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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第三章 テノチティトランを離れて
34/41

33 アマディス・デ・ガウラ



「それで? フアン・カノは跪いて、手に口付けたの?」

 その日、ペドロはとても調子が良かった。


 久しぶりに中庭に出たいと言って、庭の木陰にテーブルと椅子を出して、イザベルと茶を飲んでいた。


「ええ。それが礼儀だという口ぶりだったわよ?」

「いやいや… まあ、本国の煌びやかな宮廷ではそうだろうよ。でもね、前にも言ったけれど、僕たちは、貧しい田舎貴族なわけだよ。僕たちが初めて謁見した王妃様はあなたなんだよ?」


「… うん」

「本国では、騎士の冒険と恋の物語が人気があるんだ。主人公は王妃やお姫様に恋をする。それは大抵の場合、道ならぬ恋で、精神的な愛なんだ」

 突然始まったペドロの説明は、イザベルの理解を超えた。


「道ならぬ恋?」

「恋してはいけない相手との恋っていう意味」

 ペドロが笑って言う。


「精神的な愛は?」

「抱き合ったりしない愛っていう意味」

 背後のシウトリまで笑っている。


「それで?」

「騎士が恋する王妃やお姫様に触れられるのは、挨拶として、手に口付ける時ぐらいしかないのさ」


「うん… 」

 イザベルは、さっぱり騎士の物語について理解ができない。



「ペドロ様、イザベル様には説明してもわからないでしょう」

 シウトリが横から口を挟む。


「シウトリはわかるの?」

「ええ、ペドロ様の書斎にある "アマディス・デ・ガウラ" を読み始めたところです。あれは、面白い。表現や文化の背景がわからないところもあるんですがね」


「ああ、それだよ。船旅の合間に読もうと本国から持ってきたんだ」

「イザベル様も読んでみては?」


「… 私、文字は覚えてないもの… 」

「覚えたらいいのに… 」


「まあ、イザベル様は読んでも、男心はわからないでしょうね」

「そうだろうね」

 読書を嗜む男たちは顔を見合わせる。


「ちょっと、どういうこと?」

 イザベルが抗議すると、男二人は大口を開けて笑う。


「報われない恋だからな」

「そうですね」


「何の話?」

「「アマディス・デ・ガウラ!」」


 シウトリとペドロが楽しそうに笑う中、イザベルはアロを見つめるが、アロも肩をすくめるばかりだった。





 そんな楽しい時間は長く続かなかった。季節が変わる頃には、ペドロはまた寝たきりとなり、起き上がることもなくなっていた。目を開けていられる時間は短くなり、喀血は毎日のように続いた。



 皆、覚悟はしていたが、屋敷内は落ち着かない。

 フアン・カノも馬車でやって来た。



「ドニャ・イザベル、少しお休みになっては?」

 ペドロに付き添っているイザベルにフアン・カノが声を掛ける。


「お気遣いありがとう。でも、ここにいたいから… 」

 何日もペドロの部屋から出ていなかった。


 自分が傍にいない時にその時が来るのは嫌だった。

 イザベルが傍にいて、少しでも、心やすらかに旅立って欲しかった。


 クアウテモクの時は、一年もその死を知らされなかったのだ。




「では… バルコニーならどうです? 食事を用意しました。外の空気を吸って、何か召し上がってください」


 フアン・カノはタキを部屋に招き入れる。

 ペドロは寝息を立てていた。


「ありがとう… 」

 フアン・カノは、いつかのペドロと同じように、気づかぬ内にイザベルの家族たちに溶け込んでいた。



 バルコニーに出ると、風が心地良かった。

 しかし、タキの持ってきた粥はなかなか喉を通らない。


「… ねえ、何か… 話をしてくださらない?」

 バルコニーの入り口に居るであろうフアン・カノに話しかけた。

「たとえば?」

 椅子を引くと、彼はイザベルの隣に腰掛けた。


「… ペドロとシウトリが読んでいる本、知っていますか?」

「何と言う本ですか?」


「アマディス、なんとか… と」

「… はあ… 」

 フアン・カノは呆れた顔をしている。


「面白いのでしょう?」

「ええ… 何故、その本なのです?」


「あなたの話をしたら、二人がその本の話をしたんです」

「… 」

 カノはテーブルに肘をつくと眉間を押さえる。



「… とても長い話です。また別の機会に… 」

「ええ… あの二人もそう言ってなかなか話さないのよ?」

 イザベルは期待の目を向ける。


「… 今は、もっと単純な話をしましょうか… 」

 カノは、イザベルが粥を口に含むのを見つめながら、話題を探しているようだった。


「先ほど、厨房のマルティンと話をしていたのですが、今晩は魚です。以前、アロスを手に入れた時に、いくつか本国の調味料も持って来たんです。魚を油で火を通して、それを甘酸っぱいソースで和えて食べましょう。食欲の出ない時に丁度いい」


「ねえ、また、早口ね?」

 イザベルは、初めて彼に会った時を思い出した。


「ごめんなさい、前にも、ゆっくり話すように言われましたね」


「そうね。あの時… 今とは話し方が違ったけれど… 」

「ハハ! そうです。王妃だとは知らず、随分と生意気な口をききました」


「私も、テク(・・)と名乗ったし」

 あの頃は、イザベルと名を変えることになるとは思ってもいなかった。


「もう、花壇は作らないのですか?」

「… そうね… あれは、前の夫に見せたくてやっていたから… 」


「ごめんなさい… 」

「… 大丈夫。たまに苦しくなる時もあるけれど、楽しかった記憶だけを思い出すようにしてるの」


 そうは言ったが、クアウテモクとの楽しい思い出は、今もイザベルの心を掻き乱す。彼の周りにいたメシカ人と同じように、テクイチポ(・・・・・)も彼を崇拝した。人々を熱狂させた彼の魅力を思い出すと、やはりその喪失の痛みが蘇るのだ。風化したように思える時もあれば、彼を愛した気持ちが鮮やかになる時もある。


「… 匙が止まってしまいましたね。私の話の選び方が悪かった。話を戻しましょうか… 」


 笑わせてイザベルの気持ちを明るくさせるペドロとは違い、カノは落ち着いて気持ちに寄り添おうとする。痛みの元を探られるように感じて、イザベルは反発したくなる時もあるが、彼はペドロとは別のやり方でイザベルを労ろうとしていることがわかるようになった。


「私、あの時の会話は楽しかったの」

「あの時?」


「あなたが早口にお喋りした時」

「一方的に私の話をしただけでは?」


「… 対等に話す人は、私の周りに少ないの」

「ああ… 」

 カノが顔を上げる。


「早く食べてしまうわね… 付き合わせてごめんなさい」

 カノにじっと見つめられて、居心地が悪くなり、黙々と匙を動かした。





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