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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第三章 テノチティトランを離れて
33/41

32 イザベルの宿題



 フアン・カノの滞在が頻繁になり、イザベルとフアニートがペドロの部屋にいるか、カノとシウトリがいるかで、ペドロの取り合いのようになった。



「フアン・カノと何を話してるの?」

 産後で身体を休める必要はあるが、すっかり蚊帳の外に追いやられたように感じ、シウトリに訊ねた。


「ドニャ、ペドロ様が言うように、先を見られるようになりましたか?」

 シウトリが呆れた顔でイザベルを見る。


「… 」

テクイチポ(・・・・・)様の強さはどこへ行ったんでしょうね? ペドロ様が甘やかすから、すっかり何でも任せてますね? イザベル(・・・・)様は」

 シウトリはため息をついて、続ける。


「私は、ペドロ様とも、フアン・カノ様とも、よくお話をするようにと、何度もお伝えしてましたけれど? こんな爺の言うことは聞かなくともよいと? 初めてお会いした時の方がまだしっかり者だったと思います」


「爺じゃないじゃない… 」

 他に否定できるところがない。


「あなたは、世界の一番醜い部分を体験したから、仕方ないけれど、もっと心を開いて」


「だけど、あなたの経験は、この国の多くの女性を代表をしてもいる。夫を戦いで失い、意にそぐわない妊娠、出産… "お前のこれからの生き方は、この国の未来をつくる" と、クアウテモク様なら言うでしょうね?」

 まるで、クアウテモクが話しているかのような、口真似に驚く。


「言い方も似てるでしょう?」

 シウトリはにやりと笑うと去って行った。






 フアン・カノが部屋に戻った後、そっとペドロの寝室に滑り込んだ。

「今、起きて…る?」

 イザベルは寝台を覗く。


「ああ… 大丈夫。最近、拗ねてるんだって?」

「… 拗ねてなんか… 拗ねてるわ」

 シウトリの言葉を思い出して、素直な気持ちを伝える。


「今、この荘園から引き揚げる準備と… タクバの荘園の問題について話してる」

 ペドロは枕元の長椅子に目配せし、イザベルに腰掛けさせる。


「引き揚げる?」

「ここを息子に相続させられるか、フアン・カノに調べて貰っている。僕がいなくなった時、彼が幼過ぎると継承できない可能性がある。それと、あなたのタクバの荘園は、ここから管理するには、問題も多過ぎる。生活の拠点はタクバに置くべきだ」

 "僕がいなくなった時" などと想定した話をイザベルが拒否するのを見越して話に加わらせなかったのだろう。


「北部の戦いも影響してる?」

 北部の遊牧民への侵攻が始まった。戦線が何百キロメートルも南下することはないだろうが、市街地から離れた荘園で武装していない住民と残ることには不安がある。


「まあ、それもね。あなたの立場で今、ここにいることは、あまり良いとは言えない。メヒコ市内にいた方がいい。そんな準備をしている。あなたも話に入る?」


「お願いします」

「それなら、フアン・カノへの態度を改めて欲しいかな… 」

 ペドロに初めて苦言を呈された。それが、他の男への態度が悪いという指摘だ。彼の友人なのだから当然なのもわかるが、皮肉なものだ。


「何故、彼なの?」

「独身者は、荘園主になる優先度が低いって知ってる?」

 イザベルは頷いた。


「彼は自分の荘園を持っていないから、時間に融通が利く。それに、手伝いたいと言ってくれている」

 ペドロはイザベルの手を握る。


「報酬は?」

「断られたよ。金のためにやるんじゃないから、と」


「フアン・カノに… 私を預けようとしてる?」

 ついに、口に出した。

「どう言う意味? その意味次第では、僕を侮辱することになるよ?」

 ペドロと生活し始めて、こんなに強い口調で物を言われるは初めてだった。


「… 」

「言い過ぎた… じゃあ、僕の気持ちを言う。僕がいなくなった後、あなたには幸せになって欲しい。誰か、伴侶が必要だ。それが、フアン・カノでも構わない。構わない… というより、僕が信用している何人かの一人だと思う。あなたが誰を選んでも、あなたが幸せになれるなら、誰でもいいんだよ?」

