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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第三章 テノチティトランを離れて
31/41

30 フアン



 友人たちの来訪の後、時折、フアン・カノが訪ねてくるようになった。ペドロの執務室で二人で話をするとその日の内に馬で帰って行く。


 ペドロはタクバの仕事を手伝ってもらうが、それだけだと言う。フアン・カノの方もイザベルを避けているのか、特に話をすることもなかった。



 ペドロの体調は、次第に悪い日の方が多くなり、伏せりがちになって行った。友人らに貰った痛み止め薬のほかに、メシカの薬草も試したが、腹や背中の痛みはペドロを苦しめた。


 タクバの管理の話はイザベルからは切り出せなくなっていた。ペドロの心に波風を立てたくなかった。



「イザベル… 」

 寝込んでいるペドロが、イザベルを呼ぶ。


「なあに?」

「あのさ… 最近、少しふっくらしたんじゃない?」


「そう?」

 ペドロはイザベルに手を伸ばす。細くなった腕がイザベルの腹や脇を撫でる。


「… 月のものは、来てる?」

「… 」

 ペドロ中心の生活で、自分のことは後回しだった。


「しばらく… 記憶にないわ… 」

「本当に? 赤ん坊、出来てるかもしれない?」

 ペドロは目を輝かせる。


 イザベルは頭の中で、この数ヶ月を思い起こす。

「そうかもしれない… 」

 ペドロはイザベルの手を引き寄せると、その腕に閉じ込めた。


「もし、そうだったら… 嬉しいよ… 」

 ペドロがイザベルの背中をさする。

「あなたに言ってなかった一番最後の、本当に最後のお願いだったんだ… 無責任過ぎて、願ってはいけないと思ってた… 」

 ペドロが涙ぐむ。


「まだ、わからないわ。ぬか喜びかも…」

「あなたも… 喜んでくれる?」

 ペドロが不安そうに訊ねる。


「勿論よ!」

「本当に?」

 ペドロはふざけるようにイザベルの顔を覗き込む。


「もう! 私を疑い過ぎよ! 私を気まぐれで気の強いお姫様扱いするのはお終いにして」


「ハハ! そんな風に思ったことは一度もない。傷ついて、心の強張ったお姫様だと思ってた。もう、そうやって自分を虐めないで。もう、ポルボロンって言えるようになったし、幸せを掴めるよ… 」


 やっと、ペドロがくれる愛情に近づいた。

 自分が単なる褒章なのだというひねくれた思い、愛情を返せないことへの罪悪感、絡まり合っていたものが少しずつ解れたのは、ペドロの献身のおかげだった。

 クアウテモクの死の悲しみや、コルテスへの憎しみを少しずつ色褪せさせたのは、見返りを求めないペドロの愛情だった。


 クアウテモクに感じていたような、恋焦がれ、全力でぶつかるように愛した、そんな感情ではなくとも、愛と呼んでいいと感じていた。



「もう、幸せを掴んでる… 赤ちゃん… 出来てたら嬉しい… 」

 イザベルがそう言うと、ペドロは満足そうに微笑む。

「びっくりしたら、疲れて眠くなった… 口付け… してくれる?」


「ねえ、ペドロ… あなた、聖人のような人よ… ありがとう。愛してる」

 イザベルが額に口付けると、夫は安心したように目を閉じた。





   §




 イザベルのお腹はゆっくりと膨らんでいった。

 その一方で、ペドロは寝ている時間が増えていく。


 日々の荘園の管理はシウトリが難なくこなしていたが、文書での報告には苦労していた。読み書きはアロやシューマもだいぶできるようになっていたが、報告書類で使う言葉は別だった。荘園の教会の神父は言葉はわかるが、報告すべき内容かどうかの判断は出来ない。隣の荘園主とは利害関係が絡み合っていて、相談など到底出来ない。


 そして、ペドロにはもう相談すべきではなかった。イザベルが避けていたフアン・カノを頼るしかない。




 月に一度、彼がペドロを訪ねた帰りに呼び止めた。


「いつも… ありがとうございます。ご迷惑でなければ、相談に乗って頂きたいのです」


 フアン・カノは驚いた様子だったが快諾し、シウトリとイザベルと共に書類作りをしてくれた。


「ドニャ・イザベル、来月からはこれも引き受けましょうか?」

 一区切り付くとフアン・カノが言う。


「ええ… お手伝い頂けるなら、ありがたいです。タクバの件は、どんな決め事でお願いしていますか? 報酬は?」

 それについてペドロに聞いても、いつもはぐらかされていた。


「… いいえ。報酬は… 断りました」

 フアン・カノは答え辛そうに答えた。

「なぜ?」

 シウトリが席を立とうとしたが、イザベルは止めた。


「… うまく説明できません」

「… 私に… 取り入って結婚すれば、財産が手に入るとでも?」

 やっと消えた白人への不信感が再燃する。


「まさか!」

 フアン・カノはすぐさま否定する。


「今晩はこれで失礼します。ドン・シウトリ… 厩へ案内して下さい」

 フアン・カノは立ち上がる。


 シウトリは視線で "いいのか?" とイザベルに訊ねる。

 イザベルは肯定も否定も出来なかった。


 シウトリが先導し、二人は部屋を出て行った。





 部屋から動けずにいると、暫くしてシウトリが戻って来た。

「ドニャ… 今日は遅いので、客間に泊まって頂くことにしました。明日、夜明けに出発するそうです。来月からは、私とドン・フアンとでやります。毎月、泊まって頂きます。報酬は来月私が交渉します」


 机の上の書類を片付け、シウトリが部屋を出ていこうとする。


「ねえ、どういうことだと思う?」

 イザベルはシウトリの背中に訊ねる。


「… ご本人にお尋ねください。ペドロ様とも… 」

 シウトリが立ち止まる。


「… うん」

「… 」

 シウトリはまだ何か言いたげに振り返ったが、そのまま部屋を出て行った。







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