5 弔いと新しく始まる関係
東海岸から白人は西進してきた。
途中、三国同盟と敵対するトラスカラ王国を味方につけたコルテス軍は、さらに西進する。
トラスカラは、白人たちにいいように使われた後、どんな未来が待っているかなど考えもつかないのだろう。メシカを滅ぼすという目的の元、白人の軍に加勢するという最悪の事態になった。
侵略者に魂を売ってまでも、メシカを潰したかったのか。
メシカを束ねるテノチティトランの歴代の王たちの敵対行為や圧政がトラスカラの裏切りを招いた。
また、時期も悪かった。彼らが上陸したのは、一の葦の年だった。それは、白い顔の男だと言われるケツァルコルトルが再来する年だった。
見たこともないほど白い肌をもつ男たちがケツァルコルトルだと、市民たちは実しやかに噂した。
見たこともないような火の玉を撃って街や畑を破壊し、男たちを虐殺し、女たちを陵辱するその行為は、まるで神の怒りのようだった。
テクイチポの父、モクテスマ二世は敬虔な男で、メシカの神々を崇拝していた。
メシカが人々を代表し、神々に生贄を奉納し、神を支えているからこそ、この世界に太陽の恵みがある。だから、ケツァルコルトルが、メシカの民を異教に改宗させるはずがないことを知っていた。
しかし、彼は白人を畏れた。いくつもの前兆が王国の滅亡を表し、彼の国と民を脅かすことを危惧した。彼らの持つ技術力や連れて来た生き物たちは、理解を超えていたのだ。
白い顔の異教徒たちは疫病をもたらし、部族間の抗争を助長させた。そして、白人の行軍した後は壊滅的な破壊以外の何もなかった。
クィトラワクの跡を継ぐクアウテモクは、勇敢な戦士であり、現実的な策士でもあった。だからこそ、その若さで戦いの最高責任者であり、太守を任されるまでに出世もした。
一旦退却したコルテスらは、トラスカラで力を蓄え、またテノチティトランを狙って来るだろう。
退却に乗じて、周辺の都市さえ破壊して行った。まだ戦える部族らをテノチティトランに結集し、その日に備えねばならない。掠奪しながらやって来る彼らに備えるには、人も食糧も全て足りなかった。
テクイチポは、ショコラトルのせいか早朝に眠りが浅くなった。クアウテモクが部屋に戻ってきた気配がするが、起きるにはまだ早い。うとうととしていると、近くからクアウテモクの声がした。
「お前は… 次に、囚われたら、どんな目に遭うかわからんぞ。逃してやろうか?」
テクイチポに向かって話しているようだが、目覚めているとは知らないだろう。目を閉じたまま聞き流した。
王である彼がテクイチポを逃すというような弱音を呟いたことには驚いた。
テクイチポは誰にとっても利用価値がある。妻にしさえすれば、白人だろうとメシカ人だろうとどの男でもこの地を治められる。あの夜、殺されずに白人と共に逃げさせられた理由は、後から腹に落ちた。クアウテモクが言ったのは、そのことなのだろう。
「打ち破るしかないな… 」
白人たちを完全に退却させなければ、テクイチポは夫が死ぬ度に次の王の妻として、たらい回しになるだけなのだ。
クアウテモクが立ち去る気配を感じ、テクイチポは薄く目を開けた。
彼は葉巻に火をつけ、ウィツィロポチトリのタペストリーの前に立つ。ウィツィロポチトリに煙を一吹きすると、握りしめていた翡翠に口付けた。弔いの仕草のようだった。
そして、静かに寝室を出ていった。
日が昇った頃、テクイチポが再び目覚めると、寝室の窓が開け放たれ、窓際にクアウテモクが座っていた。
「… おはようございます」
寝台に手をつき、上半身を起こすとクアウテモクに声を掛ける。
ひんやりとした不快な感触を覚え、ついた手に目をやると真っ赤に染まっている。
「ッ… あぁ… 」
小さな悲鳴が口をつく。見れば、腰元から寝台の敷布が血に塗れている。
「… 私は何もしてないぞ。月のものだろう。これからは、気をつけるように… 」
背を向けたまま、クアウテモクが言う。
「… クアウテモク様… 申し訳ございません… 」
「様は要らぬ」
「… 」
失態を夫に知られた恥ずかしさから、言葉が出ない。
「まだだと聞いていたから、何も言わなかったが、これからはその時期は、別の寝台を使え。寝室を分けてもよいが、情勢を考えると、同じ部屋の方がいい」
「… ありがとうございます… あの、これのせいで、お休みになる場所がなかったのでは?」
「いや、休む気はなかった。気にするな。支度を済ませたら、隣の部屋で話がある。ああ… 支度はゆっくりで構わない。湯浴みもしろ」
クアウテモクは一度も振り返らないまま、部屋を出て行った。
女になったばかりで、取り繕うべきところも取り繕えず、夫にまるで女親がすべきような世話まで掛けさせてしまった。
ウィツィロポチトリの妖艶な背中を思い出し、いかに自分が子どもで、一片の色気もないという事実を痛感した。