 ペドロは、イザベルが人生を他人に振り回されたくないと思っていることをよく知っていた。


「あなたは、白人の中からしか夫を選べない。わかるよね?」

「わかるわ… メシカ人を選んだら、反乱を起こす火種だと思われる」


「そう。あなたが上手く選べなかったら、フアン・カノに助けてやって、とは頼んでいるよ。彼は友人が多いから。それと、絶対に無理強いはしないで、ともね」

 ペドロは両手でイザベルの手を包み込む。


「まずは、フアン・カノと仲直りして」

「彼… 私のこと、怒ってるわよね?」


「自分で何とかしなさい」

 ペドロはあくびをする。


「眠いな… お姫様、口付けて… 眠りたい… 」

 イザベルは、そっとペドロに口付ける。


「この時間なら、フアン・カノは中庭で葉巻でも吸ってるよ。宿題は早く終わらせて、僕を安心させて。おやすみ」

 イザベルが頷くと、ペドロはイザベルの手を引き寄せ、額に口付けた。






 中庭へ行こうとイザベルは勢いよくポーチに出た。煙と香りの方に目をやると、ポーチに置かれたベンチにフアン・カノが座って葉巻を吸っていた。


「あ… こんばんは」

 まだ、心の準備ができていなかった。


「… こんばんは」

 カノもイザベルを見て驚いたようだった。


「… 」

 何から話すか、すぐに言葉が出ない。


「… お邪魔だったら、中に戻ります」

 彼は立ち上がる。


「いえ… 話をしに来たの、あなたと」

 ベンチの近くに寄ると、カノは腰を下ろし、葉巻を灰皿に置いた。


「謝りたくて。何度も… あなたに酷い態度をとってごめんなさい」

「… 仕方のないことです」

 カノは、しばしの間の後、答えた。


「あなた個人に対して、嫌な気持ちを持ってはいないわ。ただ、私が… 白人の男は皆そういうものだろう、と想像した姿をあなたに重ねてしまった。それをお詫びします」


「当然だと思います。もう気にしないでください、ドニャ」

 その形式的な返事に、彼もイザベルに腹を立てていたのだと感じる。





 その時、庭の暗闇で動物の鳴き声がした。


 驚いたイザベルは咄嗟に飛び退いてカノの方に寄った。



「豚ですよ、どこからか逃げて来たんでしょう」

 カノは立ち上がると、慌てるイザベルに心配するなと言う。


 ポーチの燭台の灯りの届くところに、黒っぽい四つ足の太った犬が出てきた。


「犬みたい… 」

「食用として、僕らの半島から持って来たんです。ちょっと待っててください。家に入って。興奮させると、鼻からぶつかって来るから」

 そう言われても、初めて見る豚は穏やかそうに見えて、興味深く、扉の近くまで下がって観察することにした。


 カノはポーチの手すりを軽やかに飛び越え、納屋から縄を取ってくる。

 一心不乱に草を食んでいるそれに、カノは後ろから近づいて手際よく縄を掛けた。


「農作物を食べて荒らすんですよ。朝まで納屋に閉じ込めておきましょう。繁殖させたら、すぐ増えて、いい値で売れます。マルティンに言って、料理してもいいし… 」


「ありがとう… 初めて見たわ。近くでも飼ってるところはないと思うけど」

 食用、乗用の家畜は彼らによって何種類も持ち込まれている。裕福な荘園では、買い入れて繁殖させていると聞く。しかし、周辺は、同じ時期に新たに委託された荘園と荘園主ばかりで、まだその余裕はない。


「逃げた豚が野生化してるとも聞きます。飼育するにはいい家畜です。野生化したものは害獣ですがね… 」

 

 むっちりして足が短く、毛のない滑稽なその生き物はカノに引っ張られて、納屋に押し込められた。


 井戸から水を汲んで手を洗うと、カノは戻って来る。

 

「明日、マルティンと相談して料理してはどうですか? 食べられるかわからないけれど、ペドロは喜ぶでしょう。余った肉は干してもいいし」

 軽い身のこなし、手慣れた家畜の扱いは新鮮だった。


「ありがとう… 」

 一連の出来事にびっくりして、言葉が続かない。


「… 割と何でもやれますよ。そういう環境にいたので… 」

 カノが呟いた。


 行軍したり、荘園の運営を手伝ったりしていたと言っていたのを思い出す。ペドロも器用な人だが、得意な使用人を見つけて来てやらせるのが上手な人だった。家畜を自分で捕まえるなんてことはしないだろう。


「単純に、凄いなと感心しちゃって、言葉が出ないの」

 イザベルが言うと、カノは笑った。



「話が、途中になってしまったけど… これで… 仲直り?」

「いや… 」

 カノに否定されて、イザベルは身を固くする。


「初めから、私は怒っていないから、仲直りではないでしょう」

「てっきり怒っていると… 」


 カノはかぶりを振ると右手を差し出す。

「いいえ。では、これからは協力していきましょう」


 男性同士がする握手を求められたのだと思い、イザベルは右手を出してその手を握る。


「… 女性は握手をしませんよ」

 カノはイザベルの手を握ったまま、手のひらを上に向けると、膝をつき、イザベルの手の甲に口づけをした。


「… 高貴な女性に男がする挨拶はこれです」

 イザベルは初めてされた口づけに驚いたが、説明に頷いた。


「中に入りましょう。私は明日、帰ります。次にお会いするのは… 半月後です」

 フアン・カノは微笑み、イザベルはやっと人心地ついた。





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