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ルサールカ  作者: ポン酢
父と精霊の名の元に
5/10

ルサールカ②〜父と精霊の名の元に④

 危険な地区を抜け、ある程度そのまま裏路地を歩き続けていると、彼が突然、ビルの外階段をよじ登り始めた。


「……え?」


「着替えてくる。ちょっと待ってろ。」


 彼はとそう言い残すと、錆びで崩れてきそうな鉄階段を登っていく。こんなところに住んでいるのか?と思ったが、彼はそのまま屋上に登った。どうやらここの屋上で浮浪者と「入れ替わって」いたようだ。

 私は折り畳み傘をさして、その場で待っていた。雨はほとんど止み小雨に戻っている。


 さっきの土砂降りは、本当にタイミングが良かった。彼が「水を呼ぶ」というのもあながち嘘ではないのかもしれない。そんな事を思い、少し笑ってしまう。


「待たせたな。」


「いえいえ。」


 着替えてはきたのだが、浮浪者のような髭はそのままで、本人もそれは気にしているのかフート付きの服を着ていて、頭からすっぽり被っている。


「ん。」


「え?」


 彼は何故か私に手を出してきた。演技を頼んだから、報酬を要求されているのだろうか?私は不思議に思いながら、数枚の紙幣を手に載せた。その瞬間、彼が怒った。


「馬鹿!もう浮浪者役は終わりだっての!!ブツを寄越せ!!」


 どうやら「ルサルカ」を渡せと言っているらしい。浮浪者役は終わったけれど、ジャンキー役は終わっていないのだろうか?

 不思議に思ったのが顔に出たのだろう。彼が苛々しながら言った。


「あのな?!それが本物か調べる必要もあるだろうが!!」


「あ、なるほど。」


「しかもお前が持ってたんじゃ、しょっぴかれるぞ?!」


「そういえば、警察関係者でしたね。忘れてました。」


「……おい。」


 冗談ではなく、それを忘れてしまう。特にあの見事な浮浪者っぷりを見た後だと、すっかり抜けてしまっていた。

 小さなジッパーに入ったそれを取り出すと、彼がさっと奪い取る。


「飲み過ぎないようにして下さいよ。」


「……飲まねぇよ。」


 思わずそう言うと、彼が心底、嫌そうな顔をした。それが少しおかしい。


「次は再来週か?」


「いえ、再来週は一人で行きます。」


「……大丈夫か?」


 その言葉に驚く。彼と私はビジネスライクな繋がりだと思っていたからだ。けれど小雨の降る中、フード越しに見えた彼の目は確かに私を心配していた。

 その事に妙な不安感を覚える。


「……大丈夫ですよ、「父さん」。」


「?!」


 そう嫌味で言ったつもりだった。でも言ってしまったら物凄く落ち着かない気分になった。それは彼も同じだったのか、ボカっと私を殴る。


「俺は帰る!!」


 そう言って不機嫌そうに大通りの方に消えて行った。私はそれを何も言わず見送る。


 傘を返しそびれたな、と思った。









 あの時受け取った「ルサルカ」の分析結果が出た。そう言って彼に呼び出されたのは、流行らない立ち飲みバーだった。


 私がつくと彼はもうついていて、こちらに軽く手を上げた。一番隅の、人気のないテーブル。彼はすでに飲み始めていた。


「よ。」


「お疲れ様です。」


 ガムを噛みながら面倒そうに注文を取りに来たウエイトレスに、同じものを、と頼む。彼はどうでも良さそうに、瓶ビールを口にしていた。


「で?」


「本物だ。」


「それは良かった。」


「良くねぇ。」


「どうしてです?」


「……今まで見つかった物の中で、一番純度が高かった。」


「つまり、どこかで少し混ぜ物をして、かさ増しされた物じゃないって事ですね。」


「……お前、もうあそこには行くな。こっちで調べる。」


「ご冗談を。その情報から行けば、かなり大本に近づいているんです。そっちに介入されたら逃げられます。」


「駄目だ。その分、危険すぎる。手を引け、ジン。」


 彼が私を睨んだ。私はその視線から目を反らさなかった。


「え?注文、ビールよね?ジントニックだった?」


 そこにさっきのウエイトレスがやってきた。イヤホンをつけて音楽を聞いているらしく、こちらの会話を聞き間違えたようだ。 あってますよと私は笑って受け取る。確かに名前を酒だと思われる事はよくある事なのだ。

