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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第一章 わたしの居場所 テノチティトラン
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9 新しい敬意の形



 クアウテモクに呼ばれ、王宮の片隅にやってきた。白人らから奪ったり、取り残されていた馬が集められ、飼育されている場所だ。


 白人らが乗っているのは見たことはあるが、近づいて見るのは初めてだった。馬の世話係が近寄る時に気をつけるべきことを説明してくれる。



「待たせたな」

 話の途中で、クアウテモクがやって来た。

 慣れた手つきで馬の側に寄り、手綱を握る。


「今日は、これに乗る練習をしよう」

「私がですか?」

 近くで見ると、馬はかなり大きい。跨って乗るとなれば、かなりの高さだ。


「身を守る手立ては多い方がいい。私が乗って逃げろと言った時に、乗れないんじゃ話にならない」

 クアウテモクは馬を手でさすり、鞍に手を掛ける。


「… わかりました… 」

「まずは、私の前に乗れ。今日は、二人で乗って近くをうろつくだけだ」


 世話係が脚立を持って来る。

 世話係とクアウテモクの助けを借りて、鞍に跨る。乗るだけで一苦労だ。自力で乗って走らせるなど想像もできない。


 クアウテモクが手綱を握り、ゆっくりと馬が歩き始める。


「… わ… 」

 想像以上に揺れる。


「慣れない内は、喋るな。舌を噛む」


「身体の真ん中を、馬の真ん中に合わせろ。落ちないから、背中を丸めるな」

 前屈みに馬にしがみついていたのを、後ろからクアウテモクに強制的に引き起こされる。


「揺れを受け入れて」


「肩の力を抜いて」


「胸を張って」


「下を見ない」



 次々と指示されるがまま、体勢を直す。

 空き地を二周する間に、少しずつ慣れてくる。


「じゃあ、少し速度を上げるぞ。揺れるタイミングを合わせろ」

 その言葉通り、揺れが速くなる。


「いいんじゃないか? 外に出よう」

 馬は敷地の外へ向かう。


「どこへ?!」

 揺れのリズムが掴めてきたため、口を開いた。


「トラテロルコあたりまで行こう」

「そんなに遠く?」


「土手道と橋を通る練習だ」

 敷地の外に待機していた護衛らと共に、街に出た。





 数ヶ月ぶりに出た街中は、テクイチポの知っているテノチティトランではなかった。美しかった並木は焼かれ、建物も大半は修復されているが、直されずに廃墟となったものも多く残っている。


「先の戦いのせい?」

 背後のクアウテモクに問いかける。


「そうだ。これでも随分と立て直したほうだ。人も、戻って来ているしな… 」

 市場は賑わっているが、以前と比べると活気は少ない。

 何万人も収容できるテノチティトラン最大の市場は、街中に張り巡らされた水路から商品を搬入でき、人々は陸路や水路で買い物にやって来る。ここがテノチティトランの台所とも言える。

 白人たちが父王の時代に傀儡政権を立てた時、市場の機能が止まった。白人らは、自分たちの食べ物も手に入らない上に、民衆の暴動の恐れが出たため、市場再開のためにクィトラワクを軟禁から解放したほどだ。



