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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第四章 シウダ・デ・メヒコでの再出発
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38 メヒコ市街の瓦礫



 イザベルが市内に戻って来ると、住民貴族の評議会への参加や教会の活動支援など様々な仕事が増えて行った。


 教会の活動は、女性の生活支援として積極的に参加した。

 敗戦後のテノチティトランは女と子どもしか残らなかった。クアウテモクが投降した後も、トラスカラ人は虐殺を続けた。戦闘能力のある男の殆どは殺されたし、死傷者には女も子どもも相当数が含まれていた。


 強制労働や荘園での仕事につけない女たちを保護するための修道院は必要であったし、文字を教える機関も必要だと考えていた。イザベルの考えに賛同してくれる司教や神父を訪ねて回った。


 しかし、何をするにも、資金が足りない。今は自分の荘園すら黒字にできないのだ。


 

「ねえ、二刻後に迎えに来るから、中で待っていて」

 フアンの馬車でかつて住んでいた王宮の近くまでやってきた。王宮は、白人に破壊された後、その瓦礫を使ってコルテスの私邸として作り変えられていた。


「ええ、ありがとう」

 イザベルは教会を訪ね、フアンは協議会に出る予定だった。


 イザベルはシウトリと共に馬車を降りる。




「… テトレパンケツァルが戻って来る、と言った場所がコルテスの家だとは、皮肉ですね… 」

 シウトリが呟く。


「彼が戻って来たら、あの男は発狂するでしょうね… 」

 自分が命じた処刑であるのに、それが原因で精神を病んだとも噂されていた。

「彼なら、戻って来かねないわ。何度死んだとしてもね」

 イザベルが言うと、シウトリは吹き出した。


 テトレパンケツァルの思い出はいつも彼のユーモアと共にある。視界に入る巨大な、まるで要塞のような建物は腹立たしいが、こんな冗談を言えるようになった。


 街の中心部には、石造りの建物が増え続けている。あちらこちらで、建築工事をしている。空き地には再利用されなかった、あるいは、これから再利用されるのを待つ瓦礫が積まれている。


 宮殿をカヌーで脱出して十年が経っていた。

 "残る民を守り、街を再興せよ" とクアウテモクがコルテスに命じたように、街は確実に再建されていく。






 その日訪ねた神父も、イザベルの考えに賛同はしてくれるが資金がなく、話が進まなかった。


 スマラガ司教らの尽力により、生き残った貴族の息子たちを聖職者として教育する学校を、かつてのカルメカクの敷地に作ることが決まっていた。十歳から十二歳の少年を集め、ナワトル語を彼らの文字で書き記す方法の他、二つの言語で教育すると言う。


 テノチティトランでは、少女のための学校もあったことを、イザベルは主張した。彼らの価値観では子どもの教育に男女の格差があり、もどかしかった。


 少年の学校にシューマを通わせたいと考えたが、彼は改宗していない。言葉、識字、学問の習得ためには、受洗は必須だった。



 馬車を待つため、シウトリと共に外に出る。

 空き地に積まれた瓦礫は、イザベルの知っている何か(・・)かもしれない。郷愁に駆られ、瓦礫の山を見つめる。


 街を行き交う白人たちは、イザベルを見ると口笛を吹く。イザベルが誰かを知っているわけではない。


「シウトリ、あれは、何の意味があるか知ってる?」

 イザベルが訊ねると、シウトリは眉をしかめる。


「知らないのですか?」

「ええ」


「彼らは、素敵な女性を見つけると、ああやるのです。自分の方を見て、微笑んでもらいたい、というそれだけでしょう」

「え? あれに、笑って返すの?」


「ええ、まあ、男にとっては、他愛もない遊びです。美人が笑いかけてくれたら嬉しいな、程度の」

「まあ… 」

 テノチティトランにそんな文化はあったか、と考える。

 当時は、誰もがテクイチポ(・・・・・)を知っていた。だから、冷やかしを受けることは当然ない。


「彼らの風習?」

「まあ、そうでしょうね」


 シウトリと話している内に、フアンの馬車がやって来た。

 馬車を降りた場所から、少し離れた空き地にいた二人に気づかなかったのか、馬車は通り過ぎていく。

 シウトリと馬車が停まった場所に向かって歩いていると、馬車からフアンが降りた。


 フアンは通り掛かった女性たちに微笑みかけられている。


「… あれも?」

「まあ、そうでしょうね。ドン・フアンはメシカの女に好かれる顔立ちですから… 」

 シウトリが答える。


「… ふうん」

「まあ… ドン・フアンだけでなく、身なりのいい男は、声を掛けられますよ」


「それも、男たちと同じ理由?」

「それもありますが… 一晩の対価に金を貰いたい、というのもありますよ。未だに、この街は未亡人だらけです。皆、困窮している」


 未亡人(・・・)。イザベルもその一人だった。


 女たちに声を掛けられた彼は、彼女らを無視することなく、何か話すと、ポケットの中から硬貨を取り出し渡した。


 本国から硬貨を取り寄せて市内で使っているが、メヒコ市でも銀の硬貨を作るという話が上がり始めた。十年前、カカオの豆を通貨にしていたのが懐かしい。今も、市場の裏ではカカオを使ったり、物物交換をしているが、レートが安定しない。ゆくゆくは経済規模に見合うだけの通貨の流通が必要だが、戦争と疫病で減った人口は戻らず、白人以外の経済活動には制限もあり、好転するまでには時間がかかりそうだ。


 窮状に対する同情の気持ちと、フアンに集る女たちへのもやもやした気持ちとが混じる。


「いずれにせよ、女性が生きて行く場所が必要ね… 彼は対価を求めるのかしら… 」

「あれは、施し(・・)でしょう」


「何を施す(・・)の?」




 フアンがイザベルたちに気づき、近づいて来たため、シウトリとの会話はそこで終わった。


「遅くなってすまない!」

 不機嫌なイザベルに首を傾げながら、フアンとシウトリは顔を見合わせた。


 




「前にスマラガ司教と話した、土地の権利の話なんだけれど… 王室に対して、きみの正当な権利を主張する方向で司祭と進めようと思う」

 馬車の中でフアンが話し始めた。


「どういう意味?」


「今のタクバは、王室からきみに下賜されたものだ。それを根本から覆す」

 イザベルは、先を促す。


「前王朝が所有していたもので、正統な継承者へ継承されるはずのものを、王室が不当に奪取した状態にある。だから、正当な継承者へ返還して欲しい、と王室に主張するということ」

 フアンは、ゆっくり言葉を選びながらイザベルに説明する。


「なるほど。それは、この大陸の広範囲になるわよ?」

 父王亡き後の一年間、それまでの管理システムは崩壊の一途を辿った。納税の履行と、離反の時期は記録がないだろうし、記録されていた物も、焼けたか街のどこかの瓦礫か湖の底に消えたはずだ。


「僕の見立てだと、そこまでは難しいと思ってる。明確な王の直轄領を定義して主張する。それと、きみが正統な継承者である正当性を証明しなくてはいけない。長丁場な戦いにはなるけれど、やってみたい。どう思う?」

 フアンはイザベルを見つめる。


「お願いしたい。私もお金が欲しい。教育や市民の支援のための資金が必要なの。ただ、主張するにしても、元手がいるでしょう?」


「きみがやりたいことは、公共事業だな」

 フアンが笑う。


「元手については、僕にも、多少の資産はある。きみが報酬を気にするなら、それは後で話し合わないか?」

 また、甘えることになる。

 シウトリの言った施しという言葉が頭を過った。





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