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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第四章 シウダ・デ・メヒコでの再出発
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39 欲しかったもの



「今晩は、七面鳥の骨を煮出したスープに、トマト、辛くない唐辛子、干した豚肉を入れたもの。冷たいスープを飲むと聞いていたから、温め直さないつもりだけど、いいかしら?」

 イザベルがマルティンから聞いた本国料理とメシカの食材を合わせてみた。




 用意している間に、フアンがプルケを用意する。


「… それ、プルケと合う?」

「え?」


「汁を少なく盛ってみて」

 フアンに言われるがまま、スープ皿をやめて小皿に変える。


「残ってるトルティーヤはある?」

「あるわ。乗せて食べるには、乾燥してるけど… 」

「まあ、見てて」


 作業台に隣合って座ると、二人で水分の飛んだトルティーヤを割り入れて食べる。


「美味しい!」

「けど、プルケに合わないな… 」


「ふふ、プルケに合うのは何?」

「唐辛子」

 酢漬けの唐辛子を瓶から取り出しながらフアンが答える。


「唐辛子やトマトは本国で人気が出るだろうね」

「この名前のない料理に合うお酒があればいいのに… 」


 イザベルがプルケの入ったデカンタに手を伸ばすと、作業台に投げ出されていたフアンの左腕に触れてしまう。慌てて離すのも気が引けて、そのままデカンタを掴んだ。


 デカンタを持つ手をフアンの両手が包み込む。


「ぶどう酒には合うだろうね」

 触れ合ってなどいないかのように、フアンは話を続ける。


「… ぶどうで酒が作れるの?」

「ああ。ここのぶどうでできるか、まだ試行錯誤してるけどね。ぶどう、それにオリーブも、ここの気候なら作れる。本国から持って来ようか」


「そうね… 育つか試してみましょうか。価値の高い作物に切り替えたいの」

 イザベルの手はデカンタから離され、フアンの両手に閉じ込められている。


「明日、朝食はこのスープにパンを入れてみる?」

「ああ、エストレマドゥーラ風だ」


「聞いてる?」

「… 聞いてるよ?」

 フアンはイザベルに顔を向ける。


「明日は、朝食をここで食べたら?って意味よ。毎晩、寝に帰るだけなら、この館の部屋を使って… 」

 上手く伝わらず、直接的に言い換えた。



「シウトリの話で焦ってる?」

 フアンがイザベルの顔を覗きこんだ。

「… 焦ってる」


「それを進めていいの?」

「他に、方法がないもの」

 嫌な言い方だ。"そうして欲しい" と表現できれば良かった。


「最近、忙しかったし、少し気晴らしして、それから決めないか?」

「もう、誰かに振り回されるのは嫌よ」


「思い詰めないで。突然、誰かが送り込まれて来るような話じゃないでしょう」

「いつもそうだったわ」

 突然あの男がやって来て、男の名を告げる。

 お前の夫になるよう説得するのが大変だった、というような嫌味と共に。


「きみが、招き入れようとしている僕は、送り込まれる誰かより、マシだと思ってる?」

「それは… 気心は知れているし、誠実な人だとわかってる。私を大切に考えてもくれてる… 」


 イザベルはフアンを見つめて答える。

 フアンは黙ってイザベルの頬に手を掛けると、顔を寄せる。


 口づけされるのだと思い、ゆっくりと目を閉じた。



「やっぱり、今はまだ、違う… 」

 フアンは手を離すと、唇には触れずに離れていった。


「きみの意思のようで、きみの意思じゃない」

「私の意思よ」

 自分でもよくわからない。二つある選択肢の一つを消しただけなのだろうか。


「いや… ここまで来て、なし崩しにしたくない」

「… 手に入るなら、手に入れたらいいじゃない」

 イザベルは、以前、同じようなことを口走った。他の誰かじゃなく、自分だけを愛して欲しいと願ったことがある。

 あの時と同じ熱量を持てているのだろうか。



「きみは、僕を本当の意味で手に入れたい?」

「… 誰かに渡すのは嫌よ… 」


 シウトリが言い掛けて、フアンが黙らせたのは、フアンにも縁談が来ているという話だということは察しがついた。

 イザベルが出ている住民貴族の評議会で、未婚の貴族の娘がいないかという話は度々出ている。以前、ペドロに紹介された何人かのヴェチーノの名も既に出て来ている。フアンの名が挙がるのも時間の問題だった。


 フアンがいなくなることを恐れるのは、彼がしてくれている仕事が心配なのか、と自分に問う。


 毎晩、二人で話すのを楽しみに、料理をしているのは何故だろう。この時間がなくなるのは嫌だった。結婚した彼が他の女のところへ帰るのを我慢できるのだろうか。そもそも、誰かと結婚したら、自分の荘園を持つであろうし、タクバの手伝いなどする時間はないだろう。


 何が欲しいのか。彼の助けだけなのか。

 触れられても、振り解きたい気持ちはない。いつの間にかフアンの温かみはイザベルにとって必要なものになっている。





 今度は、スツールごとフアンに引き寄せられた。

「本当に?」

 イザベルが頷くのを見ると、フアンはイザベルに口づけた。


「ねえ、前から思ってたんだけど、いい匂いがする」

 イザベルはフアンの首に顔を埋める。


「… 僕たちは臭いって、思われてるでしょう? 練り香料を使ってる」

 入浴が習慣化しているメシカ人は、初めて白人に会った時に確かに臭いと思った。特に、彼らは長い船旅、行軍に慣れた戦闘員であったし、実際に無頓着だった。

 また、メシカ人は彼らが肉をよく食べるから臭いが強いのだとも考えている。


「近づかないと、わからないけど?」

「… そう?」

 

「女に言われたのね?」

「… え?」

 フアンが身体を固くする。


「… さっきまで、きみが僕をどう思ってるかわからなかったんだけど、今、きみは嫉妬してる?」


「気づいちゃたんだもの… 」

「どこまで、遡って嫉妬するつもり?」

「え?」

 女っ気なく彼が過ごして来たとは思えない。高い背、長い手足、茶色がかった緩く巻いた髪、それに、白人にしては童顔で優しい顔立ちの彼は、女の目を引く。彼が集める視線に苛立ちを覚えたことを思い出す。



「指を咥えて、順番が回って来るのをじっと待ってきた僕にそれを言う?」

 フアンは笑った。


「… 言うわ。初めて、自分で選ぶ相手なんだもの。好きよ。この瞳も、この髪も、この腕も。私のものにしたい」

 初めて自分から手を伸ばした。近くにあったのに、今まで触れずにいたことが不思議なぐらい愛おしい気持ちになる。


「触れたかったのよ… 本当は… 」


「こっちに来て… 五年越しに実る恋は、美味しい…」

 脚立に座るフアンはイザベルを抱き寄せ、二人は深く口づけた。




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