 クアウテモクは市場の前で馬を止め、先に降りる。

「少し歩こう」

 クアウテモクが腕を広げ、テクイチポを下ろそうとする。


「脚立は?」

「受け止めるから」

 そもそも夫とは言え、ろくに触れ合ったことがないのに、抱きつくような真似はできない。


「オセロメー!」

 思わず、護衛を呼ぶ。振り返るとオセロメーも呆れ顔だ。


「馬鹿な… 」

 クアウテモクは呟くと、テクイチポの脇の下に手を入れ、抱え下ろす。結局、クアウテモクにしがみつくような体勢になる。

 地面に足が着くと、クアウテモクはテクイチポの耳元に顔を寄せる。


「民が見ている。慎み深い笑顔で、威厳と包容力を表現しろ」


 辺りを見渡すと、市場の入り口に人集りが出来始めたところだった。


「クアウテモクツィン()では?」

「王だ!」 


 人々は囁き合うと、平伏していく。


「良い!直れ!」

 クアウテモクは、一番手前の男の肩に手を掛け、立ち上がるように促した。


「伏す必要はない」

 クアウテモクが笑顔で民衆に伝え、手を上げると、大歓声が湧き起こる。

 立ち上がるように促された男は、両の手でクアウテモクの左手を握ると、その手を自分の額に当てた。


 それを皮切りに、人々はクワウテモクの元にやって来て、同じように手を額に当ててゆく。


「クアウテモクツィン!」

「クアウテモクツィン!」

 人々が熱狂的に王の名を呼び始める。


 モクテスマ二世の治世では、民が王に顔を見せることは御法度だった。人々は顔を伏せ、王と目を合わせてはならなかったのだ。

 クアウテモクは、集まってきた人々の額に手を当てながら、慈悲と威厳を表した。

 王に額を差し出すという、新しい敬意の表し方が生まれて、伝播した。


 気づくとテクイチポの前にも人々が集まっている。オセロメーが睨みを効かせているため、手を握って来る人はいなかった。

 テクイチポは、オセロメーに目配せすると、差し出された手の甲に自らの手の甲を当てた。額に手をかざすほどの距離に近づくのが躊躇われたからでもある。歴戦の猛者であるクアウテモクと違い、テクイチポは自分で身を守れないからだ。


「テクイチポツィン!」

「テクイチポツィン!」

 テクイチポの周りでも、王妃を称える声が上がる。

 クアウテモクの方を見ると、テクイチポの方を見て頷いた。クアウテモクの期待に沿った行いができたと感じると、自然に笑みが溢れる。


「まあ… 」

 二人のそのやり取りを見ていた女たちから感嘆が漏れる。王族をたらい回しにされる若い王妃として、民たちがどう自分を見ているのか、テクイチポだって想像できないわけではなかった。

 クアウテモクとの信頼関係を示すことは、クアウテモクが望む威厳の一つになるだろう。



「目を合わせただけで、王妃様は真っ赤になってるよ」

「初々しいな」

「王妃様を見る王様の目の優しいこと!」

「あんな美男子に見つめられたら、誰でも照れるさ」


 人々の会話が耳に入ってくる。

 テクイチポが慌てて頬に手をやると、近くの女たちが気まずそうにする。



「妻と買い物をするために来た、また次の機会にな… 」

 クアウテモクは人々の輪から外れると、テクイチポを人混みから連れ出した。


「果物でも食べるか?」

 市場の中をゆっくりと進みながら、クアウテモクが訊ねる。

 すれ違う人々が驚きの目で見るが、王が視線を合わせると、皆は察したように道を空ける。


「市場で買って食べるということですか?」

 賑わう市場の中に入るのは初めてだった。これまでは、王族の一行が入るために、一般客を閉め出して貸切にしていた。父に同行する時はいつもそうだった。


「まあ、見てろ」

 クアウテモクはそう言うと、手近な店で、スターフルーツを選ぶ。代金は要らないと固辞する商人に無理に代金を受け取らせている。


 オセロメーが説明するところによると、今まで、王が街中で商人から物を受け取る時は献上させており、これまで支払いを受けた商人はいないということだ。


「クアウテモク様が民衆に愛される理由はこういうところですよ」

 オセロメーと話していると、商人が切り分けた果物をクアウテモクが差し出す。



「ありがとうございます」

 受け取ろうと手を出すが、クアウテモクは渡さない。


「何を見せたい(・・・・)かわかるな?」

 首を傾げ、わからないと伝えると、果物の一片をクアウテモクはテクイチポの口に入れる。


 遠巻きに見ていた人々、主に女たちの歓声が上がる。


 急なことに目を白黒させながら、咀嚼する。



「手が汚れるからな。欲しければ言え。それと、市場の中では私の腕に手を掛けろ」

 クアウテモクの言うがままに、その腕に手を掛ける。


「王族の安寧な姿は、人々を安心させる。覚えておけ」

 耳元でテクイチポに話し続けているその様は、人々には、恋人同士の甘い会話に見えるのだろうか。


「クアウテモク、部下にするみたいな口ぶりでは、私は幸せな顔をできませんよ?」

 テクイチポが見上げて、異議を唱える。


「まあ、そうだな… 」

 いつの間にか、最後の一つになったスターフルーツがテクイチポの口に運ばれる。

 一口目は、味わう余裕がなかったが、今度は甘さを感じる。

 飲み込み終わると、隣を歩いているクアウテモクが不意に身を屈めた。クアウテモクの方に顔を向けると、唇の横に柔らかい感触を感じ、それが彼の唇だとわかる。


「えっ」

 テクイチポの驚きの声は、周囲の女たちのどよめきと叫び声にかき消された。


「これで、明日には市場での王族の戯れが、街中の噂になるな」

 クアウテモクは満足そうにカラカラと声を立てて笑う。


「突然過ぎますっ!」

「これは仕事なのだから、キノコでの制裁はやめてくれよ?」


 腕を組んで、耳元で囁き合い、頬を染めた妃と楽しそうに歩く王の噂は、テノチティトラン中を駆け巡ることとなった。






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