 けれど彼がすかさずジントニックを注文する。


「……わざとですか?」


「さぁな。」


 ケッとばかりに彼はそう言うと、瓶に残っていた分を飲み干した。私は自分のビールに口をつける。


 何度か会ってわかったのは、彼が人を寄せ付けないように見えるのは見かけだけだ。言葉も荒いし突慳貪としているので、取っ付きにくいといえば取っ付きにくい。

 でも彼本人はそうじゃない。一度、無理矢理その壁を突き抜けてしまうと、彼が本来は周りを大切にする人だと言う事がよくわかる。


 ジントニックが届いた。普通の瓶の物だ。彼はそれをこれみよがしに一気に半分ほど飲んだ。


「……それは嫌味ですか?」


「わかってんなら、言うこと聞け。ガキが。」


 そして彼は、こんな子供っぽい事をするような大人でもある。それがおかしくて少し笑ってしまった。


「笑い事じゃねぇ。ああいう連中は平気で人を殺す……。自分ら以外はモノぐらいにしか思っちゃいねぇ……。」


 少し酔いが回ったのか、彼はそう言った。そして遠くを見つめる。

 それがどういう感情なのかわからない。だが一応心配されたのだからと私は口を開く。


「ありがとうございます。」


「あ??」


「心配して下さるのはありがたいです。ですが、ここまでたどり着くのがどれだけ大変だったかもわかって下さい。」


「んなこたぁわかってる。こっちだってずっと調べてんだ。それをお前が一人で出し抜いたのが、どんだけの事かなんてのはわかってる。」


「でしたら……。」


「だが駄目だ。行かせねぇ。」


 警察官としての使命感なのか、彼は譲らない。

 さすがの私もイラッとして彼を睨んだ。彼は知りすぎてる。話されたら今までの苦労が全て水の泡になる。


 しばらくそうして睨み合った。


 先に折れたのは彼だった。あ~っと、また上を向いて辺な声を上げる。他のテーブルの客がチラリとそれを見たが、面倒そうな顔をしてすぐに目を反らせた。

 彼は残っていたジントニックをまた、一気に飲んだ。そして言った。


「……刑事として言ってんじゃねぇ。俺、個人の頼みだ。」


「?!」


 その言葉に、私は飲んでいたビールを吹きそうになった。警察としての正義感ではなく、彼の個人的な願いだと言った。どういう事なのかわからず次の言葉を待つ。


「……お前、俺の息子と同い年だ。」


「え?ご家族が?」


 資料では彼は独り身だったはずだ。だが離婚して子供がいるのかもしれない。そんなに珍しい事でもないので、私はビールを飲みながら話を聞いていた。

 けれど、失言だったと後から気づいた。


 彼は笑った。

 情けない顔で笑った。



「死んでる。妻も息子も。」



 彼は笑っていた。

 でも泣いているのだと思った。


 ズキッと胸が痛む。


「すみません。」


「いや、別に知らなくて当然だ。話してないんだからよ。」


 いや違う。私はドモヴォーイにもらった資料だけしか見ていない。おそらくそれぐらいの事は少し調べればわかったはずだ。なのに私はそれをしなかった。普段なら、ドモヴォーイからの指示でも、自分でも調べてから動く。けれど今回、自分の過去に近づくだろう事から、私は無自覚に混乱していたようだ。


「……こういうんじゃねぇけど、変な組織に殺された。」


「!!」


「アイツらは簡単に殺す。」


「そう、ですね……。」


 頭の中で、実験施設にいた時の事がフラッシュバックする。


 そうだ、知ってる。

 私は知っている。


 彼らは、簡単に殺す。自分たち以外は、実験動物だとしか思ってない……。


「はじめはお前なんか相手にする気はなかった。でも歳を聞いて突き放せなかった。なんかお前、平気で危ない事やりそうな顔してっし。……しかも芝居とはいえ「父さん」とか言いやがるしよ……。」


 私は背筋からすっと体温が抜けていくのを感じた。自分が軽々しく言った「父さん」という言葉を、彼がどんな気持ちで聞いていたんだろうと思う。


 死んだ?

 私と同い年の息子が?


 いつ?


 何かの組織によって殺された?


 自分の身の上とも重なり、全身から血の気が引いた。してはならない事をしてしまったと思った。


 ドモヴォーイはわかっていて彼と私を会わせたのだろうか?取っ付きにくい彼に、死んだ息子と同い年の自分をわざと宛てがったのだろうか?彼が断れないように……。


「……おい?……おい!ジン!!」


「あ……すいません……。」


「大丈夫か?顔が真っ青だぞ?!」


「……大丈夫です……。」


 そう言ったが、立っているのがやっとだった。空きっ腹にアルコールを入れたのも良くなかった。


 組織に殺されたという彼の息子。私はもしかしたら、それを見ていたかもしれない。いや、彼の息子と私の立場は逆だった事も考えられる。


 とりとめのない考えが頭に回る。

 手が小刻みに震えている。


 それに気づいた彼は、サッとあのヨレヨレのジャケットを脱いで私の肩にかけた。そして急いで会計を済ませる。


「大丈夫か?!体調が悪かったなら言えよ、馬鹿野郎?!」


「すみません……。」


「タクシー拾うから!一人で帰れるな?!」


「すみません……。」


 私はずっと、すみませんと言っていた。何に対してのすみませんなのかわからない。


 それは途中からは祈りだった。


 私は神に祈っていた。

 助けて下さいと、祈っていた。

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