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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第四章 シウダ・デ・メヒコでの再出発
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36 厨房の会話



 イザベルは起きて待っているべきか迷ったが、フアンがわざわざ戻ると言ったのだから、何か用があるのだと思い、眠る時間を過ぎても待っていた。


 眠気を散らすため、厨房で夕食の煮込みの鍋から、唐辛子を取り出しつまんでいた。廊下に足音がする。


 厨房の扉が開くと、フアンは驚いた顔で立ち止まった。酒を飲んで来たのか、頬が紅潮していた。



「… 遅くに、すみません。灯りが見えたので… この時間なら、もう休んでいるかと… 」

 そう言われてみると、戻ると言ったのは、使用人に鍵を開けるよう伝えて欲しいという意味で、イザベルに用があったわけではないのだと気づく。


「意味を取り違えました。何か話があるのかと… 」

 イザベルは慌てて立ち上がる。


「… 一緒にプルケでも飲みますか?」

 唐辛子で目が覚めて、すぐに眠れそうにない。イザベルが頷くと、フアンは手際よくプルケを盃に入れ、果物を切って準備する。


「プルケは少なめ?」

「うん」

 フアンは "ドニャ" に話す時の言葉と、そうでない時とを明確に使い分けている。彼が畏まらない話し方をするのを許容することは、彼が求めている関係を許容することになる。

 忘れようとしている、と言ったのは、重荷を感じさせないための嘘で、彼は今も自分を求めていることは彼の態度からイザベルにもわかる。

 今、彼はわざと距離を縮める話し方をしているのか、酒に酔ってそうなってしまっているのかはわからなかった。



 この男に恋できるのだろうか。

 イザベルは目の前の背の高い男を眺める。


 クアウテモクほどには鍛えられた身体つきではないが、出会った頃のペドロのように細いわけでもない。ペドロは背が高いと思っていたが、彼の方が更に高く、手足も長い。

 茶色く波打つ髪、短く揃えられた髭はあまり濃くない。

 年齢は聞いたことがないが、ペドロよりも歳下のようだった。


 燭台一本の薄暗い厨房で、今までじっと見ることもなかった彼を観察する。

 初めて庭で会った時の屈託のない笑顔や、明るく、知的な会話は好感を覚えた。しかし、それからの日々では、礼節をわきまえ、むしろ事務的でさえあった。



「酒の肴はあるかな… 」

 フアンは先ほどイザベルが唐辛子を取り出した鍋の蓋を開ける。


「それは、夕食の残りよ。こっち… 」

 イザベルは、小さな鍋を指差す。茹でたとうもろこしと豆をトマトと香草で和えたものだった。


「油が残り少なくて… 油がないと、あなたの国の料理は作れないの。メシカの料理でごめんなさい」

 困窮は日々の食材にも影響した。フアンは本国の調味料をどこからか、おそらくかなりの高額で手に入れてきたが、日々使うには気が引けた。



「… 今晩もきみが用意してくれたの?」

「言ったじゃない。マルティンは夜はいないの」


 マルティンは店を出す準備を始めた。ペドロが出資すると約束していたが、支払いできる目処が立たない。マルティンは夜な夜な、新たな出資者を探しに白人らが集まる酒場をうろついているのだ。

 マルティンへの報酬は家計を圧迫している。しかし、マルティンはすでに家族であるし、ペドロが探し出した逸材だけに、簡単には手放せない。



「… もっと早く帰って来たら良かった」

 フアンはイザベルの作った料理を小皿に取る。


「本国の料理でなくても、きみが作ったものなら、何でもいい。きみが作ったものでなくても、僕と一緒に食べてくれるなら、何でもいい」

 独り言のように、早口でフアンは続けた。

 彼が、イザベルをテク(・・)として見ているのがわかる。明日の朝には忘れるのならばと、気持ちよく酔っているフアンを否定するのは止めた。



「書斎に移動する?」

 厨房には、イザベルが持ってきた燭台一つしかない。


「ここでもいいよ」

 フアンはスツールをイザベルに、自分には脚立を用意して、厨房の作業台の脇に並べた。


「ふふ、行儀は悪いけど、楽しいわね」

「ああ、船の生活では、たまにこんなことをしていたんだ。上官が寝た後にね… 」

 並んで腰掛けると、背の高いフアンと同じ目線になっていることに気づいた。

 作業台に肘をつき、フォークで豆やとうもろこしを突いているフアンは、行儀を覚えてない子どものようで、それなのに随分と大きな不器用な生き物のようで、なんだか可笑しかった。


「僕の話をしてもいい?」

「どうぞ」


「僕は、カセレスって言う街で育った。エストレマドゥーラの中では大きな街。父は有力者で、街ではいい暮らしをしている方だった。他の親戚の子どもと一緒に家庭教師をつけられて、勉強したり… 」


「ふふ。家に教師を呼ぶなんて、贅沢ね」

 幼い頃、イザベルも行儀作法の教師をつけられたことはあるが、あれは、王宮や神殿に出入りする王女だったからだ。


「いや、テノチティトランみたいに、行き渡った教育制度がないから… 家にはそこそこの資産はあったけれど、僕が大学に行けるほどではなかった。大学は、凄く金がかかる。教員への貢物も馬鹿にならない。金がなくなって、卒業できない奴らが殆ど。コルテスなんかもそうだ。貧乏貴族にはまず卒業できない。卒業すれば、いい仕事にはつけるんだけど… 」


「街の有力者の息子でも?」

「息子は僕一人じゃない」


「きみは? どんな子どもだった?」

 フアンはとうもろこしをつつくのを止めて、イザベルの方を向く。

「私は、カルメカクと言う神殿の学校よ。王族や貴族の子どもばかりの。男と女は別々に学ぶ。私たちは、戦闘は学ばないから」


「厳しい?」

「宿舎に入るしね。でも、宮殿でも厳しいから、私には楽しかったかな… 」


「何が楽しかった?」

「同じぐらいの歳の女の子が集まれば、それだけで楽しいわよ? でも、私は馴れ合えない立場だったけれどね… 」


「そうか… プリンセサだから… それは幾つの時まで?」

「… あなた達が来るまで… 」

 イザベルが言いにくそうに答えると、フアンは黙り込む。


「ごめん… 僕らの歴史は、話すと傷を抉る… 」

「… 避け続ける方がいいのかしら?」

 戦いの後に来たペドロと話した時は、互いに知らない国の知らない話で済んだ。彼とはそういう訳にはいかない。彼にはイザベルの国を武力で滅ぼした生々しい記憶がある。



「わからない」

「未来の話は、楽しくできるのかもよ?」

 傷に触れ合わないようにはできない。皆が乗り越えなくてはいけない問題だ。しかし、乗り越えられる時機はその関係性で違うのかもしれない。今はまだ違うような気がした。



「そうだね… ところでさ、きみは幾つなの? 話していると、僕より歳下に思えないんだけれど… 」

 フアンはフォークを持つ手を止め、イザベルの方を向く。


「… 私を幾つだと思ってるの?」

 白人たちがメシカ人を年齢より若く見積もることは知っている。

「二十三か、二十四?」


「そうね、そんなところじゃない?」

「え? それはどういう意味の返事なの?」

 フアンは目を丸くして、イザベルを見つめる。


「教えないわ」

「何故?」


「いいじゃない」

 イザベルは笑って、フアンのフォークを奪うと、最後の豆を平らげた。





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