いつかの会話を、立場を替えて行う。それが何だか不思議だった。
「ジン……。」
「はい。」
「お前は……今、幸せか?」
「……え?」
思わぬ質問に、私は彼の顔を見る。その顔は思い詰めたような表情だった。
私は考えた。
幸せとは何だろう?
何を持って、幸せだと言えるのだろう?
「答えになってないかもしれませんが……。僕は今、ここにいます。」
「……そうか……。」
彼が笑った。泣いているようにも見えたし、嬉しそうにも見えた。その顔を見て、私は心を決めた。
「次の日曜、会えますか?」
「え?……まぁ、空いてるけど……。」
「貴方に会って欲しい人がいます。」
「……誰だよ?」
「ドモヴォーイ。」
「……は?!」
「都市伝説のように言われていますが、彼は実在します。」
「は?!嘘だろ?!」
「嘘じゃありません。彼に助けられ、彼の支援の下、私達は勉学に励み、ここにいます。」
「私達……?」
「僕以外にもいるという事です。僕も多くは知りません。」
彼は額を押さえていた。無理もない。いきなりこんな話をされて信じろというのは無理がある。
私は彼が混乱から抜け出てくるのを静かに待った。
「……わかった。」
彼はそう言った。
たった一言、そう言った。
そして残っていた食事をガツガツと食べ始める。その様子が何だかとても力強く彼らしく、私は安心した。
私も彼に習って、ベーグルサンドを口いっぱいに頬張る。それを噛み締めて空を見上げた。
彼と話せて、私の心はいつになく軽かった。
空の青さがとても綺麗に見える。頬を撫でる風からは、少しだけ土と緑の匂いがした。
「ふふっ。美味しい。」
「テイクアウトのベーグルサンドがか?」
「ええ。」
私の呟きに反応した彼は、そんなに旨いなら間食に買って帰ろうかなと言った。
のんびりとした時間が過ぎていく。
「……なぁ。」
「はい。」
「……今夜、行かないよな?」
彼はこちらに目を向けずにそう言った。
私は空を見上げた。
雲がのんびりと流れる空を。
「行きませんよ。安心して下さい。」
「……そうか。なら、いい。」
私は嘘をついた。
それは彼もわかっていると私は思っていた。